ハヤブサの飛ぶ街

「お散歩したーい!」


【イタリア共和国カンパニア州ナポリ ナポリ海軍基地周辺】


そう叫んでいるマルモラーダがしがみついている褐色の腕を、ペレはひょい。と上げた。ぶらーんと持ち上がる白い知性強化動物の子供。軽い。神格の腕力からすれば空気のようなものだ。

「おさんぽ?」

「ひとりで出かけたーい」

ぶらぶら。ペレの腕にぶら下がりながらの主張だった。

対する炎の女神の返答は以下の通りである。

「ひとり、だめ」

「じゃあアミアータを誘うから!」

「こどもだけ、だめ」

「ペレちゃんのけちー」

ペレは腕を下ろすと小首をかしげた。マルモラーダたちキメラ級の第一陣は知能こそ人間の大人顔負けだがまだまだ経験が足りないし、肉体的にも子供に過ぎない。常識的に考えても人間の幼児同様大人の同伴は必須である。

などとやっていると、名前を呼ばれたアミアータが顔を出した。

「マルモラーダ、呼んだ?」

「あ。いい所に。ペレちゃんに言ってあげてよ。子供だけでお散歩しちゃダメっていうのよ」

「子供だけじゃないと駄目なの?」

「もちろん。向こうの通りのおうちの屋根に上るんだから。……あっ」

マルモラーダは、恐る恐るペレの方を振り向いた。こちらをじー。と見下ろしてくる。

「あぶないの、だめ」

「だから子供だけで行きたかったのに……」

目論見がばれたマルモラーダは縮こまった。ペレはいつもにこにこしているが、怒ると怖い。静かな迫力がある。この辺はさすが、先の戦争の英雄と言ったところだろうか。

助け船を出したのは、アミアータ。

「どうして屋根に上るの?」

「あれ……」

マルモラーダが指さした先。ちょうど、理由が飛んでいくところが見て取れた。

それは、ハヤブサだった。驚くほど俊敏な中型の鳥類が上空を横切っていくのだ。

「この間巣っぽいところを見つけたの!きっと古いおうちの屋根の隙間に巣を作ってるに違いないわ。見に行きたーい」

「ちかく、いく?」

「うー。それで我慢する」

妥協案に、マルモラーダは頷いた。ここでペレと言い争っていてもこれ以上の譲歩は引き出せそうにない。

ペレに引率され、アミアータも加えた一行は施設の職員に外出を告げると基地の外に向かう。

「ハヤブサが都会に住むようになったのって最近なんだって」

マルモラーダが先を進みながら言った。その手はペレにしっかりと繋がれている。

「元々は断崖に住んでたの。けど、煙突とか教会。ビルディング。色んな建物が代わりになった。都会に住んでる鳩を食べてるんだって。今じゃあハヤブサの過半数は都会で暮らしてるそうよ。ハヤブサだけじゃない。浜の植物は融雪剤の塩がまかれた道路に沿って育つし、アライグマは器用だからゴミ箱の中をいじるのがとくい。人間はたくさんいるから、こういう生き物たちが暮らす隙間もいっぱいある。都会は人間以外の生き物も暮らしやすいのよ」

人が行き交う通りに出た。誰もペレと手をつなぐキメラたちを気にしない。ナポリの街での知性強化動物は、ごく当たり前の風景の一部だ。

「都会に適応した生き物はハヤブサみたいな賢いものばっかりじゃない。タンポポは遠くに種を飛ばして舗装した地面の上に落ちるよりも親の育った土の上に落ちるものが子孫を残せるようになったし、光だらけの街じゃあ昆虫も光に引き寄せられなくなった。あっという間に進化したの。世代交代でね。まるでわたしたちみたい」

「しんか?」

「そう。だってたった四十年で、性能は何十倍も上がったじゃない。

あっ」

見上げた三人が目にしたのは、古めかしいつくりの大きな住居。アパートらしい。その窓にたむろしている鳩を襲う猛禽の姿を、皆が見た。

「もうすぐおうちに帰ると思うわ」

狩りを終えたハヤブサは屋根の上に移動。姿を消した。巣穴に戻ったのだろうか。恐らく地上からでは見えないのだろう。

「あーあ。いっちゃった。出来たら上から巣穴を見つけたかったのに」

「仕方ないよ。危ないもの。ペレちゃんが心配してるみたいに」

マルモラーダの呟きに、アミアータが答えを返す。

それからしばらく待ってみたものの、ハヤブサは姿を現さない。反対側から飛んで行ったのかもしれない。

「出てこないね」

「しょうがないわ。いるのは分かったんだし、また今度探しましょ」

「うん」

一同は結論付けると今まで来た道を反転。

「ねえ。ペレちゃん。今の時代って何ていうか知ってる?」

「?」

「人新世。って言うんだって。地質時代の区分」

一行は、そんなことを言い合いながら帰路についた。




―――西暦二〇五七年。キメラ級誕生の翌年、樹海大戦開始から五年目の出来事。

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