ロゼッタの碑文

「もちろん、そうではない。我々は文化遺産をより良き状態で次の担い手に手渡さねばならない。それが知的生命体としての義務だと」


樹海の惑星グ=ラス 空中都市"ソ"】


「この石が何か知っているかね」

「ロゼッタストーン。エジプトのロゼッタで1799年に発見され、ナポレオンによって持ち帰られた碑文です。同一の文章が三つの言語で書かれ、当時未解読だったヒエログリフ解読の鍵となった。レプリカを見たことがあります。かつて本物が収められていた大英博物館で」

「ほう。あそこは再建されたか」

「ええ。ロンドンの街ともども」

照明の光量が抑えられた、博物館だった。空中都市内部に設けられたここは、昼間には市民に向けて解放されている。今は夕刻。閉館後の今、訪れているのは二柱の神々である。

ソ・ウルナとそして、グ=ラスであった。

「人類からの略奪品の収蔵庫、ですか」

「その通り。あの戦争で得た貴重な歴史的遺物を、我々は保護した」

「ものは言いようですね」

「建前というのは何事においても重要だ。君に説明の必要もないとは思うが。それに実際、あのまま地球に放置しておけば本当に失われていただろう。人類に文化遺産を守るだけの余力がなかったことは明白だ。それを憂慮した者たちが、我々の中にもいたのだよ。大勢ね」

「神戸。イスタンブール。ローマ。台北。マハチカラ。ケープタウン。無数の都市が破壊されました。あなた方の用いた都市破壊型神格によって。歴史的建造物も多数失われています。自分たちで破壊しておいて、その一部を持ち去ったのを保護というのであれば、そうなのでしょう。人類の用法と、かなり異なるにしても」

「手厳しいな。だが人類の間でも同様のことは起きた。例えばこのロゼッタ・ストーン。これはサイスの神殿に納められているべきものだった。だがのちの時代には建築資材として持ち出され、フランス軍が確保した。すぐにそれはエジプトに上陸したイギリスによって奪取され、そして最終的には大英博物館に収められるに至った。本来の持ち主であるエジプトは遺伝子戦争当時に至るまで蚊帳の外だったわけだ。同様の問題はエルギン・マーブル。円明園十二生肖獣首銅像の鼠と兎。他にもある」

「普遍的な問題であるからといって正当化されると?」

「もちろん、そうではない。我々は文化遺産をより良き状態で次の担い手に手渡さねばならない。それが知的生命体としての義務だと考えていた。だから、そろそろ本来の持ち主の下に戻る算段をする頃だろう」

「……文化財を、人類に返還すると?」

「受け入れられるだけの力はもう、取り戻しているはずだ。はね。違うかい」

「―――もちろん」

少年神は、神王の顔を真正面から見据えた。迷いのない視線が返ってくる。ふたつの意思が交差していた。

「グ=ラス君。私は君をこの、ロゼッタストーンのようなものだと考えている。同じ内容を意味する三つの言語が刻まれた、碑文。それと同様の役目をはたしてくれると」

「―――和平をお考えですか」

「それは私の立場ではまだ、はっきりと口に出すことはできない。君が相手では特にね。私の考えに反対する者は数多い。恐らく実現するまで十年か二十年はかかるだろうな。彼らを説得する材料が必要だ。それも出来るだけ多く。私にとっては君もそのうちのひとつだよ」

「あなたにとっての僕の価値が何なのか、ようやく理解できた気がします」

「それはよかった。手伝ってもらいたい」

「それが人類の利益となる限りにおいては」

「もちろんだ。君の立場は尊重しよう」

神王は、深く頷いた。




―――西暦二〇五七年。遺伝子戦争開戦より四十一年、ロゼッタ・ストーンが発見されて二世紀半が経ったある日の出来事。

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