貴方の目は節穴でしょうか

瑪々子

第1話

ウェズリーは、婚約者のスカーレットを学園の校舎裏に呼び出していた。


「すまないが、君との婚約は破棄させてもらいたい。他に好きな女性ができた」

「……」


俯いて黙り込むスカーレットの、その眼鏡の奥の表情はわからない。

ウェズリーは構わずに淡々と続けた。


「家同士が決めた婚約だったけれど、君のように勉強ばかりしている令嬢とは、僕は合わないと思う。

その点、彼女はすべてが違うんだ」

「……どの辺りがですか?」


ウェズリーはその甘い顔に、うっとりするような表情を浮かべた。


「今までにも、僕は多くの令嬢を見てきたが、彼女はその誰とも違う。

愛嬌があり、会話も機知に富んでいて、とにかく一緒にいて楽しいんだ。笑顔がとても可愛くて、よく気がきく。一歩下がって男性を立てる謙虚さもある。僕は、彼女を幸せにすると決めたんだ」

「そうですか。

……ところで、ウェズリー様が私とまともにお話なさるのは、これで何度目でしょうか」


ウェズリーは少し怯んだ。

スカーレットとの婚約が決まってからも、眼鏡を掛けて堅そうな彼女の第一印象が気に入らず、さらに自分よりも遥かに成績優秀な彼女に引け目を感じて、彼女を正視しようともせずに、ずっと彼女をないがしろにしてきたからだ。

けれど、スカーレットが目を伏せたまま、控えめな態度でいるのをよいことに、ウェズリーは強気に口を開いた。


「そうだな。……君との婚約が決まってから、2回目……いや、もしかしたら初めてかもしれないな……。

とにかく、君との婚約は破棄させてもらうよ」


スカーレットはふっと笑った。


「はい、承知いたしました。

……貴方様の目は、節穴でしょうか?

いえ、節穴だったのですね」


思い掛けないスカーレットからの反撃に、ウェズリーの顔には隠し切れない怒りが浮かぶ。


「何だって?

はっ、僕に婚約破棄されたからといって、捨て台詞か。

……まあいい。君と話をするのも、これで最後だろう」

「ええ、間違いありませんわ。

では、失礼いたします」


スカーレットは一礼すると、心なしか軽い足取りでその場を去っていった。



その近くを通り掛かった、ウェズリーの友人のエリオットが、少し眉を寄せてウェズリーに歩み寄ると、彼の肩を叩いた。


「盗み聞きするつもりはなかったんだがな。

……スカーレット嬢は、お前にはもったいないほど素晴らしい女性だぞ。本当に婚約破棄していいのか?」

「ああ。むしろせいせいしたよ」

「誰かに横から彼女を攫われても知らないぞ?」

「構わないさ。

学年トップを彼女と争い合う君なんて、お似合いなんじゃないのか?

僕には、あんな勉強ばかりの女性は御免だけどね」


エリオットが呆れたように溜息を吐いた。

「……お前、本当に見る目がないな」

「何とでも言ってくれ。僕は、心から愛する女性を見付けたんだからな」



立ち去るウェズリーを背にして、エリオットは、スカーレットの後ろ姿に駆け寄って行った。


「……スカーレット!」

「あら、エリオット様」


エリオットは、スカーレットが明るい顔をしているのを見て、ほっと胸を撫で下ろした。


エリオットはスカーレットに近付くと、小声になって囁いた。


「君は、あれでよかったのかい?」


スカーレットはくすりと笑うと頷いた。


「ウェズリー様とのやり取りを見ていらしたのですね。

私もこれで、もうウェズリー様の顔を見なくて済むと思うと、清々しい心地です」

「ウェズリーは、まったく君に気付かなかったのかい?」

「ええ、ちっとも。

面白いくらい、全然気付きませんでしたわ。

私に気付くように、ヒントだって織り交ぜて話しましたのよ?

でも、あの方、自分の話ばかりに夢中になって、私の話なんて、てんで聞いていないようでした。


……エリオット様のくださった助言には、とても感謝しています。

まさか、別人を装って近付いて、本当に私だと気付かれないとは思いませんでしたわ」


スカーレットとエリオットは、学園では学業成績1、2を争うライバルでもあったけれど、良き友人でもあった。

眼鏡姿で一見地味なスカーレットが、委員会で多くの仕事を押し付けられている時に、そっと手を貸したのがエリオットだった。

それをきっかけに、2人は、一緒に勉強したり、何でも相談したりし合える仲になっていた。


ウェズリーは、スカーレットよりも家格が上だったけれど、甘やかされて育ったところがあり、その能力を不安視されて、しっかり者のスカーレットとの縁談が決まった。

けれど、スカーレットは、婚約者のウェズリーが逃げるように、まったく彼女と向き合おうとしてくれないことに悩んでいた。


エリオットはそんな彼女の相談に乗り、別人を装ってウェズリーに近付くことを提案したのだった。


ウェズリーの友人でもあったエリオットは、彼の性格を、そしてその浅薄さをよく知っていた。そして、眼鏡を外したスカーレットが、実はとても美しいことも知っていたのだ。


そんなことは上手くいくはずがないと、スカーレットは、はじめは戸惑って首を横に振った。

けれど、物は試しだと、本を読む時以外は眼鏡がなくても支障のなかったスカーレットは、眼鏡を外し、髪の結い方を変え、少し化粧と服装の雰囲気を変えてウェズリーに近付いた。

それまでスカーレットを避け続けていたウェズリーは、まったく彼女の正体に気付かないどころか、ころっと彼女に靡いたのだった。


そして、冒頭の婚約破棄に至る。


「君が、君の正体さえウェズリーに明かせば、ウェズリーは喜んでそのまま君と結婚したのだろうけれど……」


エリオットの言葉に、スカーレットは苦笑した。


「ウェズリー様とお話して、彼がどのような方なのかがよくわかりました。


家の事情で決まった婚約ではあるものの、円滑に運ぶよう努めるつもりで、はじめのうちは、結婚までにウェズリー様と互いの理解を深めておければと、そう思っておりましたが。


結婚前に彼の人となりがわかって、本当によかったですわ。

無事に、婚約破棄もしていただけましたし」


「じゃあ、あの婚約破棄は……?」


「ええ。彼にこの前、私であるということを隠して会っていた時、私から、ウェズリー様に仄かしたのですよ。家格の低い私の方から、婚約破棄するのは難しいですからね。


結局、そんな私にすら、ウェズリー様は気付かれていらっしゃいませんでしたが」


ふふっと微笑んだスカーレットは、眼鏡を外すと、その澄んだ瞳でじっとエリオットを見つめた。


「ウェズリー様との婚約が決まった時、よい婚約者になることを義務のように感じて、私を見ようとすらしない彼にどうすれば振り向いてもらえるだろうかと、そればかりを考えて必死になっていました。そのせいで、大切なことを見落としていたようです。


エリオット様は、私の言葉に真摯に耳を傾けてくださり、いつでも私に手を差し伸べては、力を貸してくださいましたね。


……こんなに近くに、こんなに素敵な方がいるのに、長い間、そのことに気付かずにいたなんて。

私の目の方こそ、節穴だったのですね」


エリオットは目を丸く見開いた。その端正な顔中が真っ赤に染まる。


「君は、僕の気持ちに気付いて……?」


スカーレットも頬を染めると、ふわりと笑んで頷いた。


「ええ。

ようやく最近になって、ですけれど」


エリオットは照れて頭をかいてから、その両手でスカーレットの手を包み込むと、真剣な眼差しでスカーレットを真っ直ぐに見つめた。


「改めて言わせてもらうよ、スカーレット。


僕は、君のことが好きだ。君のことをこれからも大切にすると誓うよ。

僕と、婚約してもらえませんか?」


スカーレットはにっこりと嬉しそうに笑った。


「はい、喜んで」


***

ウェズリーは、身勝手な婚約破棄をしたことで、現当主である父からこっぴどく叱られ、彼の家は彼の弟が継ぐことになった。


彼が愛した令嬢は、幻のように彼の前から姿を消してしまい、彼が血眼になっても探し当てることはできなかった。


ようやくウェズリーが彼女の姿を見付けた時、彼女は、友人エリオットの結婚式で、純白のウェディングドレスに身を包み、花婿に向けて幸せいっぱいの笑顔を浮かべていた。

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