地球から来たぬくもり
「やれやれ、デメテルが長話しててくれて助かったぜ。逃げられる前に間に合った。しかしお前スゲェ事すんな、ブリュンヒルデ。普通思いついてもやんねえぞ」
【
殺し合う少女たち。ふたりの様子を監視するアデレードは、安堵していた。レイカと言うらしい黒髪の少女が勝ちつつある状況に。助けが必要な状況ではないという事実に。
そのはずであったが。
「―――!注意して。」
それだけで、仲間たちには伝わったはずだ。現場周辺を取り囲んでいる知性強化動物たちの数は四。彼らはレーザーを用いて音を拾い、極小のドローンを飛ばし、あるいは単に優れた視力と望遠鏡を組み合わせて監視を続けている。その目的を果たすために。
異変を察知したアデレードの警告に従い、既に全員が臨戦態勢だろう。自身も準備を整える。いつでも巨神を呼び出せるように。
随分と待ったが、狩りの時間だ。
◇
銃声が響いた。
自らへととどめを刺そうとしていた麗華が弾かれたように後退する。それでデメテルは、邪魔が入ったことを、悟った。
全く気付かなかった。木々の合間から幾つものロボット歩兵が進出し、そして眷属たちが包囲網を形成しつつあったとは。
上空に飛来したのは、何柱もの大いなる神像である。
「やれやれ、デメテルが長話しててくれて助かったぜ。逃げられる前に間に合った。しかしお前スゲェ事すんな、ブリュンヒルデ。普通思いついてもやんねえぞ」
ささやかな風を巻き起こして出現した神々の眷属の一体。杵を携えた黄色の男神像にはデメテルも見覚えがあった。オニャンポコン。あいつ、生きていたのか。てっきりあの後全滅したとばかり思っていたが。最悪だ。巨神を使えるようになったとはいえ、麗華は重傷だ。逃げきれないだろう。
そしてまずいことはもう一つある。
麗華にぶん殴られたデメテルの体が、回復しつつあったのである。
立ち上がる。まだ足元がふらふらする。駄目だ。もう麗華に打つ手は、今度こそない。どうすればいい。何が起きれば彼女は救われる?
万策尽きたデメテルは、神に祈った。
ただ、友達が助かりますようにと。
神は、祈りに応えた。地球人類によって作り出された、獣神たちは。
次の瞬間に起きたことは、デメテルの理解を超えていた。
それは、衝撃波を伴ってやってきた。
明後日の方向からのは、暗灰色の長槍。六百トンの質量と音速の二十四倍の速度をもって飛翔する武装は、麗華を包囲する巨神の一体の背から胸へと貫通する。
致命傷だった。粉々に砕けた眷属の亡骸は、後からやって来た衝撃波によって吹き散らされていく。
巨神の残骸を薙ぎ払ったそれは、まず木々を揺らした。ついで、葉が消し飛び、あるいは木がへし折れ、根こそぎ吹き飛んだ。もはや爆風だった。
大混乱が起きた。自己防衛プログラムに従って被害を軽減しようとするロボットたちは、まるで逃げ惑う群衆だ。
それ以上に悲惨だったのはデメテルだったろう。不意を突かれた眷属の体は、まともに衝撃波によって吹き飛ばされたのである。それも、十メートル以上も。
立木に叩きつけられ、意識が飛びかけたデメテルは、見た。麗華だけが降り注ぐ災厄から身をかわし、冷静に巨神を召喚するのを。
赤い霧が立ち込める。自己組織化を開始する。麗華の肉体を呑み込む。
恐竜にも似た歩兵ロボットを踏み潰しながら顕現した赤の巨神は、腰から剣を抜き放つと、即座に精神を集中。その構成原子を励起させた。
焦点を眷属群の中心に設定して解放された
そして。
—――まるで竜巻から生まれたように、そいつが現れた。
眷属の一体を砕いたのは、帯。まるでそう見える物体が上空から、竜巻に沿って伸び降ろされているのだ。
―――ヘカテー?
危機に瀕したデメテルが幻視したのは、とっくの昔にいなくなったはずの月神の姿。己の祈りに応えて彼女は現れたのだろうか?
もちろんそんなはずはない。彼女は死んだのだから。
故に、今そこにいるのは別の者。
見上げた先にいたのはとぐろを巻く、巨大な蛇だった。虹色にきらめくその尾が伸長し、眷属を貫いていたのだ。
即座に消滅する眼前の尾。いや、一瞬で引き戻されたのだということを、デメテルは知っていた。無時間での挙動を可能とする
デメテルが茫然としていたのは一瞬。あれは麗華を助けようとしているように見えるが、それはすなわち敵なのだ。倒さねばならない。
脳に焼き込まれた禁則に突き動かされるように、デメテルは立ち上がった。そうする間にも上空では戦いが進む。残る眷属たちが虹蛇へと槍を投じあるいは
デメテルの巨神が、自己組織化を完了した。
麗華と虹蛇。どちらを攻撃するかは明らかだった。劣勢のオニャンポコンを援護する。ミサイルを投射し、"ブリュンヒルデ"の赤い女神像を後退させる。立ちふさがる。
もはや友との間に、交わすべき言葉は残ってはいなかった。どうするべきか麗華は理解しているはずだ。後は彼女が為すべきことを為してくれることを期待する。残るミサイル全てを、投じる。
二十近い対神格ミサイルが、赤い女神像を破壊すると思われた瞬間。
—――ふたつの巨神像の中央に、銀色の槍が突き立った。
次の瞬間に槍を掴んでいたのは銀の昆虫。
一万トンの質量が、忽然とそこには出現していた。
ミサイルはそこに降り注ぐ。いかな第四世代型神格であろうとも、防御もせずに一方的に撃たれればダメージは免れないだろう。
事実、そうなった。
銀の巨体がひび割れる。砕け散る。腕が脱落。下腹部が吹き飛んだ。半透明な羽根が四散する。
最後のミサイルが爆発した時、その姿は無残な残骸に過ぎなかった。
もちろん、それで終わりではない。蠅の王を殺すことはできない。この怪物が不死であることを、デメテルは嫌と言うほどに知っていた。
破片が浮かび上がる。流体がほどける。損傷部位が融合する。自己組織化を再開する。
たちまちのうちに、銀の昆虫は元の姿を取り戻していた。
巨神に偏在する蠅の王を殺す方法は一つしか知られていない。巨神を蒸発させること。ひとかけらも残さずに。
戦略級神格ではないデメテルに、そんなことなどできようはずもなかった。
銀の巨体は、大地から槍を引き抜くと切っ先をこちらに向ける。
デメテルは戦況を確認した。虹蛇と蠅の王だけではない。更に二体。他にもいるかもしれない。
戦況の不利を悟ったデメテルは、損傷したオニャンポコンの巨神を担ぎあげるを周囲を一瞥。その身を翻した。残る眷属たちもそれに続く。
人類側神格たちも、あえて追いはしなかった。
◇
戦いが終わり、麗華の周囲に集まって来た人類製神格の数は四。彼ら―――彼女らかもしれないが―――のうちの一体。蝙蝠の顔と翼をもつ"ドラクル"は、麗華に手を差し出した。
「来て。私たちはあなたの敵じゃあない」
疑う理由はなかった。だから差し出された手を、赤い女神像は掴んだ。
冷たいはずの流体の手から感じられたのは、温もり。
それは麗華にとって五十四年ぶりの、地球からやってきた暖かさだった。
―――西暦二〇六四年四月、樹海にて。麗華が国連軍に保護された日の出来事。
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