天岩戸
「なるほどな。まるで
【東京都港区赤坂 料亭"松風"】
山田三郎防衛相は苦笑した。彼がなぞらえたのは、天照大神が弟神の乱暴狼藉を畏れて岩戸に籠ったという神話。それを連想させる出来事が、今まさに進行しているところだったから。
落ち着いた空間であった。
穏やかな照明に照らされているのは和室。料亭の一室であるそこで下座に就いているのは、部下である女性だった。少女に見えるがそれは彼女が不老不死だからであって、実際にはとっくに還暦を過ぎている。焔光院志織。この英雄からの報告を、防衛相は受けていたのである。
色とりどりな季節料理を視覚で堪能する。箸で酢ものをつまむ。美味い。咀嚼し、飲み込み終えてから、防衛相は続きの言葉を口にした。
「しかしそうか。たしかに我々は甘えていたのかもしれん。知性強化動物たちの聡明さに。言われてみれば、確かにまだ二歳に満たない子供だ。にもかかわらず、自分が何か失敗するだけで世界が終わるとなれば、心を病むだろう」
「はい。元より知性強化動物のメンタル面のケアの重要性については周知されてきました。そのためのノウハウもありました。しかし今回は、過去の事例とは異なります。第五世代の性能はそれ以前とは一線を画します。今まで人類全体を滅ぼす力を備えた知性強化動物はいませんでした。今回が初の事例です。それも予定より三カ月あまりも早く。当人の準備ができていないのです。本来であれば、数日の誤差で48名の九頭竜全員が、一斉に成熟していたはずです。そのために第四世代の段階で綿密にデータを取っていたのですから。数日の範囲内であれば問題はなかったでしょう。成熟したばかりの第五世代には戦闘能力はありません。この子供が懸念するような事態にはならなかったはずです」
「既存の知性強化動物と同様に、か……何事も予定通りにはいかないものだな。
我々がいじっているのは生命なのだ。と言う事実を時々忘れそうになる」
「同感です」
「この子供……名前はなんといったか」
「"いずも"です」
「そうか。このいずも、という子が感じている恐怖は想像を絶するものなのだろう。我々が今まで誰も直面したことのないものなのだからな。対する私たちは、正直に言えばそこまで危機感を抱いていない。都市ひとつを更地に出来る生物と当たり前に共存してきたからな。今回の件もその延長線上だ。感覚が麻痺していると言ってもいい。平和ボケの誹りを免れんな」
「とはいえ、できることが少ないのも事実です。現在、様々な角度で当人とコミュニケーションを図っていますが、あまり成功しているとは言い難いのが現状なのです」
「他の大人になった第五世代を連れて来い、か……そうするしかないのだろう。後どれほどかかる?」
「順調に行けば
「やれやれ。EUに頭を下げておくとしよう。成熟したら、子供をすぐにうちの子に会わせてやってくれ、と。
焔光院くん。対面の準備を頼む」
「承知いたしました」
必要な指示を下し終えた防衛相は、食事に舌鼓を打った。この料亭は遺伝子戦争以前からの老舗だけあって、内密の話をするにはもってこいだ。公的にはまだ伏せてある、今回のようなデリケートな事例では。
「ところで焔光院くん」
「はい」
「戦後はどうするつもりかね。君もいい歳だ。身の振り方は考えているのかな」
「そうですね……軍事畑一筋でこの半世紀、やってきました。今更他の道となると、なかなか思いつきません」
「何ならうちから出馬してみないかね。君ならどこの選挙区でも間違いなく当選するだろう」
「は、はあ……」
目を白黒させる志織。本当にそういう方面については考えていなかったのかもしれない。
そんなこんなをしていると。
「失礼します」
そう告げて入室してきたのは黒服の男だった。志織の部下である。彼はそのまま志織に耳打ち。
男を下がらせた志織は防衛相に向き直ると、口を開く。
「予定外に早い成熟を迎えたのはいずもひとりではなかったようです。ナポリ海軍基地で、テュポンのひとりの成熟が確認された、と」
「ほう。果たしてその子は、岩戸に籠った女神を引っ張り出す
「私がそれに答えるのもどうかと思いますが」
防衛相の問いかけに、"天照"の神格名を持つ英雄は苦笑した。
―――西暦二〇六五年二月。いずもとベルナルが出会う四日前の出来事。
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