操り人形
「やめてくれ。彼女を殺さないでくれ。友人なんだ」
【
電灯が、火花を散らした。
衝撃。爆発音。暴風雨を何百倍にもしたかのような轟音。それらがないまぜとなった最強最悪のハーモニーを聞かされ続けて来た鳥相の兵士たちは、不安で天井を見上げた。
「……。急に静かになったな」
「終わったのか……?どうなった?」
地表の状況は伝わってこない。彼らの持ち場はここであり、そして情報もろくに入って来てはいなかったのである。不安になるのも当然と言えた。
「―――くそ。カメラが故障しやがったか。さっきの過電流のせいだな。ちょっと向こうを見てくる」
架線を監視する機器の故障に兵士は舌打ち。監視スペースから出ると、柵から身を乗り出して昇降路線を見下ろした。
結論から言えば、故障の原因は過電流によるものではなかった。カメラを破壊したのは別の要因。上方からモノレールの架線を伝って流れ落ちて来た、黄金の流体の仕業だった。
目が合った。
斜めに走った天上に張り付いた黄金の河のように見えるそいつ。その中央が突如、瞼を開いたかと思えば、こちらを睨みつけたのである。
「―――!?」
兵士が恐怖で身をすくめる間にも、黄金の大河は腕を伸ばした。まるで河の中から手を伸ばすように、そいつを構成する流体は巨腕を形成。哀れな兵士を掴もうとしたのである。その、自動車も鷲づかみにできそうな掌でもって。
「ひぃっ!」
兵士が難を逃れたのは、柵から落下したおかげだった。下の非常用通路に運よく引っかかったのである。さもなくば生命はなかったであろうが。
幸運の代償に彼は、飛び切りの不幸を目の当たりとすることとなった。
黄金の大河が伸ばした腕が、監視スペースを押しつぶしたところを。あそこにいた同僚たちは助かるまい。自らの死を自覚する暇すらあったかどうか。
兵士に仲間の死を悼む暇はなかった。目はこちらに目線を向けていたからである。逃れる暇はない。引っかかった不安定な体勢では間に合わぬ。
だから兵士は、背負っていた銃を掴むと相手に向けた。黄金の大河―――施設に侵入するため、不定形となった人類製神格"斉天大聖"の目に対して引き金を引いたのである。轟音と共に、マガジンがたちまち空となる。
もちろん一万トンの質量の前では無駄な努力だった。小銃弾が消費され、その分斉天大聖の体表で火花が散っただけだ。
自らが押しつぶされる瞬間。兵士は、絶叫した。
◇
衝撃が走った。
天上の上からと思しいそれは、直径十八キロの巨大さを誇る
そこに布陣した多数の眷属たちの姿は様々だ。黒。赤。緑。褐色。戦女神像だったり、妖怪や仙人。甲冑を身にまとった武神像や、仮面で覆われた顔を持つ呪術師もいる。いずれもが五十メートルの巨体と一万トンの質量を備える超兵器だ。それが多数布陣しているのである。
それですら、今起きている異変に対しては無力だった。
異常な強度を誇るはずの
眷属たちが動いた。穴から飛び込んでくる敵に対して、あるものは槍を投じあるものは電撃を放つ。またあるものは自ら襲い掛かった。
結論から言えば、いずれも無意味だった。
電撃は反射され、突き刺さった槍は傷ひとつ与える事が叶わなかった。襲い掛かった眷属は接近すら許されずに両断され、粉々に砕け散った。
最初に突入してきたのはあらゆる攻撃に対して厳重な防御が施された、三柱のキメラ級神格であったから。
更に多種多様な人類製神格が百近くも、あとに続いてくる。
乱戦が始まった。
◇
空中に波紋が、広がった。
砲弾を受け止めた
前に降りているのはこれまた巨大な隔壁。その向こうには前衛を務めていた味方の神格がいるはずだが、どうやらあちらでも苦戦しているらしい。敵に分断されたようだ。助けに行くべく雷撃を打ちこむ。―――効いていない。手加減しすぎたか。多少のダメージはあったようだが。威力を上げてもう一発。
それを叩き込もうとした瞬間、真横の壁が爆発した。―――罠だ!
気付いた時には遅かった。生身で通路に潜み、巨神を召喚した眷属が組み付いてきたのである。右手には鋭利な切っ先を備えた短剣を構えて。
だから黄龍は本能に身を任せた。四年の人生をかけて体に叩き込んだ技に、すべてを託したのである。腕を伸ばす。払う。掴む。払われる。捻る。両腕は蛇のようにしなり、後退する両脚は抜け目なく隙を狙う。達人の域に達した黄龍の
それも、すぐに終わりがきた。通路の壁に、黄龍が追い詰められたからである。
だから、黄龍は危険を承知で相手を押し出した。両手で、全力を込めて。
跳ね飛ばされた敵神と対峙する。
この段階で初めて、黄龍は敵手の全貌を観察する余裕ができた。
ライムグリーンの女神像。戦衣をまとい、仮面で顔を隠した五十メートルの女体が、まるで人間のように身構えている。いや。実際にその巨体を操っているのは人間の脳なのだ。内部に寄生した機械生命体に突き動かされて。
人間の脳を奪った、おぞましき殺人マシーンどもめ。
嫌悪感に吐き気がする。このような行いをする神々を許す事などできはしない。武装解除し、完全な管理下に置かねばならぬ。そうすることで初めて、人類は安寧を享受できるのだから。
敵を睨みつける。そこに実在しないものを認識する。
出現した不可視の質量は、ライムグリーンの眷属。その頭上より襲い掛かった。
まさか、それを躱されるとは。
相手が一瞬前までいた場所が大きく陥没する。横っ飛びに転がった敵神に向けて第二撃。三撃。立て続けの攻撃がバク転で回避され、そして最初よりも距離が開いた。
恐るべき力量であった。
黄龍は起きている事実を受け入れた。技量では相手が上回っている。どのような手を使ってくるか想像も出来ぬ。
故に、その力を無制限に拡大する。回避の余地がないよう、
巨大なエネルギーに、搬入ルートがはじけ飛んだ。
◇
「―――!?」
一瞬、意識が吹き飛びかけた。
ブリュンヒルデは身を起こした。その赤き拡張身体で、周囲を観察したのである。敵を隔壁で分断した。戦っていた二柱の人類製神格はどこだ。隔壁の向こうで戦っているはずの相棒はどうした。ここはどこだ。
最後の疑問の答えはすぐ、得られた。硝子の葉を備えた植物が覆う人工の大地。シェルターの生態系だ。搬入ルートが吹き飛びでもしたか。ここに叩きつけられたのだろう。見れば、そこかしこで激戦が繰り広げられている。
起き上がる。自分の身を確認。巨神の全身にひび割れが走っている。肉体にも若干のダメージ。意識が飛びかけたのはこのせいだろう。周囲を見回す。相棒の姿は―――あった。ライムグリーンの女神像が倒れ伏している。こちらもかなりのダメージに見えた。
そして。
向こう側に立っていたのは、透き通る素材で出来た龍人像。
つい先ごろ海上で交戦した戦略級神格が、そこにいたのである。同一の個体ではあるまい。人類はこの戦いに複数の同型を投入したに違いなかった。
相棒を。デメテルを守るべく、前に出る。龍人と対峙する。
そこで、ふと思い出した。数時間前にデメテルと交わした言葉を。何故人類製神格は、死の危険を顧みずに戦うことができるのだろう。彼らには自由意思があるというのに。
そんな疑問。
いつの間にか剣は手放していた。だから新たな得物を抜き放つ。虚空より二刀を召喚する。構える。
対する龍人も、虚空より矛を取り出した。
踏み込む。突き出した切っ先が払われた。直観に従い真横へ跳ぶ。直後、大地が大きく陥没。まるで見えないハンマーにぶん殴られたかのよう。相手に焦点を結ぼうとして失敗。素早い動きをする相手に"渦"の照準をつけるのは容易な事ではない。敵神はコンパクトな突きとハンマーを織り交ぜた連続攻撃を仕掛けてくる。更には片手を得物から離し、こちらに向ける。飛び出したのは雷撃。受け止めた剣が砕ける。代わりを掴み出す。―――強い。
一瞬の攻防で息が上がったか、敵神は警戒しつつも攻め手を緩めた。対するブリュンヒルデも同じだ。攻め込む隙が無い。
だからだろうか。龍人に対し、口を開いたのは。
「―――見事な腕前だ。よくぞそこまで技を練り上げたものです。素晴らしい」
「―――化け物の分際で、人間の言葉を話すか。汚らわしい」
意外なことに、敵神は返答した。それが罵倒だったからといって、驚くには値しないだろう。
「貴女も人間ではない。遺伝子操作と外科手術で生み出された人工生命体だ。その意味では私と大差ない。違いますか」
「私は人間の肉体を奪ったりしない!こうして戦っているのも私の意思だ。神々の操り人形のお前たちとは違う!」
「恐ろしくはないのですか。戦って死ぬのが」
「もちろん、恐ろしい。だがそれ以上に神々の振る舞いを放置している方が恐ろしい。人の生命と尊厳が蹂躙されていくことが恐ろしい。お前たち眷属の存在を許す事の方が恐ろしいのだ!この殺人マシーンどもが!!」
「それはあなた方の種の共通見解ですか。貴女の姉妹も、だから戦って死んだというのですか」
「―――何故それを。まさか……」
「貴女と同型の神格を斃しました。ほんの数時間前、海上で」
「お前か。あの子を殺したのはお前かあっ!!」
激高した龍人は、不可視のハンマーを振り下ろした。
戦いが再開される。矛が突き出される。雷撃が飛ぶ。不可視の攻撃が立て続けにブリュンヒルデを襲う。見えない攻撃をかわすのは恐ろしく神経をすり減らす行為だ。百戦錬磨の眷属と言えどもそういつまでも耐え続けられるものではない。
やがて限界が来た。
ハンマーの一撃を、ブリュンヒルデが避け損なったのである。強烈な破壊力が全身を打ち据え、そして地面にめり込ませる。
ただの一度で、取り返しがつかぬほどのダメージがもたらされていた。
無様に倒れ伏したブリュンヒルデ。それを前に、龍人が掌を向けた。全身の構成原子が励起する。雷撃でとどめを刺すつもりだろう。もはや赤の女神像にそれを防ぐ術はない。
だから。
ブリュンヒルデが生き延びたのは、龍人の攻撃が中断されたからだった。真横から放たれた、
咄嗟に
デメテルだった。
龍人は、敵に向き直った。
◇
黄龍は敵を観察した。先ほどのライムグリーンの女神像。恐るべき敵であったがしかし、その全身に刻まれたダメージからしてももう限界が近いはず。油断さえしなければ十分に撃破できる。
相手もそれを理解していたからかどうか。取ろうとした手段は、暴力ではなかった。
説得だった。
「やめてくれ。彼女を殺さないでくれ。友人なんだ」
「―――化け物め。ふざけるな。眷属が友人だと?」
「ふざけてはいない。そして、私に眷属の友人はいない。彼女の脳に寄生している機械生命体は、私にとっても憎い相手だよ。何しろ友人の脳と肉体を奪ったのだから」
「―――何を。何を言っている」
「私自身も神々の眷属だ。それは間違いない。神々の操り人形に過ぎない。死にたくないし殺したくないが、どうにもできない。こうしてお願いしながら、武器を向けねばならない」
女神像が掴み出したのは、槍。いや、それに似た長柄の武器だ。恐らく戟か。性能には大差はなかろうが。
黄龍は自らの知識と眼前の状況を整合させようとした。しようとして―――思い出した。神格が脳を奪うのではない。脳に禁則を焼き付け、自由意思を制限する方式の思考制御が存在するということを。眷属の中には、そのような措置の犠牲者が存在するということを。彼ら彼女らは人間だった時の人格を保ちながら、神々に仕えることを強制されているのだ。ということを。
それらの事実を前にしてもなお。黄龍にできるのは、相手を滅ぼす事だけだった。
だから、詫びた。この人類製神格は、自らが救うべき人間を前にして、それが可能なだけの力を持っていないという事実について謝罪したのである。
「……ごめんなさい。私には貴女たちを殺す事しかできない」
「無茶を言ったのはこちらだ。気に病まないでくれ」
両者は、身構えた。勝負は一瞬で決まるだろう。その結果は明らかだ。
黄龍が腕をあげる。全身の原子を励起させる。収束したパワーを、雷撃として投射する。
女神像に為すすべはなかった。まともに一撃を喰らい、吹き飛んだのである。転がったその先は、奇しくも赤の女神像のすぐ隣。
今度こそとどめを刺すべく、黄龍は手を振り上げた。
まさしくその刹那、赤の女神像がわずかに動いた。その焦点を虚空に向けて、
大気が崩壊する。破壊が連鎖する。強烈な渦が拡大していく。
黄龍は
破壊の渦が収まった時。そこに横たわっていたはずのライムグリーンと赤の女神像は、忽然と姿を消していた。
国連軍が第六十七地下
―――西暦二〇六〇年十二月初旬。第六十七地下長期避難施設が制圧された日、人類製第四世代型神格が初めて実戦投入された年の出来事。
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