おばけよりこわいもの

「ただひとつだけお願いがあるとすれば、その力を悪いことだけには使わないで欲しいな」


【東京都新宿区 官舎 都築相火宅 トイレ】


『苦労してるか』

「まあね。父さんの頃もこんなことあった?」

『なかった―――とは言い切れなかったかな。知性強化動物が危険じゃないのかと考える人は昔は大勢いたよ。何しろ初めてだったからな。九尾は』

相火はスマートフォンを持ち直した。通話相手は刀祢である。今部屋で布団を被って隠れてしまったいずもについて相談しようと電話をかけたのだった。

「昔はどうしてたの?」

『危険でも、それを受け入れるしかない。っていう意見が多かったよ。何しろ戦争―――遺伝子戦争からまだ2年しか経ってなかった。神々のテクノロジーの解析は始まったばかりで、そんな中でいち早く実用化された、人類オリジナルの技術が知性強化動物だったんだよ。神々と戦うのに神格は絶対に必要だったからな。静岡が消えた日のことは今でも覚えてる。北海道の真ん中に湖が増えた時のことも。九州で何万人も死んだ時も。本州の西の端に海峡が増えた時のことも。そしてもちろん、神戸や大阪で起きたことも。同じことのできる兵器は人類皆が待ち望んでいたんだ。だが人間の脳を乗っ取っる機械生命体なんて論外だったからな。まあ、お前のお祖父さんはそこにうまいこと付け込んで、知性強化動物の存在を人類に認めさせたんだが。これは言い方が悪いかな』

「それでも、大勢はそれで黙らせられたとしてもっと近くなら?」

『それこそ政治の出番だな。関係省庁の役人が走り回ってそこらじゅうで折衝してたよ。運動会に参加させる時なんて、どれだけ地元に説明会をしたか。

ま、その時の様子がテレビで報道されたのは効果的だったな。子供たちと九尾たちが打ち解けて、一緒に運動会を楽しんでた。歴史的瞬間だと思う。あの光景に、人類は希望を感じたんだ』

「なるほどなあ」

『まあ、今回の参考になるかどうかわからんが』

「十分だよ。ありがとう」

相火は、通話を切った。


  ◇


亀のような有様だった。

床に敷かれた布団の中でこもっているのは"いずも"。この異形の子供は、家に来てからずっとこうしているのだった。相火が迎えに行ったあと。

その傍らに腰かけた相火は、布団の隙間から中を覗き込んだ。

ぎゅっ。と内側から閉じられる布団。

「平気かい?」

「……」

相火の言葉に、返事はない。

だから相火は自分の布団を隣に敷くと、自らも横になった。

そのままうとうとしかけた頃。

布団の中から、声がした。

「……おばけ」

「うん?」

「おばけっていわれた」

「そうだな」

「いずも、おばけじゃないもん」

「そうだな」

「ねえ」

「なんだい?」

「いずも、大人になったら、助けに行かなきゃいけないの?いずものことをおばけ、っていうひとたちのことを」

「そうだなあ。たぶん。そうなるな。まだ先だよ」

「……やだ」

「そっか」

「……おとーさん、困る?」

「うーん。困るかもしれない。けど、いずもが嫌ならしょうがないな」

「どうして?」

「だって"いずも"が嫌だっていうことをやらせるなんて誰にもできない。大人になったいずもは、史上最強の力があるんだから。やりたくないことをやらないならしょうがない。みんなで別の方法を考える」

「……それで、いいの?」

「いいよ。人間は誰だって、自分が本当にやりたくないことはやらなくていいんだ。いずもたちだけやらなきゃいけないなんて不公平だろう?」

「……」

「ただひとつだけお願いがあるとすれば、その力を悪いことだけには使わないで欲しいな」

「……わるいこと?どんな?」

「そうだな。例えば―――人類を滅ぼしたりとか」

その言葉に、いずもはびくんっ。と震えた。

「……ほろぼす?」

「そう。滅ぼす。いずもはその気になればなんだって消してしまえる力がある。今はまだ小さいから使えないにしてもね。僕たちがそう作った」

「……滅ぼしたらどうなるの?」

「無くなる。きれいさっぱりと。いずもがその気になれば、一日と経たずに地表は溶岩に沈むだろう。古細菌一匹生き残らないだろう。太陽系内のあらゆる人類の施設は破壊されるだろう」

「……分かんない」

「そうだろうな。僕も実はイメージが湧かない。けど似た事例はたくさんある。前の戦争の記録とかな」

「みたい」

「……ほんとはもう少し、いずもが大きくなってからでなきゃダメなんだけどなあ」

「みたい」

「……しょうがないな。ほんの少しだぞ。みんなには内緒だぞ」

「うん」

相火は起き出すと灯りをつけ、押し入れを開いた。その下段に置かれたケースの中をごそごそとすると、そこに隠すようにしまってあったディスクを幾つか取り出す。『遺伝子戦争被害記録』と書かれたディスクを。

隣室でテレビの電源を入れた彼は、デッキにディスクを挿入。再生を開始した。

ちょこん。と座ったいずもは、テレビを注視。やがて―――

「大丈夫かい?」

心配そうに問いかける相火に、いずもは無言。布団へ飛び込むと、そのまま頭から被った。

無理もなかった。彼女が見たものは、それほどに凄惨だったから。

四十七年前、静岡県に設置されたライブカメラ。駅から見下ろす戦時下の市街地。歩いている人々の日常。カメラの視界の隅に落着した、槍を象る構造体から広がっていく衝撃波がすべてを薙ぎ払っていく様子と、ブラックアウトの瞬間。それらの全てを。

相火が呼びかけてももう、返事はなかった。

一晩中、いずもは布団の中で震えていた。




―――西暦二〇六三年。人類製第五世代型神格が実戦投入される四年前。"いずも"と"ベルナル"が出会う二年前の出来事。

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