獣神とともに
「人間みたい。いいえ、みたい、じゃない。人間だ。このひとたち」
【
小さな都市の残骸だった。
何百年も前に放棄されたのであろう、山間部の小都市。ビルディングは崩壊し、舗装路は草が生い茂り、裂け目から木々が伸びてもいた。古代の遺跡。この惑星上に無数に存在する、超新星爆発以前の文明の残骸。
復興される事なく放棄された場所は、この世界の至る所にある。
そんな中を
「ここの地下―――コミューターが走ってたところを使ってるの。まあ仮の宿だけどねー」
一行の先頭を歩くのは、頭からは髪のように豊かな毛が生え、蝙蝠によく似た顔を持ち、手には肉球があり、そして全身がふわふわの毛で覆われた女の子。彼女こそが"
「私たちは、国連軍の特殊部隊。神々の軍勢の後方を脅かせ、って命令を受けてる」
その任務に神格は打ってつけだろう。メンテナンスを必要とせず、歩兵並みの物資で済む上に、大量の資材を自力で運ぶことができ、優れた通信能力を持ち、強力かつコンパクトで、樹海に容易に潜む事ができる。何より、それらを最大限に発揮できるだけの知能と判断力が備わっている。
先の戦争において、神々は神格をそのように用いなかった。元来が作業機械の延長線上として見ていたのもあるが、それ以上にあったのは、目を離す事への恐怖。眷属の反乱が相次いだ遺伝子戦争では、神々は想像を絶する被害を受けた。目の届かない場所で眷属を運用することができなかったのだ。
ゆえに彼らはあくまでも、決戦兵器や遺伝子資源採取の作業用として神格を用いた。人類は違う。人類側神格がそうだったし、現在も。人類製神格には———知性強化動物には、眷属のような欠陥がなかったからだ。
麗華も知らなかったことだが、人類製神格はそもそも思考制御機能が備わっていない。肉体である知性強化動物は人類の一員として教育されているから不要なのだった。彼らにとっての神格とは、身体機能を強化し、拡張身体としての機能を提供する頼もしい相棒であるし、第四世代以降に至ってはそもそも神格の機能が最初から組み込まれている。
「あなたの事は、あの輸送機を撃墜した後―――数日前から監視していたの。追手がかかるだろうから、それを一網打尽にしようと思ってね。
ごめんね、助けるの遅くなっちゃって。」
「いえ……助かりましたから。ありがとうございました」
「どういたしまして。
そうそう。体の方は大丈夫?首は?」
「だいじょうぶ、です。たぶん数日中には治癒すると思います。人並みには動けます」
「ならよかった
さて。ここからは足元に気を付けて」
ビルディングの基部だったのだろう構造より階段を降りる一行。既に日は落ちかかり、山々に遮られて暗くなっているが灯りは付けない。神格にそんなものは不要だからだった。自らが発する熱の反射を見ることで何不自由なく歩き回れるのだ。
とはいえ、それは体調が万全だったらの話ではあった。
「あっ」
ふらついた麗華を支えたのは、小さな手。
「だいじょうぶ、です……?」
「ありがとう」
「どういたしまして、です……」
助けてくれたのは小柄な少女―――のような姿の、白銀の何かだった。眼球は六角形の集まった黄金の複眼であり、全身がこれまた六角形の鱗のようなもので覆われている。一見切りそろえられた髪の毛に見えるのは、全体がひと固まりになった、やはり六角形の集合体。上着を羽織っている以外は裸身の彼女は異形だったが、美しかった。
彼女を間近で見た麗華は、ふと気付いた。六角形のいくつかが時折動くということに。その下から顔を出すのは小さな昆虫。いや、六角形自体が昆虫の背中なのだろう。
無数の昆虫が集まることで少女を象っているのだと、麗華は悟った。
やり取りを見ていたミカエルは、銀の少女に対して促す。
「ほら、自己紹介して」
「……日本統合自衛隊、"
日本語だった。それで、相手が同郷だと悟る麗華。
「日本の神格だったんだ。"蠅の王"の名前は知ってたんですけど。どこの国の神格かは知らなかったです」
「……日米、共同開発、です。アメリカ軍にもいっぱい、蠅の王はいます」
「なるほど……」
そうこうしているうちにも一行は、改札だったのだろう通路を抜け、更に階段を下る。
そこは、谷底だった。ただし、足元に敷かれていたのであろう構造は線路である。
山々を貫通する地下鉄の線路が露出しているのだ。ほんの百メートルかそこら先のトンネルを進んだ先の横穴の奥は、一服できるだけの広さを備えたスペース。かつては休憩所だったのかもしれない。
隅には木箱や物資が積み上げられている。
「とうちゃく」
はやしもが呟いた。
◇
「うわあ」
麗華は小さく歓声を上げた。久しぶりの―――それこそ半世紀ぶりの、人間らしい環境に身を置いていたからである。
その身を包んでいるのは女もののワンピースと、ジャケット。ブーツ。スカーフ。予備物資の中に何故か紛れ込んでいたとかなんとか。神格は巨神の中に幾らでも荷物を積み込んでおけるから、要救助者用に衣類などもある程度詰め込んであるらしい。二メートルの巨体をグレーの毛で包み、柔和なトカゲ顔をした知性強化動物―――
そして、床に敷かれたシートと並べられた料理。鍋には出来立てのビーフシチューが湯気を立てており、迷彩服の猿人がそれぞれの器によそおっていた。見事な調理の腕前を披露した彼の名を"
麗華の分のシチューも器たっぷりに入れられ、差し出される。
「ほら。あんたの分だ」
「あ、ありがとうございます」
―――人間みたい。いいえ、みたい、じゃない。人間だ。このひとたち。
麗華はここに至って確信した。彼ら彼女らは見た目こそ人間ではないが、内面は人間と同じだ。少なくとも区別がつくようなものではない。地球人類は、戦闘用の人造生命を人間として扱うことにしたのだろう。どの程度のものなのかまでは分からなかったが、知性強化動物が人間同様の暮らしを経験していたとしても麗華は驚かないに違いない。
幾つかの缶詰が並び、準備が整う。
夕食が始まった。
◇
「さて。食べながらでいいんだけど、色々と聞かせて欲しいんだよね。何があったのか。出身はどこか。とか。自己紹介からお願いしていいかな」
「はい。
私は蛭田麗華。一九九四年生まれの日本人。こっちに連れてこられたのは十六歳のとき……でした」
麗華は、ぽつりぽつりと語り始めた。
嵐の夜。記憶喪失。デメテルとの出会い。国連軍の夜襲を受けた事。初めて飛んだ感動。樹海の旅。あの街でのありすとの出会いと斉天大聖級との闘い。陣地にたどりついた時のあれこれ。記憶の回復と絶望。遺伝子戦争のこと。ヘカテーを殺したこと。十二年前、門が再び開いたその場にいた事。門を開通させた者たちが自分たちに対して述べた口上の記憶。国連軍との闘いの日々。
そして、デメテルとの再会。
すべてを語った。
皆が、黙って麗華の話を聞いていた。その七十年にわたる生涯についての全てを。
あまりの壮絶さに圧倒されていたのである。
遺伝子戦争期以前から生き残っている眷属はほとんどいない、と考えられている。遺伝子戦争でも三千体を超える眷属が撃破されたし、生き残った者もその大半は今の戦争に投入され、磨り潰された。麗華が今、ここで生きていること自体が奇跡と言っていいだろう。
麗華は人類と神々との関わりの歴史の生き証人なのだ。知性強化動物たちが知る限り、麗華より古い神格はほんの数名。今も地球で暮らしている人類側神格の一部くらいのはずだった。
「たくさん人を殺しました。都市を住人ごと吹き飛ばしたこともあります。なのにこうして生きている。私なんかより生きる価値のある人が、たくさんいたのに。本当なら私はもう、死んでいなきゃいけないのに。こうしてのうのうと助けられてる。安心してる。
生き汚いですよね。でも駄目なんです。死にたくないんです。生きていたい。もう七十歳のおばあちゃんなのに。十分生きたはずなのに。帰っても、待っている人なんて誰もいないのに。
こんな、人でなしの化け物が……」
いつしか麗華は食事の手を止め、手で顔を覆っていた。やがて聞こえて来たのはすすり泣き。
ミカエルは手を伸ばし、その背をさすってやった。
「あなたは化け物なんかじゃない。人間だよ。あなたが殺したんじゃない。やったのは神格。だから、ね。泣かないで」
「それでも。この世界で目覚めてからも、たくさん傷つけました。はやしもさんの姉妹や、いろんな知性強化動物の皆さんを。死んだひとだっているはずです」
「……わたしは、痛かったけどへいきです。ほかのひとも、きっと大丈夫。ゆるして、くれます」
「……?」
「ああ。あなたが目覚めた日に戦った相手は私たちなの。まさか、とは思ったけど」
「……これも縁、です」
はやしもは、顔を歪ませた。それが笑顔を浮かべたのだと知って、麗華も微笑み返す。涙の痕はそのままだったが、気持ちは伝わったはずだ。
よくぞ五十年弱でここまで進歩したものだ。というのが麗華の正直な感想である。
「……わたし、知性強化動物ってもっと兵器然としたものだと思ってました。でも皆さん、全然そんなことないんですね」
「知性強化動物は伝統的に、人間の家庭で育つの。だいたい週末、土日を過ごす感じかな。後の五日間は軍の施設とかだけどね。多様性があって愛情たっぷりの環境でないと、脳が十分に発達しないから」
「大人になって神格を組み込んでからも人間と同じに過ごす。休みの日には家族と買い出しに出かけたり映画を見に行ったりもするしな。仕事先は一律、国連軍になるが。俺はこの戦争が始まる前は、軌道上にある国連の研究所で宇宙工学の研究をしてたんだぜ。戦争が終わったら古巣に戻るつもりだ。この話をするとみんな"死亡フラグを立てるのはよせ"って言うんだが、こうしてちゃんと生き延びてる。気が付いたら研究してた時間より戦場にいる時間の方が長くなっちまったが」
「へえ……」
ミカエルと
「この戦争、もうそう長くはないわ。最前線にいてもそう思うもの。勝敗よりも、自分が終戦までいかに生き延びるかを気にする段階に入ってる」
「だな」
アデレードの言葉に呂布は頷いた。麗華も同意する。衛星軌道上を国連軍の艦隊が我が物顔で占拠している状況が何年も続いているのだ。神々の劣勢は明らかだった。
それに加えて、人類製神格の高性能化。これまで麗華は、強力な人造生物によくぞ人類はこれほどの武力を与えるものだ、と思っていた。今は違う。その疑問は実際に言葉を交わしてみて確信に変わった。人類は知性強化動物を信頼し、知性強化動物もまた人類に尽くしている。両者の深い信頼関係があってこそ、人類そのものを滅ぼせるほどに強力な知的生命体を戦闘に投入できるのだ。人間の兵士が人類製神格と肩を並べて戦っているのがその証左だろう。恐らく今の地球では、フランケンシュタイン・コンプレックスと言う概念は旧時代の迷妄になっているはずだ。
「ま、理想は神々が降伏してくれることなんだけどね。こればっかりは向こうもどう出て来るか分からないから。まだこの世界には、たくさんの人が残されてる。それを無事に返して貰うために、彼らの助命も選択肢に入れなきゃいけない。と、上の人たちは考えてると思う。破れかぶれで地球に致命的攻撃をしてきても困るし。そこも考慮して、人類は致命傷にならない攻撃をこの十二年間続けてきた。
神々も少子化で先がないとはいえ、後100年やそこらで滅ぶわけじゃない。乗ってくるとは思うな。
麗華には受け入れがたいかもしれないけど」
「いえ……」
麗華は首を振った。この惑星に囚われた人類と、そして眷属の素体となった人々が救われるとすれば今ミカエルが言った道しかないだろう。それはドナが還ってくる唯一の道でもある。反対する謂れはなかった。
それに、仮に神々が根絶やしになったところで、麗華の気が晴れることはないだろう。彼らの存在全てと引き換えにしても釣り合わない。今までに失ったものが、あまりにも大きすぎたから。
神戸は———故郷の地は一度、遺伝子戦争序盤に消滅したという事実を、麗華は知っていた。そこに居合わせたはずの家族や友人たちが生き残っている可能性は限りなく低い。もしその時生きのこることができたとしても、今度は寿命が来る。
麗華が眷属として過ごした五十四年の歳月とは、それほどの時間なのだ。
「こんな戦争、終わるのが一番です。犠牲が少ないならその方がいい」
「だね。
さて。食後の紅茶とコーヒー。どっちにする?」
「あ、じゃあコーヒーを……」
カップを受け取った麗華は、ひとくち。
美味かった。
地球からのコーヒーを味わいながら、晩餐は終わった。
この夜麗華は久しぶりに、暖かい毛布にくるまって眠った。
―――西暦二〇六四年四月。遺跡地下にて。人類製第五世代型神格が実戦投入される三年前の出来事。
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