新たなる明日へ
「お互いのことを知らないまま、私たちは戦った。そうしてみんなが傷ついたんだ」
【西暦二〇一八年二月 オーストラリア連邦ビクトリア州メルボルン東30km】
どこまでも広がる青空の下だった。
雲海へと影を落としながら巡航するのは赤い女神像である。甲冑を纏い、兜で顔を隠した巨神は追われていた。翼を持ち、ジェットエンジンで駆動する飛行機械―――F/A-18E/F戦闘機に。
女神像を追跡する彼らは、翼下に備えた円筒形の兵器を射出。幾つもの細長いそれは、自律航行能力を持ち、目標を追尾する機能を備え、ダメージを与えうる距離まで接近した時点で自爆する。一種の無人航空機。それも、電子励起爆薬を内蔵し、強力な推進機関を備えた対神格ミサイルだった。
解き放たれた知能機械たちは前方の女神像を各々追尾。対する女神像は速度を上げた。恐るべき猟犬どもの追跡をかわすべく、完全に慣性を無視したジグザグ軌道を実行したのである。
数本が目標を見失い、明後日の方向へ飛んで行った。それでも食らいつこうとするミサイルもあったが。
空中で反転した女神像が手にしていたのは、弓。
同時につがえられた四本の矢は、一拍の間を置いて射出された。
突っ込むミサイルの数は六つ。それに向けて投射された20トンの質量は、自ら意思を持つかのように音の60倍の速度で飛翔した。一本がミサイルを貫通、爆発させる。更に二本目も。三本目が目標を撃ち漏らし、四本目は役目をまっとうした。矢でカバーできなかったものも含め、最終的には残った三本のミサイルが女神へと殺到する。
爆発は強烈だった。強烈なエネルギーが女神像を打ち据え、そしてその姿を覆い隠したのである。
その遥か後方。猟犬たちを放った主人のひとつは、戦果を確認しようとし―――ふと、真上に影が差したことに気付いた。ほとんど瞬間移動としか思えぬ速度で女神像が出現したのだ。
無傷?―――いや。それを健在と言い切ることはできぬ。背より伸びた巨大な翼は脱落し、そこかしこにひび割れや損傷が見られたからである。しかしその戦闘力がいまだ残存しているのは明らかだった。
戦闘機になすすべはなかった。
女神像が伸ばした手は、そのキャノピーを抑えつけ、中身を握りつぶす。
パイロットを失い落下していく敵機から興味を失って、女神は再び弓を構えた。
矢筒から抜かれた四本の矢を指に挟み、同時につがえる。
放たれた矢は別々に飛翔し、残る敵機へと飛翔。標的となった彼らは回避軌道を取るが、躱しきれない。
炎の華が四つ、空に咲いた。
敵を撃破した女神像は次なる敵を探し―――
突如、雲海が爆発した。
急上昇してくるのは幾つもの神像。争い合う彼らは刃を交えながら上昇していく。
赤の女神像もそれを追って加速を開始した。
◇
「おおおおおおおおおおっ!!」
重厚な矛の一撃が振るわれた。叙事詩にも謳われるであろう鋭い攻めが、相手の胴に潜り込む。
振るった者は、ゆったりとした衣の上から甲冑と武装を身に着けた蒼い巨神―――勇壮なる武神像。
彼は己の勝利を確信した。攻撃の結果をより確実なものとすべく、矛を持つ手に力を籠める。
果たしてそれを、慢心と責めることなどできようか。
矛が動かない。まるで万力で固定されたかのようにがっちりと、傷口へと食い込んで外れないのだ。
否。
それは傷口ではなかった。まるで刃が、癒合しているかのように飲み込まれていたのだ。
武器を手放す判断は、わずかに遅れた。
敵のそばに滞空していた帯が伸び、まるで鋭利な刃物であるかのように武神像の首を落としたのである。
次いで右腕。左肩。胸部が切り裂かれ、胴体が両断された段階で、武神像は砕け散った。
それを成し遂げたのは、黒い女神像。
―――宵闇よりもなお昏い、漆黒の月神だった。
額に冠を付け、顔をヴェールで覆い、長衣を纏い、そして幾本もの帯を周囲に浮遊させた大いなる女神像。
彼女は、己に刺さった矛を引き抜いた。後には傷一つなく、そして抜き取られた矛は空中で霧散する。
漆黒の女神が敵を探そうとしたその時、帯の一つが突如はじけ飛んだ。
女神像が視線を向けたその先。
そこにいたのは、ライムグリーンが美しい、宝石のように透き通った女神像であった。
彼女が抱える大口径レーザー砲は、持ち主からエネルギー供給を受けて第二射を投射。
レーザーの射線から辛くも逃れた漆黒の女神は、左腕を向ける。
何本もの帯が、縦横無尽に伸びた。
宝石の女神像―――"デメテル"へと襲い掛かったそれは、まずレーザー砲を切断。ついで左足を切り落とし、右手を破壊。
帯が彼女の首を落とそうというまさにその瞬間、漆黒の女神像へと何本もの矢が突き立った。
漆黒の女神は、新手の敵の名を叫んだ。
「―――ブリュンヒルデ!!」
矢を放ったのは傷も復元せぬままの赤い神像である。彼女は弓を投げ捨て、剣を抜くと言い放った。
「ヘカテー。あなたが裏切るとは。残念です」
ヘカテーと呼ばれた漆黒の女神像は、全身に突き刺さった矢を抜く。
かすり傷一つないその体をさらした彼女は、攻撃の手を止め敵手へと答えた。
「裏切ったわけじゃあない。あるべき居場所に戻っただけ」
「……確かに今のあなたからすれば、私たちのありようは酷く歪んで見えるのでしょうね……」
「ええ。あなたたちは友達だったけれど、でも、やはり敵。
―――墓にはなんと名を刻めばいい?」
「ぬかせ!」
戦いが再開される。
ブリュンヒルデは虚空より剣をもう一振り召喚、二刀流の構え。
そこへ、幾本もの帯が襲い掛かった。
迫る帯の速度は光速すら超え、無時間で伸びる。物理的に回避不能なはずのそれを、彼女は全くの先読みと勘のみでさばききっていた。
赤の女神像は、相棒へ向けて叫ぶ。
「デメテル!」
「ああ」
損傷を復元する間も惜しんで、その髪から幾つものミサイルが放出された。
飛翔しつつそれらを撃墜していく漆黒の女神だったが、撃ち漏らした一本が間近に迫り、起爆。
核融合弾頭が生じたエネルギーは自らをプラズマ化させ、そして生じた磁場で前方へ収束された。
強力なプラズマビームは、ボース凝縮し一個の"波"を構築していた巨神を直撃。強烈なエネルギーでその特異な超流動状態を破綻させ、そして肩口を破壊する。
「おおおおおおおおおおおおおおおお!」
咆哮と共にブリュンヒルデの突撃。
彼女の剣は、狙いたがわずヘカテーの胸に突き刺さった。
傷口からひび割れが広がっていく。
「―――どうして、こうなっちゃったんだろうね……」
漆黒の繊手が、赤の女神像の頬へと当てられた。
問われたブリュンヒルデは無言。
「もっと生きたかった。普通の人間でいたかった。こんな化け物になんてなりたくなかった。
―――あなたたちを救ってあげたかった……」
赤の女神は、己の構成原子を励起させた。
焦点を眼前の月神へと定めると、力を解放。
物質の均衡が失われ、漆黒の女神像は内側から崩壊。広がる渦に飲み込まれていく。
―――取り戻して……自分自身を……
その言葉だけを残して、漆黒の女神像は消滅した。
それが、人類側神格ヘカテーの最期だった。
【西暦二〇六五年 オーストラリア連邦ビクトリア州メルボルン戦没者記念公園】
広大な公園であった。
中央の広場を背にするように巨大な石柱が並ぶ様子は、まるで古代の神殿を思わせる荘厳さ。実際にそこは、厳粛さを求められる空間ではあった。
噴水を中心に設置されていたのは、巨大な慰霊碑であったから。
「……思えば私たち、ヘカテーのこと何も知らなかった」
「そうだな。お互いのことを知らないまま、私たちは戦った。みんなが傷ついた」
慰霊碑を見つめていたのはふたりの少女。黒髪の一人は車椅子に座り、もう一人の金髪の少女はそれを押している。
二人が見ていた慰霊碑の周辺。幾つもある石板に刻まれた戦死者の名の、ひときわ目立つ場所に女性名が一つ刻まれている。
ミア・ファロー。
ヘカテーの本名だった。彼女はここでブリュンヒルデたちと戦い、果てたのである。彼女だけではない。多くの人々。オーストラリア軍を主力とする国連軍の兵士たちが亡くなったのだ。
殺したのは麗華でありドナだ。ふたりの意思でやったことではなかったし、彼女らだけでやったことでもないが、しかし神々の片棒を担いだのは事実だ。それでも、地球の人々はふたりを責めなかった。暖かく迎え入れ、治療を施し、病院でのリハビリにくじけそうになるのを励まし、式典に招待した。生還したふたりの縁者を探してくれさえした。ドナの家族は見つからなかったが、麗華は妹がまだ日本で生きていることを知った。妹は高齢であり、そして麗華は治療中の不自由な身であったからまだ直接の対面はしていないが、モニターごしに互いの生存を喜び合った。その様子はニュースでも流れた。
ふたりは、ゆっくりと公園の内部をめぐり始めた。様々な黒い石碑が立ち並び、その表面に刻まれた無数の名が読み取れる。やがて、公園内を一周すると、彼女らは中央の噴水まで戻ってきた。
「いざ自由になってみると、拍子抜けする。あんなに私を縛っていた思考制御がきれいさっぱり消えてなくなったんだ」
「凄いよね」
進歩した地球のテクノロジーは、ドナに施された脳内の思考制御を完全に無効化していた。驚くべきことだ。遺伝子戦争中から現代まで、連綿と続けられてきた研究の成果らしい。仮死状態から回復し、"デメテル"も脳内に戻されたドナを縛るものはもはや何もない。いや、定期的な検診は今後も一生、受けねばならないそうだが。神格の破壊力を考えればその程度はやむを得ないだろう。
麗華も、間もなくデメテルと同じ立場になる。車椅子生活をおさらばし、自由に動き回れるようになるはずだった。損傷して機能を損なった"ブリュンヒルデ"を再び脳内に組み込まれることで。
ブリュンヒルデの損傷は深刻だったが、修理が不可能なほどではなかった。思考制御機能を完全に無効化されたそれは、再び麗華の脳内に戻される運びとなったのだ。もはや麗華は、神格無しでは生きられない体だったから。今代わりをしているのは、首に埋め込まれた複雑な機械である。それで麗華の肉体を強化している多種多様な微小機械群の統制を取っていたが、現状ではパワーが足りなさすぎた。その結果が車椅子である。
幾ら安全とは言えあの神格が戻ってくるのは恐ろしい。とは言え、贅沢は言っていられない。麗華は健康な体を取り戻すため、"ブリュンヒルデ"を受け入れる覚悟だった。
「麗華。回復したら何をしたい?」
「まず故郷に戻って妹と会う。でも、それ以外はちょっと思いつかないかな。ドナは?」
「私も故郷の様子を一度目に焼き付けておきたい。誰も残っていなかったとしても。けれどその後は、君と一緒にいたい」
「私も同じ考え。どうしようか」
「いっそ宇宙に行くのもいいかもしれないな」
二人して、空を見上げる。そこには驚くべき構造物が存在していた。
赤道上を一周する、巨大なリング。明らかな人工物であるそれは、オービタルリングと言う宇宙工学の結晶だった。衛星軌道上に安定するそれは、地上へと伸ばしたテザーを上り下りするエレベータによって安価な宇宙進出を可能とするのだ。
ミカエルが言っていたのはあれだったのか、と、初めてオービタルリングを見上げた麗華は思ったものだ。
地球は確かに変わったが、昔ながらの街並みや風習も多く残っている。それが、確かにここは故郷なのだという事実を二人に訴えかけていた。
「ここは平和だ。戦争中とは信じられない」
「うん」
戦争は、人類の勝利に終わるだろう。そう信じられるだけのものを、彼女らはふたつの世界でさんざん見て来た。
「この世界でなら、どこにいようとも生きていけるだろう。君と二人でなら」
「うん」
「じっくり考えるとしよう。時間はもはや無限にある。自由な時間が」
「そうだね……」
ふたりの少女は天から大地へと視線を戻す。これから先、生きていくことになる大地を。
「さ、麗華。戻ろう。明日には検査。明後日には手術だろう?ここには治ったらまたくればいい」
「ええ、ドナ。きっと、また来ようね」
ふたりは最後にもう一度だけ慰霊碑を見ると、大切な名前を口にした。
「ヘカテー、またね」と。
二人の少女はその場から立ち去り、そして明日へと旅立っていった。
―――西暦二〇六五年二月。ヘカテーが戦死してから四十七年目、樹海大戦終結の二年前の出来事。
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