人類が存続する限り

「久しぶり。志織ちゃん」


【日本国 兵庫県神戸市中央区三宮 喫茶"ヴォイス"】


志織は驚いた。自分に対する呼びかけに。ではない。呼びかけた旧友の姿に、驚いたのである。

喫茶店の奥、いつもの席に座っていた老いた女性の左手が、義手に変わっていたから。前に会った時は生身の腕だったというのに。

彼女の対面に座る。荷物を置く。給仕にアールグレイを頼む。

口を開いたのは、旧友が先だった。

「これ、びっくりした?」

「びっくりしたわよ。希美、大丈夫だった?」

「うん。向こうにいた時、ちょっと爆発が近くであってね。運がよかった。腕一本だもの」

「無茶しないで。もう歳なんだから」

「お互い様。志織ちゃん。忘れちゃった?私と志織ちゃん、同い年なんだよ」

言われて志織は思い出す。眼前の女性は。かつての同窓生だった希美は、人並みに老いている。今、六十八歳だ。自分と同じに。

「えへへ」

「どうしたの」

「うん。これで私もようやく、志織ちゃんとおそろいだなって思うとうれしくって」

言われて、志織も思い出す。遺伝子戦争期、何本もの手足を失った事実を。そのたびに失われた部位は再生し、元通りとなった。遺伝子戦争以降四肢を失ったことはないが、今使っている腕が何本目か覚えていないほどだ。

「今年は二〇六六年。遺伝子戦争は二〇一六年。もう五十年なんだよ。志織ちゃん」

「すっかり忘れてた。この五十年、あんまりにも忙しくて」

「志織ちゃんは次の五十年もそうなんだろうな。って思うの。間違ってるかな?」

「どうかしら。分からない。だってもう、神々との戦争は終わるもの」

「だよね。第五世代がもうすぐ実戦投入されるんでしょう?それのおかげかな」

「たぶんね。正直、信じられないくらい凄いことになってる。都築博士と知性強化動物を作り始めた頃には想像もしていなかったくらいの」

「そっか。よかった。ミン=アが言っていたことは、これでようやく全部否定されたのね」

「そうね。彼女の言っていたような未来は来なかった。人類は自らの自主と尊厳をついに取り戻した。私たちが勝った。失ったものは大きかったにしても」

「そうね。たしかに犠牲は大きかった。今もたくさん支払っている。そうするだけの価値はあったと、私は信じてるけど」

希美は、自らの義手に視線を落とした。この半世紀、ごくあたりまえに普及したテクノロジー。遺伝子戦争以降人類を支えてきた重要なテクノロジーのひとつ。今でも街中に行けば幾らでも義体者を目にするだろう。

「志織ちゃん。私ね。引退しようと思ってるの」

「そう。大変な決断だったよね。お疲れ様」

「うん。本当は最後まで戦争を見届けたかったけど、これで決心したの。潮時だなって。この歳まで生きてこられただけでも凄い贅沢。戦場じゃあなく、ここから。神戸から、戦争が終わるのを見届けることにする」

ふたりは、窓の外に目をやった。古びたアーケード街。復興から半世紀弱。神戸はすっかり、歴史ある街並みと言った風格を取り戻していた。ふたりとも老いるはずだ。

「志織ちゃん」

「なあに?希美」

「私は戦場から去る。それだけじゃあない。いずれはこの世からも去る。まだ先のことだろうけど。だから聞いておきたいの。

志織ちゃんは、私がいなくなっても独りぼっちじゃあ、ないよね?大丈夫だよね?」

「―――希美……」

「ごめんね。でも確認しておきたかった。いずれ私が先に死んじゃうから。あと三十年は生きるつもりだけども」

「……大丈夫。私は独りぼっちじゃない。たくさんの人が周りにいてくれる。知性強化動物たちはもちろん、同族たち。希美みたいな普通の人たちとだって、別れと出会いを繰り返していく。人類が存続する限り私は生き続ける。だから、心配しないで」

「うん。安心した」

そうして、希美は。人類史上初めて不死者の友を持った女性は、笑顔を浮かべた。

やがて注文したアールグレイが来た時点で、ふたりの話題は世間話にシフトしていった。




―――西暦二〇六六年、神戸にて。樹海大戦終結の前年、遺伝子戦争勃発から五十年目のある日の出来事。

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