もやもやは発散しよう

「こんなところにいたのかい」


【東京都新宿区市ヶ谷庁舎 防衛医科大学校分室棟】


ベンチに座っていたいずもは、その声に顔を上げた。

通路脇の休憩スペースでのことである。立っていたのは両手に缶飲料を手にした青年。カジュアルな服装に、ダウンジャケットを羽織っている。穏やかな顔立ちの彼を、いずもは知っていた。

「燈火、おじさん……?」

「うん。横、座るね」

よっこいしょ、と外見に似合わぬおじさんぶりを発揮し、青年はいずもの横に腰かける。こうしてみると相火よりなお若く見えるが、彼は不死化処置を受けている。実年齢は六十手前のはずだ。

彼は、持っていたオレンジジュースの缶をいずもに手渡した。

「いずも。まずは無事でよかった。トラックにはねられたと聞いたよ」

「よくないよ。クリスマスも、正月もなくなっちゃった。検査して、訓練もしなきゃいけないんだって。神格の力で、誰かを怪我させたりものを壊しちゃ駄目だから」

「そうだな。コントロールできないものはなんであれ危険だ。安全に扱う方法は必要だ。最近はあんまり持っている人を見かけないけれど、昔は運転免許証と言うものをみんな持ってた」

「うんてんめんきょしょう?」

「ああ。僕が子供の頃の自動車は人間が操る機械だった。自家用車のものはもう絶滅危惧種だが、今だって軍用や工業用なんかだと普通に免許を持っている人はいる。動かすだけなら知識だけで十分だけれど、安全に動かすとなればそれができる人間だと証明してなきゃ危なっかしくて仕方ないからね」

「いずも、自動車じゃあないもん……」

「そうだな。みんなと遊びたいかい?」

「遊びたいよ。でももうダメなの。力いっぱいに遊んだら危ないもん」

「そうか……なんなら僕と遊ぶかい」

「燈火おじさんと?」

「これでも体は強化されてるからね」

「やだ。おじさんじゃなくて、友達やお姉ちゃんや妹たちといっしょに遊ぶの」

「はは。ま、無理強いはしないよ。けど君は一度、力いっぱいに動き回った方がいいかもしれないな。もやもやしたものを発散できる。

僕は道場の方を借りてちょっと運動してくるから、気が向いたらおいで」

「……」

告げると、いずもからみて血のつながらない大叔父にあたる人物は、通路の向こうに消えていった。


  ◇


【道場】


「来てくれるとは思わなかったよ」

「……」

道場で、燈火はずっと年下の知性強化動物と向かい合っていた。

互いに私服。体格は燈火の方がずっと大きいが、この身体強化者同士の対決ではそれは大した意味を持たない。相手の顔をしっかりと観察。黒い柔毛に覆われ、赤い隈取のような模様を備えた狐面にも似る"いずも"の顔は、ころころと表情が変わって面白い。本人に伝われば気を悪くするかもしれないが。

「さて。何をする?追いかけっこでもいいし、何かのゲームをしてもいい」

問いかけに、知性強化動物は構えを取った。まだまだ未熟なそれを。腰をもっと落とさねば駄目だ。重心が前にずれすぎている。視線が定まっていない。尻尾が揺らめいている。

対する燈火は自然体を取る。相手は強化身体の初心者だ。まあ性能は向こうが上だが。

無言のまま、"遊び"は始まった。

いずもが突っ込んでくる。時速六十キロ。お世辞にも早いとは言えない。足さばきがまだまだだ。歩幅がまずい。あれでは右腕で殴り掛かるとき、踏み込みでしくじるだろう。

そこまで思案した段階で、燈火は両腕を上に振り上げた。

それだけで、腰の入っていないいずものパンチを、上に跳ね上げる。更に、燈火は突っ込んで来たいずもの両肩へと、両手を。下へと押し込む。体ごと下がったいずもの顔面へ、膝蹴りを叩き込む。

まさしくその瞬間、燈火は動きを止めた。ちょうど寸止めになる位置で。

「―――!」

「違うのにしようか?こういうのはまだ君には難しいと思う」

「……やだ!」

硬直していたいずもだったが、燈火の手を振り払うと後退。再び構えを取る。

「やるなら忠告だ。もっと腰を入れた方がいい。全身の回転をパンチに乗せる要領だな」

いずもは、忠告に素直に耳を傾けた。即座に腰の入ったパンチを繰り出したのである。

対する燈火は、両腕を。それも斜めに。まるで鳥が翼を広げるような動作で、パンチを下に払ったのである。踏み込みながら。

払ったのと反対、上に広げた右腕を振り下ろす。それは手刀へと変化し、いずもの首筋へと叩きこまれた。

直撃寸前、またもや寸止めされた手刀。それを見たいずもは、畏怖の眼差しを燈火に向けた。明らかに手加減されていることが分かったからだろう。

「防がれないように工夫するべきだな。守りの手薄なところを探すんだ。

それで、まだやるかい?」

返答は、攻撃だった。

いずもの技は繰り出されるたびに防がれ、破られ、報復として投げ飛ばされ、あるいは寸止めの打撃が繰り出された。その都度解決法が教授されていく。

ほんの十分ほどの間に、いずもは汗だくとなっていた。

「燈火おじさん、ずるい……」

「僕を殴り飛ばしたい?」

「……」

「そうしたいならすればいい。君はそのための手段を既に持っている」

「―――っ」

いずもは、言われた通りにした。

手を伸ばす。分子運動制御を働かせる。燈火を

いずもを圧倒していた人類最強の男は、不可視の力によって三メートルも吹き飛ばされてから落下。床に叩きつけられた。

「あいたたたた……さすがにこいつは効いたなあ」

ひっくり返ったままの燈火は動かない。当人の言う通り、かなりダメージを受けたらしい。

「ちょっとは気が晴れたかい」

「……」

燈火の言葉に、いずもは無言。

「ま、僕でよければ幾らでも殴り飛ばしていいよ。むしゃくしゃすることもあるだろう。どうにもならないこともあるだろう。それで機嫌を直してくれ、なんてとても言えないけれどね」

回復してきたか、燈火は身を起こした。

いや。起こそうとしてダウンした。

「やっぱり、燈火おじさん、ずるい」

「そうかな。そうかもしれないな」

踵を返し、道場から走り去っていくいずもを、燈火は見送った。

その視線は優しい。

「―――あ。しまった。お年玉、渡さなきゃ」

いずもが見えなくなった時点でようやく、燈火は重要な事を思い出す。とはいえすぐには渡せそうにない。

燈火はひっくり返った態勢を維持すると、回復に努めた。




―――西暦二〇六五年元旦。人類製第五世代型神格が実戦投入される二年前の出来事。

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