暴風雨の中で

「ほら。怖くない。私は何もしない。こんななりだけど、私は人だよ。貴女が人間なのと同じように」


樹海の惑星グ=ラス南半球 多島海】


酷い嵐だった。

空を覆い尽くすのは分厚い雲のヴェール。吹き荒れる風は秒速百メートルに届き、降り注ぐ雷雨は一寸先の視界すら覆い隠す。ひ弱な人間など生存する事すら叶わぬ地獄の環境である。

現に、地上の木々の葉はあらかた吹き飛び、大木すらて宙を舞っている有様。想像を絶するエネルギーがこの地を覆い尽くしていた。

にもかかわらず、自らの意思で大地にすっくと立つ者はいた。

暗灰色の獣神。被膜を備えた翼を背に折りたたみ、縦と甲冑で身を守り、蝙蝠にも似る頭部を備えた五十メートルもの巨体は、嵐にも吹き飛ばされることなく山間部に跪いていた。

巨神。この超兵器が姿勢を低くしているのは風を避けるためではない。これを引き起こしている者より姿を隠すために跪いているのだった。敵はこちらを探しているはず。先手を取ることに失敗すれば著しく不利となるだろう。先に相手を見つけた方が勝つのだ。

巨神は―――"ドラクル"は周囲の観察に注力した。

谷間で風が弱まったせいか、足元の樹木の被害はまだ少ない。地面を伝わってくる振動は今のところ正常。目視及び各種受動センサーの感度は低下中。ひょっとすれば敵は見当違いの場所を探しているのでは?

そんな考えが浮かんだ時だった。暴風雨の壁を突き破り、背後から巨大な影が飛び出してきたのは。

それは、女神像だった。兜で深く顔を隠し、全身を甲冑で鎧った精緻なる巨像が、音速の八倍の速度で百五十トンの剣を突き出したのである。

対するドラクルは振り返りながら防御の構え。腕を覆う手甲が、真正面から剣を受け止めた。

瞬間。

腕が震えた。いや、手甲の持ち主の全身が大きく脈打ったのだ。生じた波紋は腕に集中し、接触する剣に流れ込み、大きくそれを震わせながら敵手の手首にまで到達。凄まじい破壊力を発揮し、一拍置いた後に砕け散らせるに至ったのである。

恐るべき威力だった。

されど、ドラクルは追い打ちをかけることができなかった。砕け散る瞬間、剣の先端から放たれた雷撃。それに肩口を打ち据えられていたから。

「―――!?」

大地に左半身から叩きつけられたドラクルは、見た。右手を失った敵神が残る腕で槍を様子を。飛び上がった女神像がそれに、膨大な熱エネルギーが流れ込む様子を。

分子の熱運動が束ねられ、そして射出された。

熱核兵器に匹敵するパワーは巨大な破壊力を発揮。谷間の木々を消し飛ばし、大地に百メートルを超すクレーターを形成するに至った。

それでもドラクルは生きていた。咄嗟に伸長させた右の翼で、槍の照準を逸らしたから。

ドラクルが起き上がるより、女神像が距離を取る方がほんの少しだけ早い。わずかな差。されどそれは致命的な差だった。

女神像は左腕を振り上げると虚空より新たな剣を召喚。切っ先をドラクルに突きつけ、アスペクトを最大限に引き出す。それは広域に荒れ狂う莫大な気象エネルギーを一点に集中させ、途方もない威力を発揮した。

ドラクルを囲むように四本のハリケーンが発生。それは暴風雨すらそよ風に思えるほどのパワーを発揮し、内部に閉じ込められた獣神像を始めたのである。

天候神にのみ許された権能であった。

勝利を確信した女神像はだから。ハリケーンをきた攻撃をかわすことができなかった。斜めに振り上げられた二百メートルの長槍によって、下半身が半ば切断されたのである。

「ああああああああああああああああああ!?」

女神像が初めて悲鳴を上げた。分子運動制御によってなおも空中にとどまる彼女の前に、負傷を与えた敵神が、姿を現す。

ハリケーンの中から出てきたのは、蝙蝠の獣神像。全身が暴風に削られ、槍を防いだ翼は裂けていたが、その損害は軽微に見える。恐るべき防御力と言えた。は女神像にとどめを刺すべく長槍を振りかぶり―――

「いや。何。何なの。これはなに。夢?たすけて。誰か」

錯乱したように女神像に、ドラクルは手を止めた。

「化け物?怖い。殺さないで。近寄らないで。どうなってるの。さっきまで家にいたのに。違う?出かけた?分からない。思い出せない」

支離滅裂な女神の言葉に、ドラクルは何が起きているかようやく理解しつつあった。相手の脳はもはや、神格に支配されていない。眷属ならばこのような言動はしない。これは―――

「落ち着いて。私は敵じゃあない。貴女は混乱している。剣を降ろして」

「―――?」

ドラクルの言葉で初めて気づいたかのように、女神像は己の左手。そこに握られている剣を見た。次いで、ドラクルに視線を向け、そして剣を振り上げる。

「あっちへ行け!離れろ!!」

「分かった」

ドラクルは一歩下がり、そして大地へ槍を突き立てた。更には左手の盾も。それらはたちまちのうちに霧散していく。敵前で。いや、錯乱し、助けを求める女神像の前で、徒手空拳となったのである。

「ほら。怖くない。私は何もしない。こんななりだけど、私は人だよ。貴女が人間なのと同じように」

「……にん……げん?」

「そう。これは私が動かしている拡張身体。あなたのもそう。私は貴女を助けに来たの。だから剣を降ろして」

「ほんとう……?」

「そう。嘘はつかないよ。ね?」

女神像は、振りかぶった剣をゆっくりと下ろした。

安堵するドラクル。もっとも緊張するべき状況は終わりつつある。

そう、思ったところで。

閃光が迸った。

真横から伸びて来たそれは、女神像を貫通。その胴体を破壊するに至った。

「―――あれ?」

不思議そうに己の体を見た女神像。その全身は、一拍置いて砕け散る。

茫然と、すべてを見ていることしかできないドラクル。

その耳に、味方からの通信が入ってきたのは直後のことである。

「―――無事か。ミカエル」

「あ―――」

「危なかったな。すまなかった。こっちは片付いた」

振り返れば、水平線上。怪獣のごとき姿をした味方の神格がそこにいた。戦場に出るのが初めてのドラクル―――ミカエルと組んでまだ日が浅い、相棒。

「どうした?酷い怪我でもしたか」

「……ううん。何でもない」

ミカエルは頭を振った。何も知らない彼に言うのか?あなたはたった今、自分を取り戻しかけた女の子を殺したんだ、と。

それこそ意味のないことだ。

「ひとまず帰投しよう。ただのパトロールのはずがひどい目にあったな」

「うん」

損傷を自己修復したミカエルは、一度だけ女神像がいた場所を振り返る。もはやそこに何ら痕跡が残っていないことを確認した彼女は、翼を広げると飛び立った。




―――西暦二〇五六年十月。ミカエルが初の実戦を経験した日の出来事。

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