破滅の渦
「起きろ。アイザック」
【
ゆすられて目が覚めた。
アイザックが身を起こすとまだ薄暗い。交代で仮眠に入ってからまださほど経っていないようだった。
隣では相棒の猿人がハンドサイン。それに従って隠れ場所から視線を向けると―――
監視していた民家から、出てくるふたりの女性の姿があった。音をたてないように配慮しているのだろうか。外見からは普通の人間に見える。それもこの世界の。服装はここではごくありふれた、粗末なつくりのもの。
「現地人?」
「可能性はある。だが断言はできんな」
家から出たふたりは集落の外に進んでいる。朝靄が出ているが、アイザックのレーザー小銃ならば簡単に殺せるだろう。例え眷属だったとしても。
もちろん、人間かどうかわからない者を撃ち殺すわけにはいかない。レーザー銃の聴音機モードが使えればいいのだが、眷属だった場合気取られる危険がある。迂闊に使えば木々の枝葉が反射するため、わずかなレーザーの散乱すらも鋭敏な感覚器は察知できるのだった。
別のポジションに陣取った仲間たちも同様に考えていることだろう。脳内通信機で空電に偽装した電波をやり取り。あまり情報量を大きくするとやはり気付かれる危険が大きくなるから最小限だ。
短い作戦会議の後、相棒がその場から下がった。他の二人と合流するのだ。アイザックは十分な距離が開いた時点で子供を確保。残り三人があの女性たちの対処にあたる。斉天大聖は眷属に対して性能で勝っているから、もし敵であっても三人でかかれば余裕をもって処置できるだろう。
チームは、行動を開始した。
◇
まだ暗い森の中だった。
樹海を進むのは装いも新たにしたふたりの女性。
「……置いてきちゃった」
「やむを得ない。我々にはどうにもできないからね。忘れた方がいい」
「はい……」
ありすと名乗ったあの子どもはまだ眠ったままだろう。彼女が起き出さぬように、ふたりは出て来たのだった。
もっとも、近いうちに彼女が救助される可能性はかなり高い。デメテルたちと一緒にいる方がよほど危険だ。
もちろん、そんなことなど知らない麗華は厳しい目を向けて来た。
「……敵の目的は生きた人間だ、って言ってましたよね」
「うん」
「何のためなんですか?あんな凄まじいテクノロジーを持っていて、まさか働かせたりするためじゃあないですよね」
「……説明が難しい。ただ、それが彼らにとって必要な事なんだ。だから敵は、莫大なコストをかけてこの世界に侵攻している」
「じゃあ、聞き方を変えます。この世界と、彼らの世界。この二つの世界の歴史を教えてください。どう生まれてどう変遷してきたのか。その中における私たちの立ち位置はなんなのか。そう言ったことを」
「……それは」
「時間はかかっても構いません。どうせ後十日あります」
「……駄目だ」
「どうして」
「今の君に教えることは、私にはできない。禁則に引っかかる。頼む。その質問は撤回してくれ」
「デメテルさん」
「私は君に嘘をつくことはできる。だがそれはしたくない。だからお願いだ、麗華。聞かないで」
初めてだった。麗華が戻って来てから、デメテルがその名を呼ぶのは。
動悸が激しくなる。脂汗が額を流れる。禁則と良心に挟まれて、今すぐにでもショック死しそうな感覚をデメテルは覚えた。
「……じゃあ、デメテルさん。ひとつだけ。
あなたを信じて、いいんですか?」
「……それにはイエスともノーとも言える。非常に難しい問題だ。ほんとうに、今の私がそれに答えるのは。
……ひとつだけ断言できるのは、私は君のことを守りたい。ということだ。この旅が終わっても。君が記憶を取り戻したあとも、ずっと。
これだけは自信を持って言える」
ああ。いっそこのまま本当にショックで死んでしまえればいいのに。そうすればもう、友人を騙す必要はなくなる。
デメテルは心の底から、そう思った。
◇
―――集落から十分離れたな。どうする?
―――仕掛けよう。当てるんじゃないぞ。常人なら体がすくんで動けないだろうってあたりを狙え。眷属ならそれで馬脚を現すはずだ。
―――乱暴だな。だが了解だ。
―――こっちも了解。合図は任せた。
三人の斉天大聖。そのリーダーは、山道を行く二人の女性を左後方より追跡していた。仲間の位置関係を頭の中で整理。攻撃を仕掛ける計画を練る。もちろん命中させるわけではない。そのふりをするだけで十分だ。普通の人間ならばそれで身がすくむし、眷属ならば対処するだろう。当たるか当たらないかギリギリの所にするのが難しい。
もちろんプロフェッショナルである斉天大聖たちは、それを完璧にこなせるだけの練度がある。
タイミングを見計らう。手元に流体で出来た
木々の合間を抜け、三つの攻撃が同時に飛び出した。
その狙いであるふたりの女性は、攻撃に気付いていないように見えた。ごく自然に前進を続け、その手を上げ―――
金属音。
済んだ音と共に弾き返されたのは、
赤の剣とライムグリーンの長柄武器が、朝日できらめいた。
―――眷属だ!
リーダーは次なる武装を召喚。間髪入れず投じる。仲間たちも同様だったろう。ふたりの女性。いや、その姿をした眷属たちは走り出す。時速百キロ近い速度。追跡する側の斉天大聖たちも、同様の脚力を発揮する。
ちらり。黒髪の女が振り返った。向こうからはどう見えているのだろうか。知る機会はないだろう。何しろ奴らは今から、死ぬのだから。
先行する女たちは左右に別れた。かと思えば左側、リーダーが追跡していた側は木々を蹴って跳躍。三十メートル近い大木の
赤い霧が吹きあがった。
◇
地平線まで続く樹海。そこに突如、二つの霧が吹きあがった。
それらはたちまちのうちに収束し、自己組織化し、実体化し、そして振り返る。
そのすべての様子を、斉天大聖の若者は見上げていた。神格であっても生身で、眷属の巨体に見下ろされれば本能的な恐怖を感じる。そいつが武器をこちらに振りかぶっていればなおのことだ。
右側に出現した、ライムグリーンの女神像。仮面で顔を隠し、宝石のごときそいつが振り向きざまに振りかぶった長柄武器に、若者は総毛だつ。それが音速の五倍もの速さで振り抜かれる瞬間までもが視認できる。対処せねば衝撃波だけで死ぬだろう。
だから若者は巨神を呼んだ。
敵を追って空中に飛び出した猿人を核として、それは自己組織化を開始。虚空より伸びた
艶やかな毛並みを持つ猿人の彫像。額に環がはまり、棍を構え、派手な装束を身にまとい、そして京劇を思わせる仮面を側頭部につけた、一万トンの巨像である。
人類製第三世代型神格、"斉天大聖"の雄姿であった。
対するライムグリーンの女神像―――"デメテル"は、出現した斉天大聖と鍔迫り合いを続けながらも足から着地。木々をなぎ倒しながらもなんとか転倒を免れる。もう一体。赤い女神像はそちらを助けようとして。
続く二柱の猿神が、こちらも飛び出しながら実体化した。
赤い女神―――"ブリュンヒルデ"は、相方同様地面に着地した瞬間踏み込んだ。斉天大聖の一体に肩口から突っ込み、その質量を叩きつけたのである。吹っ飛んだ敵の反動で安定した赤い女神像は、もう一体へと剣を振るう。大質量の一撃は敵手の構えた棍に衝突。そのまま押し切ろうとして。
棍が、溶けた。
「―――!?」
黄金の武装の上端。そこが伸長し、そして口を開いたのである。赤い女神像の頭部がかみ砕かれなかったのは、咄嗟にのけぞったが故であろう。代償として兜が破壊され、少女らしい顔立ちが露わとなる。五十メートルの図体と赤い素材でさえなければ、生身と勘違いしたであろう精緻な造りだった。
追撃しようとして蹴り飛ばされる斉天大聖。間合いが開いた段階で、赤の女神はこちらへ―――宝石の女神と刃を交えている若者の方へ、剣を振るう。若者は後退して回避。
この段階でようやく、両陣営の動きは急より緩へと移行する。
とはいえ長くは続かない。わずかな時間睨み合った両陣営は、どちらからともなく踏み込んだ。
◇
「―――始まった」
アイザックは走る。樹海の入り口より、民家目掛けて。跳躍。家々の屋根を飛び跳ねてショートカット。飛び降りる。目的の民家の前にあっという間にたどり着いた。
山向こうでは凄まじい戦闘音。戦っているのだ。仲間たちが。やはりあの二人の女性は眷属だったのだ。彼らが敵を抑えている間に、子供を保護せねば。
用心しつつ扉を開く。トラップの類はないようだ。部屋を確認。奥まで進んでいく。幾つ目かの扉を開いた時点で、目的のものを見つけた。
ベッドで身を起こし始めていたのは小さな女の子。彼女が救助対象に違いない。寝ぼけ
「おはよう」
「―――ねこさん?」
「そう。ねこさん。ぼく、アイザックっていうの。君のともだちだよ」
「ねこさん……」
「君のおとうさんとおかあさんに頼まれて、むかえにきたんだ」
「おとうさんと、おかあさん?」
「ちょっとごめんね」
知性強化動物を間近で見るのは初めてなのだろう。彼女に自分はどう見えているのだろうか。よくわかっていないらしい子供に近づく。腰から簡易検査器具を取り出すと、子供の首筋に当てる。超音波が女の子の頭蓋の内を反響し結果はすぐ出る。
神格の反応なし。
安堵したアイザックは器具をしまうと、女の子を抱き上げる。急いで離脱しなければ。
巨神を召喚。場所はこの民家の真上だ。この際建物が壊れるのは勘弁してもらおう。どうせもう誰も戻ってこない。
上空で、巨大な存在が自己組織化を開始した。
◇
「クソ!こいつら手ごわいぞ!!」
斉天大聖の若者は叫んだ。リーダーの巨神は中破と言った損害。肉体に受けたダメージも大きいだろう。仲間と共に前に出る。リーダーを庇う。
眼前の宝石の女神はほとんどダメージを与えられていない。もう一方、赤い女神像はやや損傷しているがあの分ならばまだ、戦闘能力は保っているだろう。向こうも攻めあぐねているのか、踏み込んでくる様子はない。
司令部には既に連絡した。援軍が来るまでそれほどの時間は必要ないはずだ。
睨み合いが続く。
その時だった。
「子供の救出が完了。後退する」
聞こえてきたのはアイザックからの通信だった。目的は果たした。後はこの眷属たちを倒すだけだ。時間を稼げばそれは達成できるだろう。
だからだろうか。
猿神たちのずっと後方。集落の真上にアイザックの巨神―――"チェシャ猫"が着地し、口を開き、パクリ。とまるで食べるような姿で家ごと主と子供を体内に収容した時、それは起こった。
赤の女神が全身を励起させる。両腕を広げる。その視線が向けられているのは―――
後方のチェシャ猫!
咄嗟に阻止しようと動く斉天大聖たち。
遅かった。
膨大なエネルギーの手が伸びる。物質の安定を保つ電気的なエネルギーが低下。物質構造が砕け散り、ごく限られた範囲で同時多発的に発生したそれはたちまちのうちに連鎖反応を起こして拡大。集落の中央に生じた渦は、ついにはチェシャ猫の影をも飲み込んだのである。
―――こいつ!?
アイザックと子供が無事かどうかは分からない。チェシャ猫には瞬間移動能力がある。脱出する暇は十分にあったはずだ。無事を祈るしかない。
それよりも。
渦の拡大は尋常な勢いではない。エネルギーが、無差別に解放されたのだ。竜巻がすべてを吸い上げる。地殻が砕ける。気圧が低下し、周囲の大気が流入していく。街がめくれ上がる。続いて樹海の木々が。すべてが飲み込まれていく。膨大なエネルギーが谷間に閉じ込められる。それらが真上に吹き上がっていく。天候が急激に悪化していく。フルパワーで行使された権能は、破滅的な威力を発揮していた。被害はついには谷間全体を乗り越え、山をも飲み込んで、その外側にまで凄まじい破壊力を発揮し始めたのである。
もはや戦闘をしている場合ではなかった。いや、友軍に対して警報を出さねばならない水準だ。若者はそうした。
損傷した眷属たちを一瞥。渦がここまで広がる前に逃げねばならない。
「―――撤退だ!」
◇
「殺された―――!どうして。人間は殺さないんじゃなかったの!?」
巨大な
「―――!?」
「私だ。逃げよう」
「―――でも!」
「今なら逃げられる。相手も手傷を負っているから追ってきはしまい。それに君だって怪我をしている」
「―――はい」
麗華の手を引き、デメテルはその場を飛び去った。敵はあの子供を救助しようとしていたのであり、麗華自身が子供を殺そうとしていたのだ。と言う事実を告げることは、もちろんなかった。
―――西暦二〇六四年四月。国連軍の神格部隊が子供を保護して生還した日の出来事。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます