戦いの意思
「自由意思―――ですか。ではなぜ彼らは、死の危険を冒してまで戦っているのでしょう?」
【
どこまでも続く雲海だった。
青空に輝く太陽が照らす世界はどこまでも広く、美しい。
されど、それは自然のものではない。外敵を阻止するべく張り巡らされたある種の城壁なのだ、と言うことを、龍は知っていた。
透き通る琥珀の龍である。四肢を備え、甲冑を纏い、矛を手にし、腰に剣を佩き、鱗に覆われた頭部から角を生やした、女の龍人であった。
五十メートルもの巨体を備えるその名を人類製第四世代型神格、"黄龍"。
龍は単独ではなかった。護衛の神格十数に守られ、既に長距離を行軍してきたのである。
突如、先頭を行く神格が腕を振り、急上昇。後に続く者たちもそれに続いた。
追いかけるように雲が割れたのは、その直後。
飛び出してきたのは円筒形の機械だった。後端から炎を吹き出す、十メートル以上もある無人航空機が何十。いや何百と急上昇してきたのである。それは先の神格群を追う猟犬であるかのようだった。いや。事実それは猟犬なのだ。音速の十倍近い速度で飛翔する、対神格ミサイルだった。
ミサイル群より逃れようとする神格たち。うちの一柱。黄龍が反転すると、手を振り上げた。
それに呼応するかのように変じたのは、太陽。
突如として世界が闇に包まれた。いや、陽光が束ねられ、一点へと向けられたのだ。それは正確に黄龍の動きをトレースし、そしてミサイルへと襲い掛かった。
一瞬で薙ぎ払われたミサイル群それは一拍置いて爆発する。それが幾度も幾度も繰り返され、たちまちのうちに全滅したのである。他の神格が手を出す暇もない。
アルキメデス・ミラーと呼ばれる兵器の威力だった。
圧倒的物量をそれ以上の暴力で破壊し尽くした黄龍は、雲海に目を向けた。邪魔だ。これでは下界を陽光で攻撃できぬ。
故にこの、龍を模した超生命体は邪魔ものを片付けることとした。多数の気象制御型神格によって維持されている分厚い雲の防壁。それに手をかけ、そして横にどけたのである。
数十の神格による制御を凌駕するパワーで、気象が書き換えられていく。分厚い雲がたちまち晴れていき、下界の姿が明らかになっていった。
海面が見えた。沈み行く戦船が見えた。待ち構える何十という神像たちが見えた。飛び交うミサイルが見えた。
神々の軍勢だった。既に遠方より接近しつつある国連軍の本隊と交戦中なのだ。ここで阻止するつもりなのだろう。
無駄な足掻きを。
黄龍は再び手を振り上げた。遥か上空。数千キロの範囲に存在していながら存在していない状態となった膨大な流体は、その構成分子ひとつひとつが陽光を反射。一点へと収束していく。
膨大なエネルギーを秘めた光が、再び薙ぎ払われた。
海面が直線状に爆発。幾つもの戦船が両断され、神格が蒸発。海面に飛び込んだ一部を除き、難を逃れた者はいないだろう。
最期の力で放たれた反撃も幾つか、黄龍を襲ったが。
あるものは護衛の神格が生み出した氷の盾に阻まれ、またあるものは強電磁場で吹き散らされた。届いたものもあったが、無意味だった。黄龍に命中する直前、停止していたから。
突っ込んで来た300トンの槍は、まるで見えない壁に激突したかのように静止したのである。いや。全く見えないというわけではない。かすかな光を発し、まるで液体のように波打つ何かが盾となって、槍を完全に食い止めていたのである。
不可視の
圧倒的実力で敵を排除した黄龍は護衛を引き連れて降下。水中をサーチ。残った敵も撤退したようだ。
遥か水平線の彼方へと目を向ける。
そこに見えるのは高き峰の連なり。その向こう側には神々の地下基地があるはずだ。その名を、第六十七地下長期避難施設。その真上には黄龍と言えども迂闊には近づけぬ。アルキメデス・ミラーで攻撃しようとすれば、多数の防御塔が放つレーザーの集中砲火を浴びる事となるだろうから。だが、海面すれすれから接近するならば、敵を守る山々が仇となってこちらを狙い撃ちはできない。それを妨害する障害はたった今消滅した。黄龍の手によって。
後は本隊を待てばよい。物思いにふける黄龍。この神格は極めて強力であったがしかし、経験が足りていなかった。
だから。
突如として海面から強烈なエネルギーが吹き上がり、その中から赤い戦女神像が飛び出した時。黄龍は、致命的な判断ミスをした。
突き出された強烈な二刀に対して腕を向け、そして
目が合った。
間近に迫る、兜に覆われた顔。そいつの全身を構成する原子が励起する。ふたつの切っ先の向こうに結ばれる交点を焦点として、巨大なエネルギーが転移してくる。
反射的に身を捻った黄龍の二の腕の内部で、その
分子が崩壊していく。それが連鎖する。被害が拡大していき、たちまちのうちに渦となっていく。
黄龍は矛を捨て、腰に佩いた剣を自らに対して振り抜いた。
肩口から切断される、腕。
空中に残されたそこから渦が広がっていく。腕を失った黄龍が落下していく。赤の戦女神がとどめを刺そうと剣を振りかぶる。護衛の神格たちが槍を投じ、あるいはレーザーを放ってそれを阻止しようとする。
そこに幾本もの
直撃を受け、あるいは回避する神格たち。いずれであってもそれは、危機にある黄龍へと差し伸べられるべき手が届かなかったという結果を招く。
黄龍の目が、恐怖に歪んだ。
そこへ突き込まれる切っ先。それは正確に、黄龍の鎧に覆われた胸板を貫く。
既にダメージを受け、全身の分子間結合が緩んだ黄龍は耐えられなかった。全身にひび割れが走り、それは拡大し、そして―――
一拍置いて、黄龍は砕け散った。
敵神の撃破を確認した赤の戦女神は、拡大していく"渦"に乗じて海中に飛び込んでいく。
混乱する護衛たちは対処できなかった。
渦が収まった時。そこには既に、赤の戦女神像の痕跡は残っていなかった。
◇
「―――死ぬかと思いました」
「あれを死ぬかと思ったで済ませられる君は凄いな。どう考えても成功しないはずだったが」
あっけらかんという
海中深くのことである。国連軍の神格。それも新型らしい龍人タイプを撃破し、命からがら逃げ帰る途中だった。あの数をまともに相手していたら間違いなくやられていただろう。ブリュンヒルデの
「大金星だったのは間違いないが、新型一体をやったくらいでは国連軍は怯まないぞ。これほどの大攻勢だ」
「分かっています。ですから私がやったのは嫌がらせです。後の戦いが少しでも楽になるように。それは我々の生存率にも若干、よい影響を与えるでしょう」
「意外だな。君が自分の生存率を気にするなんて」
「私自身はどうでもよいのですが。デメテル、貴女は自分の生命を気にしているようでしたから」
「君ってやつは。まあいい。基地に帰投しよう。戻っても攻め寄せてくる国連軍とまた殴り合うだけだが。
―――どうした?」
「いえ。あの神格。最期の瞬間、おびえていたように見えました。私に対しての恐怖を目に浮かべていたんです」
「そりゃあそうだ。自由意思のある生命体はみんなそうだよ。死にたくない。ましてや人間以上の知性を持った知性強化動物だぞ?」
「自由意思―――ですか。ではなぜ彼らは、死の危険を冒してまで戦っているのでしょう?」
「……死ぬより恐ろしいことがあるから。だろうな。それが何なのかは、聞かないと分からないが」
「そうですね。機会があれば聞いてみることにします」
「知性強化動物相手にか?正気じゃあないな。いやまあ、君らしいっちゃあ君らしいが」
デメテルは相棒の物言いに苦笑。いつものことだが、ブリュンヒルデは眷属として、実は相当に変なのではないかと最近思う。だからと言って友人の肉体を奪ったこの機械生命体に対する、複雑な感情がすっきりとするわけではないが。
「さあ。戻りましょう」
両名は深海を進み、陸を目指した。次の戦いに備えるために。
―――西暦二〇六〇年十二月初旬。第六十七地下長期避難施設が陥落する直前の出来事。
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