032

「ナオミ!」

「アレックス。どうかしたの? 何か用?」


 屋敷に戻ったら来客があるって爺やに言われて応接室に来たんだけど、来客ってアレックスだったのね。馬車が無かったから気が付かなかったわ。次男とは言え、ボールマン伯爵家の令息が歩いてくるわけないから、きっと馬車は先に帰したのね。


「どうかしたのじゃないよ! 陛下からの呼び出しがあったんだって? また魔物討伐かい?」

「あら、耳が早いわね。そうね……そろそろ市井の名持ちからも話が広がる頃でしょうし、ここで話しても問題ないわね。実は……」


 お城での出来事は私にも衝撃的だったわ。正直、今もフワフワしていて現実感がないくらい。自分で納得するためにも、誰かに話すのは悪くない気がする。

 それに、自分が長く王都を空けることは屋敷の皆に話さなきゃいけないから、そこから話が漏れることは十分あり得る。時間の問題よ。


「そ、そんな……大魔王だって? 嘘だろう?」

「だったらよかったんだけどね。残念ながら事実よ」


 細身で線の細いアレックスが顔を青くすると、いつもの頼りない感じがより一層強くなるわね。もはや頼りないを通り越して儚げですらあるわ。守ってあげたくなっちゃう。


「に、逃げよう! 魔王殺しで名持ちの大魔王なんて勝てるわけないよ! 人の敵う相手じゃない!!」

「あら、逃げるって、何処へ? あの荒海を越えて、噂しかない新大陸へ向かうの? あるかどうかも分からないのに?」

「そ、それは……けど、ナオミが行く必要は!」

「私は行かなきゃいけないの。だって、それが勇者の役目だもの」

「そんな……なんで君ばかりこんな……神様は酷すぎるよ」


 アレックスは優しいわね。私のために、また泣いてくれている。

 蛇魔王討伐の時もそうだったわ。領内に侵入してきた蛇魔王を撃退しようとしたお父様とお兄様が討ち死にして、お母様は心痛で倒れてしまった。幼い妹のマリアに何ができるはずもないから、あのときは残された私がコナーズ子爵領をなんとかするしかなかった。

 その時に助けてくれたのがアレックスあなただったわね。私の事情を察して泣いてくれて、私の決意を聞いて手助けをしてくれた。伯爵を説得して蛇魔王討伐に必要な物資や大斧を用意してくれた。まぁ、ボールマン伯爵領はうちのすぐお隣だから、他人事じゃなかったっていうのが本当のところでしょうけど。

 ともかく、今私がコナーズ子爵家を継げているのはアレックスのおかげだわ。アレックスには感謝しかない。


「遠征の準備は陛下が進めてくださっているわ。五日ほどで整うそうよ。その後出征のパレードをして、そのまま大陸中央へ向かうことになるわ」

「そんな、たった五日しかないのかい? それじゃマリアと話すこともできないじゃないか!」


 コナーズ子爵領へは王都から五日の旅路。残念だけど、妹と顔を合わせている時間は無い。


「仕方ないわ。少しでも急がないと、大魔王が力を蓄えてからじゃ手遅れになるかもしれないもの。手紙を書くから、貴方から渡してくれる?」

「……わかったよ。僕に出来ることはそれくらいしかなさそうだ」

「自分を卑下しないで、アレックス。私、貴方には感謝してるのよ? 貴方が居たから私はこれまで生きてこられたの。貴方だから、妹を任せられるの」


 私はこの出征で命を落とすかもしれない。いえ、生きて帰れる可能性の方が低いでしょうね。

 でも、後のことは心配していない。私が死んでもコナーズ家は妹が継ぐことになっているし、その妹の婚約者はこのアレックス。優しいアレックスに妹も懐いているし、きっといい夫婦になると思う。


「分かった、後のことは任せてくれ。けどっ! 出来るなら、貴族としては言っては駄目なんだろうけど、キミの友人として言わせてくれっ! 大魔王なんて倒せなくてもいいから、生きて帰って来てくれっ!」

「アレックス……」


 アレックスは本当に優しい。

 でも、約束はできない。それくらい、今度の戦いは厳しいものになる。なにしろ大陸中央、数多の魔境に閉ざされた『中央大山塊』にその大魔王はいるのだから。

 王都から向かうなら、東の『ノイン大砂漠』を越えて行くのが最短距離。けど、あそこは災害指定個体『砂塵魔王』の領域。それに食料や水の補給も見込めないから進路には選べない。

 だとすれば、大砂漠を大きく南に迂回して『走竜の狩場』を北上するか、北から回り込んで『囁きの森』を南下するしかない。どちらも王都近郊とは比べ物にならないくらい、強力な魔物が跋扈する魔境。

 生きて帰れる保証はない。それどころか、大魔王の元へ辿り着ける保障すらない。それでも行かなければならない。誰かが大魔王を倒さなければ、この国が、いいえ、この大陸全土が蹂躙されてしまうもの。


「名持ちの英雄は君だけじゃない、他の国にもいるじゃないか! ラスタの『槍聖』や教国の『聖者』たちに任せれば!」

「アレックス、だから・・・私なの。分かるでしょ?」

「っ! そ、そんなっ!? 国はこんな、世界的な危機まで政治の道具にするのかっ!!」


 ダンッ!


「アレックス、落ち着いて」


 このテーブルは頑丈よ、拳は痛めなかった? 貴方は身体が細いんだから、荒っぽい事はしない方がいいわ。

 幸い、ティーセットは少し揺れただけね。喉を潤して落ち着きましょう。あら、もうこんなに冷たくなってる。新しいお茶を煎れてもらおうかしら。

 アレックスの怒りは理解できるわ。

 大魔王討伐ともなれば、世界全体の問題。長年の諍いを収めてでも協力して事に当たるべきよ。

 それ故に、だからこそ、討伐した暁にはその栄誉は計り知れないわ。倒した者たちは救世主として後世に語り継がれていくでしょうね。

 そして、その救世主を派遣した国も。

 目に見える利益は少ないでしょうけど、国際的な発言権は増すでしょうし、国民の支持は強固になるわ。なにしろ救世主を輩出した国ですもの。愛国心の向上策としては申し分ないでしょうね。

 それを見越しての、勇者わたしの派遣。もちろん他の国も名立たる名持ちたちを派遣するでしょう。それは必然。だから、たった五日後の出征なのよ。英雄は複数、大魔王は一体。早い者勝ちですものね。もちろん、倒せればの話だけれど。


「アレックス、私、犬死する気は無いわよ。何があっても諦めないし、倒せないなら逃げて機会を覗うわ。そして、何度でも挑戦して、絶対に大魔王を倒して帰ってくる。だって私、貴方とマリアの結婚式に出たいもの。そのために私は行くの。国のためじゃない、私の大事な家族のために」

「ナオミ……」


 ごめんなさい、私、卑怯よね。

本当は私、貴方の気持ちに気付いてる。でも、貴方は妹の婚約者で、次期コナーズ子爵の伴侶。そして、私はいつ命を落とすかもしれない勇者。一緒にはいられないの。

 そんな貴方の気持ちを利用して、私はお願いばかりしている。とても卑怯よね。

 でもきっと、それも今回で終わり。

 さっきは生きて帰ると言ったけど、それはきっと果たせない。勇者の私には分かる、魔王の中の魔王、大魔王ボン=チキングの底知れない不気味さが。

 こうしている間にも、大魔王は着々と力を溜めているに違いない。世界を恐怖と混乱に陥れるために。絶望の淵へ突き落すために。


 ああ、応接室から見える東の空はあんなにも澄み渡って綺麗。

 なのに、あの空の下には狂気が渦巻いているのね。

 そう思うと、あの空の青さが恐ろしいわ。



 よし、頑張れキキ! もう少しだ!

 おぉーっ、立った、キキが立った! 凄い、とうとう掴まり立ちが出来たよ! おーい、ママ! 今日はお赤飯だ!! って、もち米も小豆もないけどな。

 おっとっとぉ、危ない危ない、こけて頭を打つところだった。

 うーん、こけても大丈夫なように、これからは後頭部にクッションが付いた産着が必要だな。

 よし、パパ頑張って作っちゃうよ! 十着でもニ十着でも! パパの愛情は無限大だからね!

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