帰る人、帰らぬ人
「生き延びなさい。ひとりで勝たなくていい。戦場では仲間を頼りなさい。仲間を助けなさい。頭を使いなさい。相手の隙を突きなさい。予想を越えなさい。奥の手を隠しなさい。あらゆる手を尽くしなさい。わたしを二度、倒した男はそうやりました」
【ルーマニア トランシルヴァニア地方シビウ県 要塞聖堂中庭】
雪が、降っていた。
夜空からちらちらと。まるで新年を祝うかのように、静かに白い結晶が舞い降りてきていたのである。それは聖堂の屋根。塀。玄関。中庭。あらゆるところに落ちては積もっていく。
不意に、清冽な空気が切り裂かれた。
それを為したのは、漆黒の槍。全体が均一な素材で出来た不可思議な武装が一直線に、雪のひとつぶを貫いたのである。それも複雑な結晶構造の基点。常人には目視できないような一点を。
恐るべき技。しかしそれで終わりではない。
槍の動きは緩やかとなった。周囲をまるで舞うように巡らされる動作は、しかし見る目を持つ者が見れば何が起きているかは一目瞭然であったろう。それは持ち主に降りかかる雪の粒全てを受け止めていたのである。
超人的な技量と言えた。
やがて。
一連の動作が終わりを迎え、持ち主は動きを止めた。その手の中から霧散していく槍。
―――ぱちぱちぱち…
不意の拍手に、槍の持ち主は。
「おや。家にいなくていいんですか。ガブリエラ。せっかくの新年でしょう」
「眠れなくて来ちゃった。先生、凄いねやっぱり」
そこに立っていたのは異形であった。人型こそしているが、顔。セーターの裾や、ミニスカートとロングソックスの間から見える手首。そういった場所を覆うのは人肌ではなく白い皮膜であり、顔の周りや手の先を覆うのは赤黒い硬質の外骨格。後頭部から伸びる髪にも似た器官の太さは一本一本が指ほどもあり、まるでイソギンチャクのようでもある。ヘカトンケイル級と呼ばれる、最新鋭の知性強化動物のひとつであった。
弟子の賞賛に、アスタロトは頭を振る。
「いいえ。まだまだです。今まで私は実戦で四回、敗れました。神格を相手に実戦で勝てたことはありません。もっと精進しなければ」
「じゃあ先生に勝てないボクたちはどうなるの?」
ガブリエラと呼ばれたヘカトンケイルは苦笑。いまだにアスタロトと1対1―――厳密には2対1だが―――で戦って勝利できた人類製神格はいない。今や黒海の"蛇の女王"と言えば、地中海の"炎の女神"と並び称される人類最強の双璧である。
そんなアスタロトの回答は明確だった。
「生き延びなさい。ひとりで勝たなくていい。戦場では仲間を頼りなさい。仲間を助けなさい。頭を使いなさい。相手の隙を突きなさい。予想を越えなさい。奥の手を隠しなさい。あらゆる手を尽くしなさい。わたしを二度、倒した男はそうやりました。槍のわざも凄まじいものでしたが」
「やっぱり強いのは前提なんだ…」
「あなたは強い。ドラクルの時も同じことを思いましたが、あなた達ヘカトンケイルはそれ以上に強い。自分を作った人類の科学を信じなさい」
アスタロトは弟子の前まで歩み出ると、その肩を叩いた。
「さ。中に入りなさい。暖かいココアでも出しましょう」
「わあい。ココア大好き」
子供のような反応を返した弟子に、アスタロトは苦笑。いや、今年で四歳というのは知的・法的にはともかく、精神面ではまだまだ幼い。と言うのはこの仕事に携わって以降、日々実感していることではあったが。真に大人になるまで、その倍の年数はかかるだろう。ちょうど、最初に手掛けた十二人のドラクルたちのように。
幸い、彼女らは今も健在だ。時折手紙を送ってきたり、休暇で顔を出したりする。だが、それ以降の世代の中には帰らぬ人となった者もいる。だからアスタロトは技を磨くのだ。自分が強くなったぶんだけ、弟子たちが高みに昇れると信じて。
雪が激しくなっていく中。ふたりは、聖堂へと入っていった。
―――西暦二〇六一年、新年を迎えた日。人類製第四世代型神格ヘカトンケイルが実戦投入された年、アスタロトが国連軍に救助されてから九年目の出来事。
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