第2話 親友の結婚

 ワロウは夕方のディントンの町の中を自分の拠点にしている家に向かって歩いていた。家と言っても自分で所有しているわけではなく借り家である。

 ディントンの町はさほど大きくない田舎の町で、ワロウはここで20年以上冒険者を続けていた。


 辺りは仕事帰りの人々や、依頼を受け終わった冒険者達で混雑している。ワロウはその人込みの中を慣れた様子でするすると抜けながら、早足で家へと向かっていた。


「よお、ワロウ。今暇か?」


 家までもう少しといったところで声をかけてきた男がいた。ノーマンという名の男だ。

 ノーマンもワロウと同じく冒険者だった。彼自身は他のパーティに所属していたため、ワロウとパーティを組むことはなかったが、たまに共同でクエストを受けることもあった。ワロウとは旧知の仲であり、ワロウがこの町にいついたころからの仲だ。


「暇に見えるのか?これを見ろこれを」


 ワロウは背中に担いでいた薬草が大量に入った袋をノーマンの前に突き付けた。そしてそのまま彼の顔に押し付ける。


「どう見ても忙しいだろうが。今からコイツを調合するんだよ」

「うわっ! やめろよ! 知ってんだろ!それの匂い苦手なんだよ!いきなり近づけんなよ...」


 ノーマンはいきなり苦手な匂いの薬草を目の前に突き付けられ嫌そうな顔をする。

 その反応を面白がったワロウがニヤニヤしながら更に袋を押し付けると、ノーマンは顔を更にしかめながら袋を押しのけた。


「いい加減やめろっての...ガキじゃねえんだからよ」


 少しの間、あきれたような表情を浮かべていた彼だが、本来の用事を思い出したのかまじめな顔でワロウと向き合った。


「で、用件だが...そんなに時間は取らねえ。すぐ終わる話だ」

「...なんだ?急にまじめな顔しやがって」


 ノーマンはいつも陽気な男で、まじめな顔をしながら話すことなどほとんどなかった。その彼の珍しい表情を見てワロウは少し気を引き締めた。

 一体何を言い出すのであろうか。


「俺な..実は...その...結婚することになったんだ」


 ワロウは驚き一瞬言葉に詰まった。それは、ノーマンが今まで結婚するような素振りは今まで見せていなかったため、急に結婚すると言い出したことに対する驚きもあった。

 更に、冒険者が結婚するということは、単に言葉以上の意味がある。それはワロウにとって衝撃的なことだった。


「お前...結婚するのか...ってことは...もしかして...?」

「ああ...まあそういうことだ。俺の長かった冒険者稼業もこれでついに終わりってとこだな」


 結婚した冒険者は引退することが多かった。冒険者は常に危険にさらされる職業だからだ。当然と言えば当然だが、せっかく結婚したのにパートナーがいつでも死んでしまう可能性がある危険な職業に就いていることを嫌がる人が多いのだ。

 例外として、ごくまれに冒険者同士の夫婦もおり、彼らはお互いの同意のうえでそのまま冒険者を続けることもあったが、そのような冒険者の夫婦は冒険者全体の中でもほんの一握りしかいなかった。


 聞くところによると、ノーマンの結婚相手の女性は冒険者ではなくごく普通の一般人で、ノーマンに冒険者よりも安全な職についてほしいと願ったようだ。

 ノーマンもそれを受け入れて長年続けてきた冒険者を辞めることにしたということだ。


「俺ももう年だし...いつまでも冒険者続けるわけにもいかねえと思ってたからな。ちょうどいい機会だと思ったんだ」

「...まさか、お前が結婚で冒険者を引退するとは思ってなかったぜ。まだ早いんじゃねえか?」

「冗談だろ?今、いくつだと思ってんだよ。お前こそそろそろ腰を落ち着けたほうがいいんじゃねえか」


 ワロウもノーマンもディントンの町の中では一番の古参冒険者だった。

 二人ともこの町に来てから20年以上冒険者を続けており、その年齢はとっくに30歳を超えているどころか下手すれば40歳すら過ぎている可能性もあった。


 ワロウもノーマンも自分の年をまともに数えたことがないので正確な年齢は自分でもよくわかっていなかったが、お互い冒険者としての最盛期はとっくに過ぎていたことは事実だった。冒険者をやめてノーマンが結婚したのもかなり遅いほうだといえる。


「お前、やめた後は何やる予定なんだ?」

「ああ、町の守備兵になることになった」

「うん?ギルドには誘われなかったのか?」


 引退した冒険者がその培ってきた知識を活かし、ギルド職員になるという話はよく聞く話であった。

 ギルド側としても魔物の討伐や付近の地形などを実際に経験している冒険者は貴重だ。ただし、引退した冒険者ならば誰でも無条件でギルドの職員になれるというわけではない。


「お前な...俺があまり読み書きができないの知ってるだろが。そもそもお前の読み書きとか計算とかのレベルが高すぎるんだよ。ホントに冒険者かってくらいな」

「ああ...文字の読み書きと計算か。そんな条件もあったな。すっかり忘れてたぜ」


 ギルドではどうしても仕事に文字の読み書きが関わってくる。なので、文字の読み書きができない状態ではとてもではないが仕事にならないのだ。もちろん、ノーマンも冒険者として依頼を受けるときにある程度の読み書きが必要となるので、まったく読み書きができないというわけではなかったが、ギルド職員になれるほどではなかった。


 そもそも、この世界では識字率は低い。平民が文字の読み書きができること自体が珍しいかったりもする。

 その平民の中でも冒険者は読み書きができる方の職業の一つである。荒々しい印象のある冒険者だが、読み書きに関してはそこら辺の一般人よりもできる人間が多い。


 だが、パーティの中に何人か読み書きが出来る者がいれば、冒険者としての活動に支障は出ないので、全く読み書きができない冒険者というのも一定数はいる。

 更に言うとワロウのように文字の読み書きと計算を高いレベルで両方ともできるといった冒険者はほとんどいないといっても過言ではなかった。


「前にも聞いたかもしれんが、お前、なんで読み書きと計算ができるんだ?」

「言っただろ?そもそも俺、商家の3男なんだよ」


 商家では商売で文字を使うため、平民の中でも珍しく文字の読み書きが必須となる職業だった。冒険者と比べても圧倒的に読み書きを使う頻度は高い。

 ワロウも一応後継者候補として色々と習っていたのだが、結局商売は兄達が継いだため仕事にあぶれたワロウは冒険者になったのであった。


「そういや聞いた気もするな...それにしてもお前が商家とは似合わねえなぁ」

「うるせえ。似合う似合わねえの話でもないだろうが。...で...式はいつやるんだ?」


 この町では結婚式の風習として身近な人が結婚した時には贈り物を送ることになっていた。ワロウとノーマンは20年以上の付き合いでありワロウもそれなりに良いものを贈ってやろうと考えていたのである。しかし、それに対する答えは予想外のものであった。


「いや、実はな...明日なんだ」

「...明日ァ!? 冗談だろ?いくら何でも急すぎるぜ! 」

「まあ、確かに急に決まったってのもあるが...お前そもそも最近町にいなかっただろう」


 ワロウはつい最近まで護衛依頼を受けており、この数日間町の外にいたのである。まさか依頼が終了し、町に帰ってみれば旧友が結婚するというのはまさに寝耳に水だった。

 それに加え、結婚式は明日だという。ワロウが焦るのも無理はない。


「贈り物の準備なんかしてないだろ?別にいらないから心配すんなよ」


 ノーマンもワロウが焦っている様子が伝わったのであろう。贈り物は別に無理してまで用意する必要はないと言い出した。

 冒険者は基本的にその日暮らしのものが多い。収入が多くてもその日や近いうちに使い果たしてしまう冒険者がほとんどで、貯金をしている冒険者の方が珍しいと言える。ワロウは用心深い性格で、日々の生活費以外にも少し貯金はしていたが贈り物を買えるほどではなかった。


「そういうわけにもいかねえなあ。まあ、待っとけよ。なんとかするさ」

「あ、おい、どこいくんだよ。もう夕方だぞ?あきらめろって!」


 ワロウはノーマンに手をあげると、そのまま走り出した。

 ノーマンは止めようとしたが、無視して走り去っていくワロウの後ろ姿を見て無駄だと悟り、少し心配そうな顔でその背中を見送ったのであった。

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