どろりとしたスープ
「ええ。ヘカテーは我々が殺しましたから。デメテル。あなたとわたし、ふたりで」
【
水が、渦を巻いて昇っていた。
それは海中から上半身を出した、ライムグリーンの女神像。その伸ばした左手のひらに吸い込まれている。
対照的に伸ばされた右手から真下に照射されているのは一本の筋。それは海面にて構築されつつある巨大な構造の上に積み重なっていた。
ライムグリーンの女神像。五十メートルもある巨体の神格であるデメテルは、作業を続けながら上を見上げた。
そこに広がるのは空ではなく、巨大な一面の機械。建築物ではないし、ここに設置されたものでもない。元々は宇宙で建造されたが、墜落してこの姿となったのだ。災厄の際、軌道のコントロールを失った宇宙都市の成れの果てだと言われている。浅瀬に墜落し、何百年も放置されていたこの残骸の下に、神々の秘密基地のひとつはあった。
デメテルの巨神は海水から必要な元素を抽出し、あるいは海底に堆積した残骸を分子運動制御で取り込んで、分解。選別したものが右手で積み重ねられ、そして巨大な軍艦の船体が構築されているところだった。現在行っているのは造船作業なのだ。休憩をはさんで十日もあれば作業は終わるだろう。
作業を行うのが人類製の第三世代なら、半日で済むのだろうが。
デメテルにとっては十日の方がありがたくはあった。その間は(比較的)安全な秘密基地内で作業だけしていればいいのだから。
「大丈夫ですか」
かけられた声に目を向けると、海面上にでっちあげられたデッキ部分に人影がひとつ。戦闘服の上から上着を羽織ったブリュンヒルデがそこにいた。両手にそれぞれ何やらぶら下げているように見える。
「夕食を持ってきました。もう七時間も作業をしていますよ」
「おや。そんなにか。休憩とするかな」
デメテルは作業を中断すると、巨神の掌をデッキまで伸ばした。そこから身を乗り出すと、デッキにひょい。と着地。この段階でライムグリーンの女神像は霧散していく。
建造中の船体の安全を確認したデメテルは、改めて相棒の持参したものを観察した。
ひとつは籠。食器が入っている。そして反対側の手でぶら下げられているのは大きな食缶。他には食べ物らしいものはもっていない。
「今日は何だい」
「地球風に言えばランフォードスープですね」
「なんてこったい。昨日も食べた覚えがあるぞ。一昨日、ここに着いた時も。最前線ならまだしも、こんな設備の整った施設でそんなもんが毎日出るとは」
デメテルは、天を仰いだ。すぐ真上は天井だったとしても。
ランフォードスープは平たく言えば高い栄養を最小限のコストで供給しようという試みである。麦や豆類、ジャガイモ、野菜等を長時間煮て一度に大量に作る。ぐつぐつと、大鍋で。
「これが必要と言うことでしょう」
ブリュンヒルデの言葉に、デメテルは周囲を見回した。
天井の下、設置されたデッキや上階を移動し、言葉を交わし、船舶の整備に取り掛かり、訓練にいそしんでいる神々や神格の姿が見える。ここは結構な数の兵員が揃った基地なのだ。これだけの人員に安定的に食料を供給するのは尋常なことではない。人もものも機材も足りないのだ。
「末期戦だなこりゃあ」
「敵の第四世代が投入されるようになって以降、酷くなっています。戦線の穴を埋めるための急速な兵力の追加と補充のバランスが崩れた。兵站の失敗ですね」
「第四世代でこれなら、もし第五世代が来たらその日のうちに戦争が終わるな。どんな代物が出てくるか分からんが」
「遺伝子戦争を思い出します。あの頃も酷かった」
「確かにそうだ」
「ヘカテーが生きていれば、愚痴を言っていたでしょうね」
デメテルは眉をひそめた。相棒の口から出た名前があまり良い思い出のないものだったからである。
「彼女は美食家だったからな。毎日こんな食事を出されればそれだけで、怒って出ていきかねないぞ」
「とはいえ彼女が反乱を起こした理由はそうではなかった。ヘカテーにとって守るべきものは人類であり、神々の未来ではなかった。それだけのことです」
「彼女はもういない。ヘカテーは死んだんだ」
「ええ。我々が殺しましたから。デメテル。あなたとわたし、ふたりで」
「だが今となっては何の意味もない。彼女が死んでも、その志は人類が受け継いだ。そして知性強化動物たちが後継者となった。私は後何人のヘカテーを殺せばいいんだ?」
「デメテル。落ち着いてください。貴女らしくもない」
「……そうだな。悪かった。君に当たってもしょうがないことくらいは分かっていたのに。遠慮の欠片もない」
「恐縮です。さ。どこか適当な場所を見つけて食べましょう。暖かい間にならまだ、おいしく食べられます」
「そうさせてもらうよ」
ふたりはしばし周囲を見回すと、適当な階段へと移動。そこをベンチの代わりとして、夕食にありついた。
ランフォードスープは、どろりとしていた。
―――西暦二〇六一年。人類側神格ヘカテーが戦死してから四十三年目の出来事。
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