第一章・紅の救世主

今はまだ深い闇夜


 魔族が世を支配して、既に五百年。

 深い闇に覆われ続ける世界には、四つの国家がある。


 西のファーシル、北のクオーレ、東のマグヌム、そして南のトレディシエン。

 東西南北それぞれに位置するこれらの国は、魔族とのを結び、何とか存続を続けていた。


 従属契約とは、魔族という種族の傘下に下ることで虐殺から身を守るための手段である。

 しかし、それは決して同盟などという対等なものではなく、あくまでも『魔族の下僕』になることを誓うもの。また、必ずしもその契約が守られる保証はない。


 特に、それぞれの国の王都から離れた場所にある街や村は、突然契約を反故にされ焼き払われることが多い。

 目障りだったから、邪魔だったから、ムシャクシャしたから。理由は大体そんなものばかり。つまり、契約を守るも破るも全ては魔族の気分次第なのだ。


 どれだけ理不尽で、どれだけ不満があろうと、人間たちには抗うだけのすべはない。ただただ、黙って耐えるしかないのが現状である。




 広く造られた謁見の間に、ドスンという物音が響く。その出所でどころとなったのは玉座に腰掛ける国王だ。固く握り締めた拳は玉座の肘置きに乗り、わなわなと震えていた。今の物音は、込み上げる憤りを発散すべくこの拳で肘置きを殴りつけたものだ。



「魔族に歯向かうなど、いったいどこの不届き者だ!? 情報は何もないのかっ、騎士団は何をしておる!?」



 国王が上げた怒声に、大臣はびくりと肩を跳ねさせて俯いてしまう。傍に控えていた護衛の兵士たちも、誰もが皆、困り顔だ。そんな臣下たちを目の当たりにして、国王クランティフは忌々しそうに何度も肘置きを拳で殴りつける。


 この王都ミーテから西に行ったところを支配していた魔族――バズズが倒されたとの報告を受けて、国王は先ほどから憤慨していた。



「我が国は魔族との従属契約を結んでいるのだぞ!? もしもこのことが奴らにバレれば反逆と見做されてしまうではないか! いったい誰だ、どこの者だぁ!!」


「お父様、少し落ち着いてくださいませ。騎士団が情報など持っているわけがないではありませんか。我が国の騎士団が他国からどのように呼ばれているか、お父様はご存知ないのですか?」



 誰もが臆して口を開くことさえできずにいる中、ひとつの凛とした声が響いた。それは国王の傍に控える王女シンシアのものだ。国王はそんな愛娘を睨むように振り返ると、身を潜める獣のような息遣いで次の言葉を待つ。



「“形だけの腰抜け集団”――それが周りからの評価ですわ。お父様、いつまで魔族に頭を下げるつもりなのです? この都には魔族に抵抗するためのレジスタンスまで現れ始めました、民の心はそちらに傾いています。今こそ皆で団結して魔族と戦う時ではありませんか!」


「馬鹿めっ! 人間が魔族に敵うものか! 我々は民を守るために従属契約を結んでいるのだぞ!」


「その民を守れていないではありませんか! 既にこの都にさえ魔族が憂さ晴らしに現れるくらいなのですよ!? いつまでこんなことを続けるおつもりなのですか!?」


「わたくしもシンシアに賛成ですわ、あなた。魔族の圧制は日に日に強くなっていくばかり……今のままでは未来などありません。あのバズズを倒せるとはかなりの実力者なのでしょう、その者や各国と協力して――」



 シンシアと共に傍に控える王妃ヴィクトリアもまた、娘の意見に賛同するように頷いた。けれど、国王は考えるような間も置かずに再び肘掛けを思い切り叩き殴った。



「ふざけるな! 魔族に勝てるものか! 勝手なことをする者は許さぬ、騎士団はバズズを手討ちにした不届き者を何としてでも探し出せッ! ドブネズミのようにコソコソ嗅ぎ回るレジスタンス共も根絶やしにしろ!!」



 王妃と王女の訴えは、国王の前では全て無駄に終わるしかなかった。



 * * *



「“バズズを手討ちにした賊を捕らえた者には褒美を与える”ねぇ……」


「褒美ってどんなんだろうな、どうせまたお褒めの言葉だけ、とかだろ?」


「どうせロクな褒美じゃないんだ、こんなの誰がやるかよ。これならレジスタンスに協力する方がずっといい」



 その日の正午過ぎ、王都ミーテの城下街には御布令おふれが出された。内容は『バズズを手討ちにした賊を捕らえよ』というもの。その貼り紙は街の至るところに貼られたが、本気で向き合おうとする者はほとんどいない。一度こそ足を止めるものの、すぐに興味をなくしたように立ち去ってしまう。


 そんな中、薔薇色の髪を持つ少女が貼り紙を見つけると、壁からその紙を引き剥がした。



「魔族に抵抗しようっていう動きを国王が自ら排除しようとするだなんて……この国が腰抜けっていうのは本当みたいね。もう従属契約は絶対的なものじゃないのに……」



 少女は誰に言うでもなく一人呟くと、剥がした貼り紙をクシャクシャと丸めて捨ててしまった。

 彼女の名はシェリル・フロキオント。東方の国マグヌムの第一王女だ。シェリルは辺りをぐるりと見回す。辺りは通行人が行き交うだけで、誰も御布令を気に留める様子を見せない。従うでもなく抵抗するでもなく、ただただ自分には関係ないという諦念にも似た色が見え隠れする。


 反魔族意識を持つ民もいるのだろうが、抵抗の動きを見せれば国に罰せられてしまう。そのため、この国の民は事なかれ主義を徹底するようになったらしい。そこまで考えて、シェリルの表情は不愉快そうに歪む。上が腐れば、その下にいる者もまた徐々に腐り始めるのだ。



「(この国にはレジスタンスがいるって聞いたから期待してきたのに、本当にいるのかしら。とにかく、まずは探してみよう。このバズズを倒したっていう人と会えれば一番いいんだけど……)」



 取り敢えず、まずは探してみないことには何も始まらない。こうしている今も玉座でふんぞり返っているだろう国王を思えば、言いようのない複雑な感情が芽生えてくる。悠々と聳える王城を睨むように見上げて、シェリルは商店街へと足先を向けた。


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