太陽の裏側で

「軌道を変更せよ。予想される太陽風から速やかに退避する」


【恒星軌道上 高度680キロメートル】


そこは、奈落だった。

地球の二十八倍の重力を持ち、六千度の灼熱に包まれ、五百万度のコロナに守られた燃え盛る大洋。強大な自重によって、自らの構成原子からエネルギーを絞り出すそれは、天然の超巨大核融合炉だ。

恒星。そう呼ばれる天体であった。

いかなる生命であろうとも拒絶される極限環境である。にもかかわらず、生き永らえている者どもがいた。

太陽の上空を公転しているのは黄金の構造物。とてつもない巨体は、しかし眼下の星と比較すればあまりにもちっぽけだ。

仮面をつけた巨大なおおとりの形態をしたその存在の名は、キニチ・アハウ。神々の眷属たる恒星観測型神格は、その背後にもう一柱の眷属を庇うよう、飛翔していた。いや。庇うように、ではない。実際にそれは恒星からもう一柱を守っているのだ。

漆黒に彩られたもう一柱。逞しい裸身を晒し、頭部を兜で守った眷属"ウラヌス"はその手を恒星へと向けた。主人たる神々によって与えられた権能を発揮するために。

ウラヌスの全身の構成原子が励起する。そのごく一部がトンネル効果を制御されて一点に。密度が限界を超えた瞬間、強烈な電磁場によって完成したマイクロブラックホールは射出された。

ほぼ光速で撃ちだされた極微の弾丸は、恒星表面に潜り込むとその膨大なエネルギーを解放。質量の全てを放出しきり、消滅する。

地表で放てば途轍もない破壊力を発揮するだろう一撃はしかし、恒星に対しては何の効果も発揮していないように見えた。対象があまりに大きすぎるからだ。されどそれで問題なかった。恒星にとってはごく小さな影響であっても、そこから生じるものは十分な威力を発揮してくれるはずであったから。

任務を終えた二柱は、ゆっくりと加速。現在の軌道より離脱にかかった。


  ◇


「―――キニチ・アハウ及びウラヌス、収容しました」

「分かった。恒星表面の状態はどうだ?」

「うまくかき回されているようです。数日後には結果は出るだろうかと」

「そうか。ご苦労だった」

ロド=ハウは、艦長席に深く沈みこんだ。難しい仕事がひとまずは区切りをつけたからだった。

そこは巡航艦のブリッジである。高度に自動化された六百メートルの戦闘システムの戦力は強大だ。重装甲は小天体破壊能力を備えた戦略級神格の攻撃に数発まで耐え、高いステルス性とセンサー性能を持ち、強力なミサイルと長射程大出力のレーザー砲を備え、惑星間航行が可能で、オプションの超光速機関を装備すれば恒星間航行すら実現する能力を備えた、神格四十五柱と互角に戦える怪物だった。

その支配者である鳥相の男は、艦長席のモニターを確認した。母なる樹海の惑星グ=ラスが公転している恒星。偉大なる太陽に先ほど撃ち込んだのは、ちょっとした威力のマイクロブラックホールだ。それは強烈な衝撃でほんの少しだけ、太陽の活動を活性化させるだろう。そう。太陽風が強くなり、惑星の大気を激しく叩くはずだ。事前に綿密に計算された通りに働いた場合、それはしばしの間大きな影響を与えるだろう。まき散らされるプラズマはたちまちのうちにレーダー網を盲目とするだろう。通信の大部分も無力化されるだろう。地上は大変な騒ぎとなるはずだ。

そしてここが肝心な点だが、神々はロド=ハウの行いを知っているのに対して人類はロド=ハウを見ることができない。現在地はちょうど、恒星が惑星からの観測を遮っているから。それはすなわち、人類に対してこれが奇襲となる。という点だ。

人類は強い。これは間違いないが、通信網とレーダーを無力化された中でどこまで戦えるか。この作戦が成功すれば、神々は人類軍に対して大打撃を与えることができるだろう。

もちろん、神々が支払うコストは安いものではない。太陽風に備えた宇宙都市の補強をはじめとする各種の準備に大変な手間暇と資源を投じているのだ。

だが、それでも。やる価値はある。神々は、そう判断していた。

作業は終わった。後は巡航艦をこの軌道から退避させねばならない。予想される太陽風に備えて距離を取り、その時までに適切な姿勢を艦に取らせて自らの身を守らねばならなかった。

「軌道を変更せよ。予想される太陽風から速やかに退避する」

ロド=ハウの命令に従い、巡航艦はエンジンを噴射。軌道変更を開始した。




―――西暦二〇六二年三月。神々による大規模攻勢の直前の出来事。

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