ひとつあれば足りる

「巨神を構成する流体は多種多様な機能を備えているように見える。とんでもない。あれはたった一つの機能の異なる側面に過ぎない」


【東京都新宿区 防衛省市ヶ谷庁舎】


「かつてチューリングはこう考えた。以前は人間の脳でしか実行できなかった数学的作業を、単純な電子回路が実行できるとしたら。それは人間の脳の働きもシンプルなものに基づいているのではないか?と。彼は正しかった。複雑な生物学的振る舞いを単純な過程から導けるという事実を示したんだ」

相火は室内を見回した。おとなしく聞いているのは八咫烏たち。語る内容は巨神のごく基礎的な動作原理について。遺伝子戦争初期に手にした神々の科学技術を人類が理解しえたのは、それまでの蓄積による。人類が発展の過程で得て来た科学は基本的な方向性について正しかったのだ。

「かつて、熱力学第二法則は極めてネガティブなものとして捉えられていた。熱が拡散していく過程は死や劣化と同義だとみなされてきた。拡散が宇宙の多様性を均一にしていくことで、生物のような複雑なものは衰退していくと考えられてきたわけだ。

事実は違うとチューリングは主張した。拡散は衰退を引き起こすだけじゃあない。構造や形態を作り出すこともある。いわゆる自己組織化と呼ばれる現象がそれだ。ある条件下で特定の物質が拡散すれば、パターンを持った構造が生まれるんだよ。チューリングはこれによって子宮の中の胚が特定の形をとると言っている。たったひとつの受精卵が何種類もの特別な細胞に分化し、それが極めて組織だった形で自己増殖するのもこれのおかげだと。例えるなら、電子回路が信号を増幅する。あるいは逆に、家庭用暖房器具が熱を一定の範囲になるよう差異を縮小する。こういう正負のフィードバック効果を内包する系は、最初均一であっても構造を発達させることができるとね」

八咫烏たちはおとなしく聞いている。ひとり熱烈な視線を向けてきている気がしないではないが。真面目に聞いてくれれば別にそれでよい。皆特徴がある。普通の人間は見分けなどつくまい。これはどんな知性強化動物にも当てはまる。

「こういった系は外部から常にエネルギーの供給を必要とする。それによってはじめて構造が形成されるわけだ。

巨神の場合、第二種永久機関がこのエネルギー源に当たる。そしてそれだけじゃない。巨神を構成するのは量子論的不確定性を備えた自己増殖型の分子機械だ。この、最小単位ではとても単純な構造を持つ装置が極めて複雑で強力な機能を持つに至る理由は至極単純だよ。複雑な生物学的振る舞いを表記する単純な機能を、第二種永久機関が担っているからだ。自己増殖も。自己組織化も。エネルギーの出力も。あの奇跡のような機能の数々も、すべて第二種永久機関と言う単純化された機構がやってるんだよ。

どうだい。凄いだろう?」

その最新の制御装置こそが、眼前の八咫烏たちだった。そして相火が今手掛けているのはその先。八咫烏をベースとした究極の第二種永久機関の制御システム。すなわち第五世代型神格である。これはそもそもが第五世代と現在呼ばれている未来的兵器のためのテストベッドなのだ。八咫烏たち第四世代のデータをフィードバックすることで、それは誕生するだろう。それも数年以内に。

やがて講義を終えた相火は、別の仕事に取り掛かるべく壇上より降りた。




―――西暦二〇六一年。第五世代型神格誕生の二年前、八咫烏級が実戦投入される一年前の出来事。

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