プログラムする宇宙

「巨神は本質的には異なる宇宙そのものだ。神格は自分の思うが儘になる宇宙をひとりひとりが持っているんだよ」


【日本国 静岡県熱海付近 新幹線下り線 車内】


海面がきらきらと、陽光を反射していた。

窓の外を高速で流れていく光景を眺め、相火はあくび。一番重要な荷物は足の間。同僚は車内のトイレに先ほどたったところ。後ろの席には護衛の自衛官が二名。相火のではなく、荷物のだ。今の相火の勤務先から、神戸の新理化学研究所・計算科学研究センター。そこに運び込むデータを詰め込んだ記憶媒体がアタッシュケースの中に入っている。今も昔も大容量データは回線より物理的に運んだ方が早いし何より安全だった。それが軍事機密である神格研究に関するものとなればなおさらだ。飛行機やリニアモーターカーの方が早いが、乗り換えの回数が多くなることからこちらが選ばれたのだった。客の入りは6割と言ったところか。新幹線は戦争を生き延び、車両を更新しながらももう、九十年以上稼働し続けている信頼性の高い公共交通機関だ。

信頼性は大事である。相火が今の職場。防衛関連の、それも神格に関する研究職にヘッドハンティングされたのはその能力もあったが、身元がはっきりしていたからである。父は公立学校の教師。母も公務員。祖父は知性強化動物研究の先駆者。これ以上ないほど身綺麗と言ってよい。

窓の外を眺めていると、懐が振動。そろそろ定時連絡の時間。スマートフォンを取り出しアプリを起動する。文字を入力。最近のスマートフォンは触感からブラインドタッチが可能である。慣れればかなり早い。

「やあ。九曜」

『こんにちは、相火さん。そちらの様子はどうですか』

「平和だね。さっき熱海を抜けた。会田さんがトイレに行ってる。警備の人は僕の後ろで何か起きないか気を配ってくれてるから平気」

『何事もないようで何よりです』

「戦争中とは信じられないよなあ」

自分と同年代の若者が大勢、向こうの世界で戦っているということを相火は知っていた。知人友人も大勢あちらにいるし、叔父などは帰還者の代表的な立場として世界中を忙しく飛び回り、国連軍への情報提供や各地での講演、門に関する技術的助言、多くの帰還者のための慈善活動などで休む暇もないほどだ。それでも正月と盆、冠婚葬祭の時だけは必ず日本に帰ってくるが。

それでも、相火の手の届く範囲からは、戦争は遠い。

「結局僕にできる事と言ったら数式をこねくり回すことくらいだ」

『重要な仕事です。人間には私たちにもできないひらめきがあります。何百万という数の個体差がある頭脳は、百基の高度知能機械に時として勝ります』

「その両方を併せ持っても、人類がこの宇宙を解き明かすにはパワー不足だけどね」

『仕方ありません。宇宙は本質的に予測不能なのです。十分に強力ないかなる論理体系にも、証明不可能な言明は必ず内在しているのですから』

「そんな有様で宇宙を一個作ろう。っていうんだから僕たちも無謀だよな」

『巨神ですか』

「その通り。あれは本質的には異なる宇宙そのものだ。神格の望む未来を具現化するために無数の選択肢の中から望ましいものを選び取った結果が、あの奇跡のような機能だよ。代表的なのは分子運動制御だな。粒子の運動方向一つ一つの可能性を、神格が求める方向に絞っている。神格はひとりひとりが自分の思うがままになる宇宙を一つ持っているようなもんだよ。だから他の神格に対しては分子運動制御が効かないわけだ。相手は別の宇宙に属してるんだから」

『一方で、巨神はこの宇宙からは半ば独立し、半ば属したままの存在でもあると。だからこの宇宙の存在には分子運動制御が及ぶわけですね。面白い考え方です』

「巨神の性能に限界があるのは、神格の持つ、命令を与える能力に制限があるからだ。コンピュータと同じだよ。適切なプログラミングをしなければそれはただの箱に過ぎない。神々が巨神の可能性について思い至らなかったのも無理はないのかもな。最初にこのことに気付いたのは誰になるんだろう」

『知性強化動物の高性能化による眷属への優位性の確保。というドクトリンについてでしたら、最初に提唱したのはウィリアム・ゴールドマン氏ですが』

「どうなんだろうなあ。そこまで考えてたのかどうかは分からないや。お祖父ちゃんは親交があったらしいけど。ただ、この間完成したキメラ級。どうもそっち方向の制約を克服する目的で設計されてるっぽいんだよな」

『我々の八咫烏のように、ですか』

「うん。やっぱり先駆者だ。向こうは最初期から人類製神格を作ってる大御所だしね。僕みたいな下っ端のぺーぺーとは格が違う」

『そんなことはありませんよ。相火さんも彼らといずれ、肩を並べるでしょう』

「はは。そうなるといいなあ」

相火は。この、神々の間でも未解決とされてきた数学的難問のひとつを解き明かした青年は、気恥ずかしそうに鼻の頭をかいた。

「あ。会田さんが戻ってきた。じゃあそろそろ切るよ」

『はい。それではまた』

通信が切れる。

スマートフォンを懐に仕舞った相火は、戻ってきた同僚に荷物を任せると自らもトイレに立った。




―――西暦二〇五六年六月。相火が九曜と再会した二カ月後、八咫烏級が誕生する二年前の出来事。

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