魔族の飼い鳥

 シェリルが生まれ育った東方の国マグヌムは四国のうちでも特に大きく、人口も多い。他国と同じく魔族から身を守るため従属契約を結んではいたものの、近年ではその意味はほとんどなくなっている。


 到底クリアできそうにないノルマを課しては、守れなかった者を殺し、ひどい時には村や街ごと焼き払ってしまう。魔族にとってはノルマをクリアできるかどうかなどどうでもいいのだ、ただそれっぽい理由をつけて人間を虐殺したいだけ。恐怖と絶望に泣き叫ぶ人間の姿は、魔族にとってはまさにご馳走のようなものだった。


 しかしながら、魔族は人間の生活に事細かく興味は持っていないようで、それをいいことにマグヌムは水面下で魔族に抵抗するための策を練り続けてきた。地底に軍事施設を設け、じわじわと兵力を拡充し、現在では軍だけで一国を築けそうな規模にまで到達している。


 シェリルがこうして他国にやってきたのは、魔族と共に戦うための仲間を他国からも集めるためだった。



「(今は少しでも多くの仲間がほしい、この国のレジスタンスを勧誘できたらと思ったんだけど……普通に聞いてもきっと教えてもらえないわよね。どうしたら接触できるのかしら……)」



 この南国トレディシエンで活動するレジスタンスの話は、他国にも噂が届くほどだ。広い南の国の全域に展開し、魔族に対抗するための力と知恵を蓄えているという。ほんの数人程度ではなく、国全体に展開できるほどの人数がいるのは心強い。ぜひとも仲間に迎えたい存在だった。


 情報が数多く集まると言えば酒場だが、今は正午を回って少しといったところ。酒場はまだ閉まっている。ならば宿屋で聞いてみようか。


 シェリルがそんなことを考えながら右往左往していると、不意に一瞬影がかかった。反射的に空を仰ぎ見ると、青空の下には黒い鳥が数羽ほど、気持ちよさそうに空を滑空している。だが、ただの鳥――と思うには、身の丈が大きすぎる。


 次の瞬間、辺りの住民たちからは悲鳴が上がった。



「(あれは……コルニクス!? そんな、この国の都にはあいつらが来るの!?)」



 コルニクスとは、全身を真っ黒な羽毛で覆われた鳥型の魔物だ。けれど、その多くが魔族に飼育されており、このコルニクスが現れた場所にはその後、必ず魔族がやってくると言われている。つまり、コルニクスは所謂「下見」に放たれている魔物なのだ。大きな翼で都の上空を飛空する様は、まるで絶望を告げる死神か何かのようだった。



「(こいつらが現れるようになってるのに、それでも王は見て見ぬフリをしてるってこと!? 民を生贄にしてるようなものじゃない!)」



 反魔族意識を持つレジスタンスが結成されるはずである、国が守ってくれないのだから。人が多い場所はそれなりに利用価値があると思われているのか、他の国では都にまで魔族の手が伸びているという話は聞いていない。



「うわああぁん!」



 住民たちと共に逃げながら、シェリルは正面から聞こえてきた泣き声に反応してそちらに目を向ける。すると、転倒した子供目掛けて一羽のコルニクスが今まさに襲いかかろうとしていた。頭で考えるよりも先に、身体が動いた。地面を強く蹴ってそちらに飛び出し、子供の身を抱き込んでそのまま転がる。間一髪、急降下してきたコルニクスのクチバシは虚空を切り、空振りに終わった。


 しかし、コルニクスがそのまま見逃してくれるわけがない。魔族ほどではなくとも、魔物とて獰猛な生き物だ。狩りを邪魔されたとあれば、その敵意が邪魔をした相手に向くのは当然のことだった。地上に降り立ったコルニクスはシェリルと彼女が胸に抱き締める子供を威圧するように睨み下ろす。二メートル前後はあろうかという鳥を前に、シェリルは完全に竦み上がっていた。


 ……殺される、殺される――殺される。


 コルニクスが翼を広げると、シェリルは子供をしっかりと抱き締めて顔を伏せる。それくらいしかできることがなかった。



「ケエエエエェッ!!」


「……え?」



 けれど、思っていたような衝撃が訪れることはなく、それどころか間近で悲痛な声が上がった。慌てて顔を上げると、目の前にいたコルニクスの両翼と頭部、そして首に小さな短刀が突き刺さっていたのである。スローイングナイフと呼ばれる投擲とうてき用の武器だ。刺さっている角度を見る限り、それが飛んできたのは――シェリルのほぼ真後ろ。


 弾かれたように後方を振り返ってみれば、彼女の視界は黒一色に支配された。何かが横を素早くすり抜けていくのが見えたが、あまりにも一瞬のことで何が起きたのかはまったくわからなかった。気が付いた時には――目の前にいたコルニクスが糸が切れた人形のようにバタリとその場に倒れていた。



「えっ……え……」



 そして、その傍にはコルニクスの羽毛にも負けないほどの黒衣を身に纏う人物が佇んでいた。この人が助けてくれたのだと理解したのは、それから数拍後のこと。何が起きたのかは依然としてわからなかったが、絶命したコルニクスの胸部に深い裂傷が刻まれているところを見ると、剣か何かで斬り裂かれたのだろう。


 空を飛空していた他のコルニクスたちも、冒険者風の出で立ちの男たちに次々に撃ち落とされていく。見事な連携を見る限り、随分と戦い慣れていそうだ。シェリルは傍らに佇む黒衣を見上げると、ごくりと生唾を呑み込んだ。



「あ、あの……あなたたち、もしかして……レジスタンス……?」



 シェリルのその言葉に反応した黒衣の人物は、ちらりと彼女を見下ろす。深くフードをかぶり、顔の下半分をフェイスヴェールで覆っているせいで目元と紅色の前髪しか見えないが、意思の強そうな碧色の双眸に射抜かれてシェリルは自然と胸が高鳴るのを感じていた。


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