空にかかる靄
「遺伝子戦争期を思い出す。この空にかかってる靄を見ると」
【西暦二〇一七年四月 パキスタン東部フンザ地方 カラコルムハイウェイ】
不気味な空模様だった。
天を覆い尽くすのは雲ではなく粉塵。ほんのしばらく前、中国大陸に撃ち込まれた何発ものマイクロブラックホールの爆発がもたらしたものである。それはかつて中華人民共和国と呼ばれた国家を居住不能なまでに破壊し尽くしただけではない。成層圏まで吹き上がった莫大な粉塵が陽光の多くを遮り、全地球規模での大地の寒冷化をもたらそうとしていた。それは何年もの間続くに違いない。
エレーナは、そんなことを思った。
彼女が便乗しているのは現地のトラックだ。それらからなるキャラバンである。中国との国境に連なる高山地帯の街道。と言えば聞こえがいいが、ひたすらに続く山道である。兵士たちや
「酷い道のりだ」
「道があるだけマシかと」
傍らで答えたのは青白い顔をした少女。リューバと言う愛称を持つ彼女はエレーナに無理やり蘇らせられて以降付き従っているが、いまだにどこかぎこちない。無理もなかったが。
「中国は絶望的らしい。何十キロもある巨大な穴だらけになって、人の住める土地ではなくなったと」
「想像もつきません」
「そうだ。この一年で想像もつかないことが起こり過ぎた。何億人も死んで、世界中が滅茶苦茶になった。私自身、わけもわからないまま戦っている。
分かっていることは一つ。神々をこの世界から叩きださねばならないということだけだ。この先では撤退中の神々がこちらに向かっている。それを叩く。やることはシンプルだ」
「勝てるでしょうか」
「勝てる。何故なら奴らは敗残兵だ。山のずっと向こう側、神々を挟んだあちらには、私の同類がいる。彼らと各国の軍隊が神々に、中国大陸を吹き飛ばさねばならないほどの決心をさせた。そこまでしても神々は逃げだす羽目になった。
私の同類たちもこの空を見上げているだろう。これは神々が恐怖した証だ。人類が恐怖させた証だ」
リューバは、無言のまま頷いた。空を見上げる。どんよりと曇った様子が、先ほどまでとは違うものに見えた。
この日、キャラバンは日が暮れるまで行軍を続けた。
◇
【西暦二〇六一年一月
「こんな空を見ると、昔を思い出す」
先頭を行くリーダーの言葉に、新兵は問いを返した。
「遺伝子戦争ですか?」
「そうだ。あの頃はこれよりずっと酷かったよ。中国大陸が吹っ飛んだからな。粉塵が空を覆い尽くしたんだ。世界中をだよ。俺がいたのはインドだったが、そこまで影響がみられたもんだった」
「今次大戦も同じですか」
「そうだ。先日、国連軍が十数キロも山を吹っ飛ばした。一直線にな。蒸発した土砂や岩はもちろん消え去ったわけじゃあない。上空で再凝結して今でもまだ、漂ってるってわけだ」
リーダーの言葉に、皆が。鳥相を備えた兵士たち全員が押し黙った。
既に一カ月余り、後退しながらの戦闘を続けている中でのことである。先日陥落した第67長期避難施設。その外周警備に当たっていた彼らは敗残兵である。元は施設から十数キロ先の海岸にまで通じる山道を守備していた小部隊のひとつだった。国連軍が地形を無視し、海から一直線に施設までをぶち抜いたおかげで命拾いしたのである。そこからが地獄だったが。
国連軍の残党狩りと戦い、他の部隊との合流と離散を繰り返し、後退を続け、重装備の大半を失ってなお、部隊は生き残っていた。遺伝子戦争を経験した古参兵のリーダーに率いられて。もし神格と戦う羽目になっていたら間違いなく全滅していたろうが。
「生き残れますか。俺たちは」
「大丈夫だ。俺を信じろ。遺伝子戦争でも生き残ったんだぞ」
笑みを浮かべるリーダーに、皆が勇気づけられた。空元気であったろうが。
「さあ。頑張れ。今日は後二キロ進むぞ」
神々の小部隊は、前進した。そこに生き延びる道があると信じて。
―――西暦二〇六一年一月。第67長期避難施設が陥落してから三週間あまり、中国大陸が破壊されてから四十四年目の出来事。
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