五月を前に

「あの子たちは複数の社会に属することが必要なんだよ。人間はみんなそうしている」


【埼玉県 都築家】


「ただいまー」

玄関の扉を開いて、ひとりの青年が入ってきた。カジュアルな上下の服装をした科学者。相火である。乱高下する気温に合わせたか、羽織っている上着は薄い。そして、抱えている荷物はひときわ目を引く。

一部始終を見ていた幼い兄妹たちは、を指さすと声を上げた。

「「あー!」」

「こーら。叫ばない。失礼だろう。というか君たちもいたのか」

「「うん!」」

見事に唱和した返答を相火に返した兄妹は、興味津々にを見た。相火の腕に抱えられた、知性強化動物の子供を。

黒い羽毛がびっしりと顔を覆い、目の周りや頬を隈取のように赤いラインが走り、後頭部からは銀髪が伸び、そして耳の代わりに細長い翼が生えた頭部と、尻尾を備えた、人間の形をした生き物。

まだ幼いその子は、視線を避けるようにぎゅっと相火にしがみついていた。

「ねえ相火おじさん。その子だーれ」「だーれ?」

「この子は"いずも"。

ほら。いずも。皐月と芽衣だよ。僕の妹の子供たちだ。挨拶してごらん」

促された"いずも"は、玄関におろされた。それでも相火にしがみついていた彼女は、やがて兄妹の前までやってくると。

「がおー!」

両手を振り上げて大声を上げた。とは言えあんまり怖くはない。何しろ小学校低学年の兄妹たちよりまだ幼いのだ。きゃーだのわーだの笑いながら逃げていく兄妹と、それを追いかけるいずも。

「あ、いずも、靴!……いっちゃったかあ」

脱ぎ散らかしていった靴を手で直し、相火は苦笑。いずもはまだ生まれて一カ月。いかに知性が優れているとはいえ、経験の量は生まれたばかりの赤ん坊と大差ない。

自らも靴を脱ぐ。家に上がる。奥に行こうとしたところで、今度は奥から刀祢が顔を出したではないか。

「帰ったか」

「父さん。久しぶり。皐月と芽衣も来てたんだね」

「まあゴールデンウィークだからな。それより今走っていった子か。例の」

「うん。九頭竜級。"いずも"って呼んでやって」

「九尾とおんなじか。名前に九が入ってるんだなあ」

「それだけ期待が大きいってことだよ。天文学的な予算がかかってる。それこそ九尾とおんなじように」

「身内が知性強化動物の子供を連れて玄関を開けて入ってきたのは、これで三人目だよ。はるな。はやしも。そしていずも」

「そっか」

「お前のおじいさんが言っていた。知性強化動物には幾つもの社会が必要だってな。人間は家の外で猫がどう振る舞っているか知らない。子供は両親が職場でどんな様子か知らない。両親は職場の同僚のアフター5での姿を知らない。みんな幾つもの社会に属していて、見ることができるのはその一面に過ぎないからだ。ってな。

あとこうも言っていた。依存する対象を一つにしてはいけないと。たくさんに分散してやれば何かあっても別のものを頼ることができると。

だからお前はここにあの子を連れて来たんだろう」

父の言葉に、相火は頷いた。

「その原則は今でも有効だよ。というかお祖父さんが確立した原則はほとんどが今では常識になってるな。知らない奴がいたらモグリだ」

「だろうな」

「おっと。そろそろ見に行かないと」

「大丈夫だろう。あの子を連れてくると聞いて、家の中は一通り片づけて……」

どんがらがっしゃーん。

親子の会話を中断したのはそんな音だった。家の中で何かひっくり返ったらしい。それもかなり派手に。

「あいつらやらかしやがったな。おちびちゃんたちめ」

「まあ、仕方ない。小学生と0歳児だ」

ふたりは苦笑しながら、子供たちの様子を見に行った。




―――西暦二〇六三年四月末、ゴールデンウィークの出来事。

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