霧の中から

「―――大丈夫だ。その程度じゃあ君は死なない。私が死なせない」


樹海の惑星グ=ラス南半球東大陸東部 内陸部】


どこまでも、霧が立ち込めていた。

デメテルたちが進むのは道なき道。先の戦闘の後、前線を避けて見繕った地点に降下したふたりはそのまま、樹海を進んでいたのだった。

―――まずいな。

デメテルは懸念する。敵が歩兵部隊を繰り出し、こちらを狩り出そうとすることを。神格は不死ではない。生身を晒している限り、歩兵の携行火器でも殺せるのだ。彼らは数が多く、高度な訓練を受け、遠距離からこちらを発見する能力に長けている。発見され次第攻撃を受けるだろう。もちろんそれを生き延びても、今度は気圏戦闘機や知性強化動物がやってくるはずだ。都市を吹き飛ばせる火力を持つ眷属といえども、この有様だ。人類は強くなった。恐ろしいほどに。

共に進む麗華ブリュンヒルデは憔悴しきっている。先の戦闘が相当にこたえたらしい。子供が食われた。と信じているのがそれに拍車をかけている。実際は救助だったわけだが、知らないであの光景を目の当たりにすればインパクトは大だろう。とは言えあれほどのパワーで渦を使ったのはデメテルの想定外だった。出現したのは"チェシャ猫"だったから、瞬間移動で子供と共に離脱できていただろうが。遺伝子戦争期、オーストラリアでブリュンヒルデが渦を使った時の事を思い出す。ブリスベンが跡形もなく消し飛んだのだ。人口200万を数える東岸の大都市が。

今回の集落の破壊に対して、国連軍は報復を行うだろうか。人類集落に対する虐殺であれば確実にそうなっていただろうが、既に無人、最後に残った民間人も脱出したとなれば行われないと考えるのが妥当だろう。それを思えばかなり危なかった。現状を理解していない神格がどれほど危険なことか。まあ神々の都市が報復で幾ら吹き飛ぼうが、デメテルの知ったことではないが。

「大丈夫かい?ヒルデ」

「……はい」

麗華の顔色は悪い。先の戦闘での負傷も原因のひとつだが、やはり一度休ませるべきだろう。

「少し休もう。もうずっと歩き通しだ」

適当な斜面を見繕う。木陰に腰を下ろす。あの集落で手に入れたずた袋から、食料を漁る。

出てきたのは、よく焼き固められたパンだった。やたらと硬い保存食としての代物である。

眷属の握力にものを言わせて二つに引きちぎる。片方を麗華に差し出したデメテルは、自らもそれをかじった。

「デメテルさん」

「なんだい」

「あいつら……人間みたいでした。顔も。表情も。仲間を庇い合ってるところも」

「そうだな」

知性強化動物は人間同様の社会性を持つ。判明している限りでは、そもそも人体構造を付加された動物がその起源らしい。彼らは自らを人類の一員と定義しているからこそ、命を懸けて神々と戦っているのだ。人間の兵士たちと肩を並べて。

対するこちらはどうだ。

現状、麗華がデメテルに従っているのはそうしなければ死ぬからだ。それ以上の理由はない。何も知らないまま出て行けば、たちまちのうちに敵に殺されるだろう。そう思わせるだけの証拠が、これまでたくさんあった。だが、それを利用して麗華をコントロールしようとしているデメテルへの不信もどんどん大きくなっているのが分かる。当然だった。こんな下手くそなごまかし、あと何日もつことか。

そして、考えなければならないことはもう一つある。麗華を連れ帰れば、彼女はまた消されてしまう。神々の手による再調整を受け、ブリュンヒルデが復活するだろう。そうなればもう、麗華と再会することはできない。これは奇跡に等しい状況だったから。

どうにかしたいが、デメテルにはどうにもできない。友人を死地へと追いやろうとしているのは自分なのだ。これは、自分がいなければ解決するという問題ですらない。デメテルの助けを失えば、友人は間違いなく死ぬ。八方ふさがり。その事実に絶望する。

―――いったい、どうすれば。

悩む間にも口は動き、パンを咀嚼。長い戦争で、こういった習慣もすっかり染みついた。事態は常にデメテルの意思とは関係なく進んでいくのだ。

やがて、パンを食べ終わる。水筒で喉を潤す。麗華も同様だろう。

「行こうか」

立ち上がろうとして、麗華が霧の奥を凝視しているのに気が付いた。デメテル自身もそちらに視線を移し―――

紅い光が、灯った。

照準出力のレーザーセンサーだ。と気付いた時にはもう、手遅れだった。それは麗華の脇腹を指向していたから。

―――!

直後。発光が強まり、そして強烈なイオン臭が広がる。

「―――ぁ」

麗華が倒れる間にも、デメテルは腕を相手に。レーザーによって照らし出された、国連軍のパワードスーツに対して向ける。

分子運動制御を働かせるのと、パワードスーツの腕にマウントされた機関銃が火を噴くのは同時。

12.7mmの強烈な火力がデメテルに対して襲い掛かった。眷属の強靭な肉体すらも挽肉に変える弾丸はしかし、片っ端から赤熱してしていく。その運動エネルギーを熱エネルギーに転換されてのことだった。

されど、デメテルも攻撃を防ぐので精一杯。咄嗟のことに反撃する余裕はなかった。

それを隙と見たか、パワードスーツはスモークを展開。煙幕に姿を隠し、後退していく。

唐突に機関銃の攻撃が止んだ。弾切れになる前に逃げたのだろう。だがこれで終わりのはずがない。デメテルたちの居場所はもう、国連軍に露見したのだから。

「―――麗華!」

親友に駆け寄る。助け起こす。先のレーザーは、完全に貫通していた。いや、それどころか、右わき腹より下を焼き切っていたのである。明らかな重傷だった。常人ならば即死していただろう。

「……デメテル、さん………?」

「ああ。私だ。気をしっかり持て」

「わたし、死ぬんですか……?」

「大丈夫だ。その程度じゃあ死なない。私が死なせない」

麗華の体を担ぎ上げる。霧の向こうから幾つもの気配がする。狙撃手もいるだろう。レーザーの射程はこの霧では著しく短いが、こちらも敵の位置を把握できないという意味では条件は五分だ。動き続けるしかない。走る。銃声が響いた。レーザーが足元を焼く。飛んできた携行ミサイルを分子運動制御で跳ね飛ばす。敵は複数。恐らく十を超えるだろう。歩兵は振り切れるが、二輪バイクやパワードスーツ。ロボットと言った敵はついてくるだろう。

そして。

樹冠の合間からちらりと見えたのはドローン。それはこちらとつかず離れずついてきているように見えた。となれば、次に来るのは―――

爆発。

枝葉を突き抜け、上空から落下してきたのは迫撃砲弾だろう。歩兵が携行するこの火器は、重力を利用した放物線軌道で落下してくる厄介な兵器だ。ドローンを使って照準しているに違いない。進路を変える。一拍遅れて元の進路上が爆発。敵は手練れだ。すぐさま修正をかけてくる。ほとんどない余力を無理やり振り分けて分子運動制御。ドローンを。焼け石に水だろうが。ついてくるパワードスーツやロボットなどの敵を排除できない限りは。それでも逃げる。ここで死ぬわけにはいかないから。

それからしばらく経って、敵勢との距離が開いたことを感じる。逃げきれつつある?―――いや。

咄嗟に地面のくぼみを見つけ、麗華ともども飛び込む。

直後。

地面が、した。

迫撃砲や携行火器とは比較にならぬ大威力。砲兵部隊の仕業だろう。木々がなぎ倒され、大変なことになっている。それは身を隠すものが失われたことをも意味していた。ミサイルか、大口径砲か。もう一発受ければわかるだろうが、そうしたいとはとても思えなかった。

デメテルは急いでくぼみから飛び出すと、逃走を再開する。

友人を、生き延びさせるために。

死を賭した追い掛けっこが、始まった。




―――西暦二〇六四年。在来兵器による対神格戦術が確立してから半世紀。麗華が人類側神格として目覚めてから一週間が経過した日の出来事。

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