山中の遭遇戦
「いやな雰囲気です」
【
「……」
グ=ラスは、部下の発言を聞き流した。
高地の樹海を行軍中のことである。周囲は硝子の葉を持つ木々に地球由来の蔦が絡まり、枝を渡って行くのは白い毛に黒い顔を持つ猿。足元まで覆い尽くすまでに繁茂した植物に悪戦苦闘しながら進む必要のある、複雑な生態系である。事前情報では地球で絶滅寸前のベンガルトラも確認されているらしい。鉈で道を切り開きながら、分散した小隊は前進していた。
友軍の救出が彼らの任務だった。負傷した神格を探して彼らはこのような地形を進んでいるのだ。彼ら以外にも重火器装備の小隊がバックアップについている。敵に接触を維持している監視からの報告では、神々の軍勢もこちらに山岳用の重ロボットを投入して山狩りを開始しているからだ。いつ戦闘が開始されてもおかしくない。
「虎の餌食にならないように気をつけろ。ここじゃあ敵は神々だけじゃない」
「はっ」
地球由来の生物が、ここでは驚くほどに豊富だ。この惑星では基本的に赤道に近く水資源の豊富な地域ほど生態系の置き換えが進んでいる傾向がある。豊富な太陽光のエネルギーと水によって生育が早まるからだろうというのが科学者の間で主流の見解だった。逆に極地に近いほど生態系の置き換えは進んでいない。
そういった事情から、今もうだるような暑さだった。木々の下だというのに蒸し焼きになりそうだ。
しばらく経った頃。
―――ガサガサ。
そんな音に、兵士たちが銃口を向ける。手でそれを制止すると、手振りで指示。兵士たちはグ=ラスの意図した通り、後退しながら遮蔽を取った。緊張する瞬間。
やがて。
茂みの向こうから現れたのは、黒い毛むくじゃらで四本足を備えた大きな生き物。ナマケグマと呼ばれる熊の一種である。メスらしいそいつは、小柄なやはりナマケグマを連れていた。子連れなのだ。
そいつらは、人間たちの前をゆっくりと横切っていく。警戒を露わにしながら、何度も振り返って。姿が再び茂みの向こうに消えるまで、どれほどの時間があっただろうか。
「―――ふう」
緊張が解ける。発砲を避けられて皆が安堵していた。
「よし。捜索を再開―――」
グ=ラスが言いかけたその瞬間。無線機より報告が入ってきた。
『こちら第三分隊。お嬢さんを見つけた!かなり弱ってるがまだ生きてる』
「よくやった。第三分隊はそのまましっかりとお嬢さんをエスコートしろ。第二分隊は我々と共に周囲を警戒だ。帰るまでが遠足だぞ。気をつけろ」
『了解』
捜索対象発見の報にグ=ラスは喜色を浮かべた。任務はこれで半分は終わったも同然だ。問題は無事に帰ることができるかどうかだったが。
果たして、彼が危惧していた通りの展開となった。立て続けの発砲音が、山中に響き渡ったのである。
『―――こちら第二分隊。敵ロボットと交戦中!畜生、パワードスーツもいるぞ!』
「分かった。至急応援に向かう。第三分隊が後退する時間を稼げ。
―――スミヤバザル、聞こえたな!出番だぞ!!」
『応ともよ!待ってろ。すぐ片づけてやるぜ』
通信を終えたグ=ラスは、自ら部隊の先頭に立つと走り出した。
◇
「聞いたな!鳥頭どもをぶっ殺しに行くぞ」
部下たちに指示を下したスミヤバザルは、不整地へと踏み出した。装備込みで二百十二キロの体が前に傾く。腰に増設された電源より四肢に縛り付けられた電磁筋肉へとエネルギーが流れ込む。間脳電流を読み取ったCPUが最適な動作パターンをはじき出す。訓練された肉体が、それら全てを統御する。
パワードスーツで身を鎧った男たちが、樹海の奥へと突入した。
人類にとっての軍事用パワードスーツは、医療用の強化外骨格に端を発する。遺伝子戦争後、傷痍軍人の社会復帰のために発展したこの機器は兵士の行軍能力や装備の運搬能力の向上のために用いられ、そこに増強された防弾装備が加わり、各種火器を搭載されて恐竜的発展を遂げたのである。他にも海上での乗り込みのための飛行パワードスーツや工兵用パワードスーツなど、その用途は多岐にわたる。
その最先端である、陸戦用パワードスーツ部隊は戦闘音を頼りに恐るべき速度で起伏を乗り越え、前進していく。発射炎が見えた。斜め側面をこちらに向けて発砲しているのは味方の兵士たちだろう。その向こうにいるのは二本足の恐竜のようなロボットどもとそして、鳥頭に操られている人型の甲冑。敵のパワードスーツだ。
そこまでを認めた男たちは、我先に戦場へと突入していった。
◇
ロボットが、真横に吹っ飛んだ。
それを認めた神々のパワードスーツ兵は即座に横転。大木の陰に入った途端、真横を銃撃が通り過ぎて行く。身を乗り出して撃ち返す。一瞬でも判断が遅れていれば死んでいただろう。側面から突っ込んできたのは鉄帽を被りボディアーマーをつけた兵士。それを一回り屈強にしたかのような風体の人型が複数いる。ヒトどものパワードスーツだ!
木陰より飛び出す。銃撃を斜めに受けた大木が千切れた。倒れ込んでくる幹を避けるためには前進するしかない!スラスターを吹かす。突っ込む。止まれば死ぬだけだ。ええい、ままよ!敵パワードスーツに向けてタックルをぶちかます。
衝撃。
揉み合う。目まぐるしく上下が入れ替わる。斜面を転がり落ちていく。周囲の敵勢はどうなった。味方と戦っているのか。分からない。目の前の敵で手一杯だ。殴られる。殴り返す。目が合う。ただふたつ、機械に覆われていない口元が罵声を吐き出し、そして右目が憎しみのこもった視線を投げかけてくる。頭突き。腰に手を伸ばす。振動ナイフを引き抜く。こいつならバターのように装甲を切り裂ける。敵がこちらの腕をつかんだ。ナイフを突き立てられない。力比べだ。電磁筋肉に電力が注ぎ込まれる。機械にアシストされた腕力のぶつかり合いは凄まじい水準に達している。
じりじりと、ヒトの首筋にナイフが近づいていく。
勝った。そう、確信した瞬間だった。背後に小さな衝撃。と同時に、スーツのパワーが低下していく。
「―――!?」
視界に表示されたのは背面パワーパックの損傷を告げる警告。それを理解する暇もなく、ナイフが押し返された。体勢がひっくり返る。ナイフが奪われる。補助パワーに切り替わった時には既に、形勢は逆転していた。
ヒトが振り上げた振動ナイフ。それは、持ち主の右胸に深く突き立てられた。
神の意識は、急速に暗転していった。
◇
「無事か」
「なんとかな。また借りが出来た。命を救われたのはこれで二度目だ」
「その内返してくれればいい。それより残りを片付けるぞ」
「了解だ」
スミヤバザルは身を起こした。駆けつけて来たグ=ラス率いる分隊がいなければ危なかった。敵に喉を掻き切られていたはずだ。
武装を確認。銃を取り落としたようだ。拳銃を抜く。スーツにマウントされた対ロボット・対パワードスーツ火器もある。戦闘力の低下は軽微と言ってよい。
両者は二手に分かれて斜面を登ろうとして。
パワードスーツが、降ってきた。
味方のそれは信じられないような放物線を描き。落下。ちょうど人間たちのすぐそばの立木へと激突し、そして地面にたたきつけられた。
「!―――!?」
彼は既に死んでいた。だが、屈強な兵士たちをひるませたのはそんなことが理由ではない。その体表面は霜に覆われていたのである。まるでたった今、凍り付いたかのように。
「―――最悪だ。散開しろ。急げ!!」
咄嗟に反応できたかどうかが生死を分けた。敵の視界より咄嗟に逃れた者たちだけが生き残ったのである。
間に合わなかった不運な数名は、宙に浮かび上がった。まるで見えない手で持ち上げられたかのように。
分子運動制御。肉体の持つ熱エネルギーが運動エネルギーに転換された、それは結果だった。
次の瞬間には兵士たちは落下。もはや息をしてはいない。落下によるものではない。宙に持ち上げられた時点で彼らは既に凍死していたのである。
―――眷属!
旧式化したとはいえそれは生身の兵士にとってはいまだに脅威だ。撃墜した人類製神格にとどめを刺すために動員されたのであろうそいつはほとんどの物理攻撃を無効化し、銃弾を視認した上で回避できる反射神経と恐るべき身体能力。圧倒的不死性を備える。対策が確立した現代ですらまともに対峙したい相手ではなかった。不幸中の幸いは、奴が巨神を出してきてもなんとかなるということだけだ。こちらは本隊に支援攻撃を要請できる。相手の正確な位置さえ報告できれば、遠隔攻撃で始末できるのだ。こちらも無事でいられるかどうか定かではないが。
そんなリスクを冒すくらいなら敵は、生身でこちらを始末しようとするだろう。
グ=ラスは考える。上は静かになった。自分やスミヤバザルの部下たちは全滅した可能性が高い。相手もこちらを警戒しているか、姿が見えない。このまま睨み合い続けるわけにもいかない。
無線でスミヤバザルから相談が来た。
「レーザーはあるか?」
「やられた兵がレーザー銃手だった。あの分じゃあもう使えんぞ」
「レーザーなしで眷属戦か。きついぜ」
歩兵分隊には分子運動制御能力を持つ眷属対策にレーザー銃が配備されているが、それはもはや失われてしまった。質量弾か刃物で始末するしかない。
「こうなりゃ奥の手だ」
「奥の手?」
「このツラの出番だ。劇団グ=ラス小隊の演技力を見せてやるよ」
◇
屈強な男の姿をした神々の眷属は傾斜より進み出た。足場が悪い。敵にレーザー火器があれば危険だろう。警戒しながら降りる。ロボットや神々も迂回しながら降りているはずだ。
傾斜の下で幾つものヒトの死体。先ほど始末したものだ。それと、神々が身にまとうパワードスーツの、抜け殻。脱ぎ捨てられたものが転がっているのだ。着用者は生きているらしい。この出血量では相当に危険だろうが。
その時だった。
「ぅ……」
声が岩陰から聞こえる。警戒しながら近寄る。羽毛に覆われた後頭部が見えたことで、相手の正体が知れた。
神々。主人たる種族の一員がそこにいた。
「ご無事ですか」
「助かった。…もう動けん、手を貸してくれ」
「味方を呼びます。少々お待ちを」
手助けするべく近寄る。敵勢は逃げ去ったか?分からない。分からないが―――
「―――!」
咄嗟に手を振り上げるのと、真上から落下してきたヒトが吹き飛ばされるのは同時。分子運動制御で落下軌道を変えただけだが無傷では済むまい。
露骨な罠だ。神々を囮に使われたからと言って油断すると思われていたとは。
相手にとどめを刺すべく歩み寄る。虚空より剣を掴み出し、それを振りかぶる。
強烈な一撃が、振り下ろされる。
まさしくその瞬間、眷属は。首筋から喉にかけ、灼熱のごとき苦痛を感じた。
「―――!?」
体が自由にならない。跪く。脊髄に振動ナイフが突き立てられたのか。もはや脳と首より下を繋ぐものはない。さしもの眷属と言ってもこれほどのダメージから回復するのは困難極まりない。
倒れた眷属は、見た。保護しようとしていた神々。その若者が、まるで眷属を始末しようという姿勢で手に振動ナイフを持っているという事実を。
「……なぜ……」
そうして眷属は、事切れた。
◇
「……やったな」
「ああ。もうしゃべるな」
グ=ラスはスミヤバザルを助け起こした。パワードスーツを脱いだこの男は、眷属に樹上から奇襲を仕掛けるという危険な役割を行ったのである。
背を向けた眷属に刃を突き立てたグ=ラスも相当に危険だったと言えるが。うまく騙されてくれて助かった。
とはいえ、それで解決というわけではない。まだ敵兵たちが残っているのに対してこちらはほぼ、小隊が壊滅状態にある。敵を何とかしなければ。
「動けるか?スミヤバザル」
「……無理そうだ。置いていけ」
「却下だ。一緒に行くぞ」
グ=ラスは負傷したスミヤバザルに肩を貸すと立ち上がった。速やかに脱出しなければ。第三分隊は無事に要救助者を連れ帰ることができただろうか。彼らを信じるしかあるまい。今は自分たちの身の安全だ。
一歩を踏み出したグ=ラスは、自らに向けられた何丁もの銃に気が付いた。敵だ。撃ってこないのは、グ=ラスが奴らの仲間と見える姿をしているからだろう。
木々の合間より出てくる、ロボットや神々の姿。
もはや退路は断たれたことを、少年神は知った。
「こりゃ駄目そうだ。スミヤバザル。今まで世話になった」
「……こちらこそ」
ふたりは、抵抗しなかった。少しでも生存率を上げるために。
―――西暦二〇五七年、六月末。地球生まれの神が、神々の捕虜となった日の出来事。
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