第2話 1人目

 笑顔を顔にはりつけた長乃おさのは、デスクで仕事をするかたわら、しばらく最川さいかわを観察していた。

 真向かいの席の彼女の、大きな猫のような目。垢抜けたショートのくせ毛。流行りのファッション。しかも仕事も早いし、人付き合いも上手い。

 完璧に近い人だ。時々、なんともいえない黒い雰囲気を感じるが。

 

「長乃さんできましたー……」

 

 力の抜けた声で呼びかけられ、振り向く。部下の一谷いちたに杏奈あんなが、書類を差し出してきていた。目にクマを作り、頬もこけている。

 長乃は唇を意識して吊り上げた。

 

「さすが一谷いちたにさん、仕事が早いわね」

 

 一谷の表情に、ほんのりと嬉しそうな色が乗った。

 彼女は部署で一番仕事を頑張っている。

 

「でも少しペースを落としてもいいのよ。体を壊したら元も子もないんだから」

 

 一谷は目に力を込め、拳を握り、

 

「いいえ。私、長乃さんみたいに仕事ができるようになりたいんで!」

 

 どうやら、憧れられているらしい。

 くすぐったくて、本心からクスッと笑った。

 すると、最川が首を伸ばした。

 

「五島さん。書類メールで送りました。ご確認お願いします」

「あら。もう?」

 

 長乃の予想よりずっと早い。

 一谷も驚いている。

 

「最川さんの飲み込みが早すぎる……」

 

 一谷は圧倒されている。彼女はプライドが高く、競争心が強い。

 長乃はほほえみを浮かべ、あえてこう言った。

 

「ありがとう。最川さんは仕事ができて助かるわ」

 

 一谷の表情に乗る色が、みるみる変わった。ドサリと椅子に腰を落としてから、パソコン画面を睨み、一心不乱にキーボードを打つ。

 狙いどおりの結果に、長乃は満足した。

 一谷さんはちょっとプライドを傷つけられたくらいで、挫けたりしない。もっと上へ行こうと、努力できる人だ。

 この先、きっといいことが起こる。

 最川の猫のような瞳が、一谷の上で止まっているのも、見逃しはしない。

 

 

 

 その日、一谷は終電ギリギリで、自宅のマンションへ帰った。

 ヘトヘトでドアを開け、スイッチを押して、玄関を暖色で照らした。

 結構いいマンション。広く、壁もツルツルしている。廊下の先の真っ暗な部屋には、誰もいないが。

 寂しくはない。もうすぐ、大きな家で主夫志望の彼氏と暮らすから。

 お金には苦労していない。職場での頑張りが認められ、給料が上がったのだ。最近では憧れの長乃よりもらっているかも。

 疲れていても、大好きで尊敬しているあの人に届くと考えたら、満足感や達成感に満たされた。もっと頑張ろうとすら思えた。

 ただ、足がズキズキとする。

 

「このヒールキツイな。土日新しいの買いに行こう」

 

 靴を脱ごうと、しゃがんだ。

 玄関のクローゼットから、音もなく滑り出る、猫のような目の女にも気づかず。

 小柄な女の手に握られた太いロープが、一谷の首にかけられた。

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