一難去ってまた一難
「これで……旅は終わりなのかな」
【
「あいたっ!」
のっぽは小さく悲鳴を上げた。左手の中指の先、左側にあてられた小さなキットのせいだった。
「ごめんねえ。はい。血をとるよ!」
衛生兵が中指をしぼると、小さな血の玉が浮かび上がる。それを小さなガラス片の先につけると、台に置かれた機械へはめ込んだ。
「遺伝子改造もマイクロマシンの投与もなし。まじりっけなし、百パーセントの人間だ。次!」
「は、はい!」
続いてまんまるが同じ目に遭う間に、のっぽは後頭部へ別の機械をあてられていた。
「あ、あの、これなんなんですか?」
「眷属じゃないかチェックしてるだけよ。規則でね。さっきのは血の検査で、今やってるのは音で脳内にいるかもしれない神格の影を探すの。神々が避難民の中に眷属を紛れ込ませて門への破壊工作をやらせようとしたことがあってね。ダブルチェックすることになってるの。ハイ終わり!この腕章をつけて。チェック済みのしるしだから外しちゃだめよ」
「は、はい……」
国連軍の物資集積所での出来事である。樹海の広場にコンテナや木箱が山積みになり、頭上には迷彩シートが張られているだけの簡素な空間で、子供たちは検査を受けていた。ちなみに衛生兵たちが怒鳴り気味なのは単純に戦闘音で少し離れると聞こえないからである。数キロ離れた程度で眷属の大群と国連軍との戦いの喧騒が届かなくなるはずもない。
「そっちの子も診てやってくれないか」
「残念ながら俺たちじゃあ手に負えないよ!応急処置がせいぜいだ。記憶喪失ともなりゃ、後送して精密検査が必要だな」
アンディの懇願への衛生兵の答えはこうだった。ローザの記憶の回復はもうしばらく先らしい。ちなみに彼も大出血した影響でまともに動けず、木箱の合間に寝かされている。明らかに機能不全を起こしている環境管理型神格に治療されたのもあって要検査のお墨付きだ。他の怪我人と共に後方へ送られるらしい。
「―――おっと。やっと照会が返ってきた。イタリア国籍、フォレッティ級、ローザ。去年の三月、現地人エージェントからの連絡を最後に消息が途絶えてる。申告通りだ。
よく帰ってきた。おつかれさん」
端末と睨めっこしてデータベースから照会していた係官は、ローザのほうを向くと微笑んだ。
「おばさん。魔女さん―――現地エージェントの人については、分かる?囮になるって言って別れた後、どうなったかわからないの」
「待ってくれ。―――不明だ。連絡が途絶えてる。いやまて。現地付近から赤道にかけて、移動しながらの大規模な戦闘があったと付記されてる。このエージェントは神格か?」
「うん。人類側神格だって言ってた」
「……ここにある情報だけじゃあ消息は分からないとしか言いようがないな」
おそらく生きてはいないだろう。という推測の言葉を、係官は飲み込んだ。言ってどうなる?
この段階で、チェックを終えた三人組がやってきた。ツーマンセルで検査にあたっていた衛生兵たちはもう別の仕事にとりかかっている。ここは最前線のすぐ後ろだ。補給を受けるために後退してくる車両もあるし、その時に負傷者は手当てを受ける。重傷者ならそのまま降ろされるのだった。もちろん、死体も。
「あ、あの。僕らはどうなるんですか」
「君たちは後方に行ってもらう。四人ともだ。負傷者を後送する車を出すから、一緒に乗ってくれ。今ならまだ安全に下がれる」
「はい」
「ひとつだけ言わせてくれ。
よくぞ、この困難な旅をやり遂げた。よくやった」
「あ―――ありがとう、おばさん」
◇
がたごとと、荷台が揺れていた。
ひび割れた舗装路を走っているのは幌のかかった昔ながらの軍用トラックである。今でも戦場ではこの手の液体燃料(石油以外のものも含む)で走る車両が主流だ。液体燃料はエネルギー密度が高く、取り扱いが容易で、比較的安定している。補給や整備の容易さが違うし、バッテリー式と違って極端な気温でも急速にエネルギーが目減りしたりしない。
アンディをはじめ大勢の負傷兵とともに荷台へと詰め込まれた子供たちは、遠ざかっていく前線。山向こうで上る爆炎や閃光を見上げていた。時折前線に向かうのであろう車両とすれ違う。
のっぽが呟いた。
「これで……旅は終わりなのかな」
「うん。地球に着いたらみんなとはお別れ。みんなは地球で暮らして。私は記憶を治してもらって、またこっちに来るよ」
「ローザは、また戦うの?」
「戦わなくちゃいけないよ。みんなとずっと旅してて、そう思ったの。みんなの村の人たちを助けなきゃいけないし、それ以外にもたくさん助けないといけない人がいるから」
「そっか」
「魔女さんに出会う前に会った女の子、覚えてる?」
「うん。あの時はひどい目にあった」
のっぽは、去年のことを思い出した。あれはひどかった。銃で脅されて閉じ込められ、危うく神々へと捧げられそうになったのだった。ひとこと二言しか言葉を交わさなかったが、あの時村の娘が、行けと言ってくれたのは覚えている。
「顔を見たのは少しだけだったからずっと思い出せなかったけど、あの子とこの間会ったよ」
「え?」
「メラニア。あの子がたぶん、あの時の女の子だよ。ようやく思い出したの。向こうもたぶん忘れてたんじゃないかな」
「……!」
「眷属に作り替えられる。っていうのがどういうことか、ようやくわかった気がするよ。同じ目に遭った魔女さんがどれだけ苦しんだのかも。許しちゃ、ダメ」
「……ローザは強いんだな」
「そんなことない。みんなのおかげだよ」
「そっか」
会話が途切れる。
トラックの動きがスムーズになった。マシな道に入ったらしい。よっこいしょ。と座りなおしたローザとのっぽは、幌から顔を出すと前方に視線を向ける。
ちょうどその時だった。
「―――避けて!!」
ローザが叫ぶより先にトラックは急ハンドル。その前方で、空間が揺らいだ。
直後。進路上に飛び出したのは、揉み合う二つの巨神。
急ハンドルで災難を回避したトラックは、慣性のままバランスを崩して別の災難へと突っ込んだ。具体的には、立木へと衝突したのである。
衝撃が走った。
「……いててて。大丈夫、みんな?」「僕はへいき」「僕も」
うめき声が聞こえる中、ローザや三人組は無事だった。何とか車両から這い出す。這い出して―――絶句した。
眼前で揉み合っているのは、途轍もなく巨大なふたつの構造物だったから。
下敷きになっているのは複雑な機械が絡み合ったかのような白銀の人型。いびつな形だが醜くはない。美しい造形とすらいえる。
その装甲の隙間に指を差し込み、引き剥がそうとしているのは黄金色に輝く、勇壮なる仏像"韋駄天"。二柱が瞬間移動してきたのはこの神格の
「うわああああ!」
傾き、こちらに手をついた仏像へ子供たちが悲鳴を上げる。小児を病魔より庇護する護法神の面影はそこにはない。
代わりにその役目を果たしたのはスティールコングだった。既に流体ミサイル全てを射耗し右腕も欠損したこの人類製神格は、残った左腕で敵を反対側へと押し遣ったのである。
その代償は、彼の顔面。抵抗が弱まった結果として装甲を象った流体が引き剥がされ、頭部が大きく破壊される。
明らかに、スティールコングの力が衰えていった。
「―――逃げろ……」
茫然とする子供たちが聞いたのは、幌の中からのささやくような声。
アンディだった。彼だけではない。まだ車内には幾人もの負傷兵がいる。いずれも衝突のショックで動けないのだ。
ここまで生き延びて来た子供たちは、即座にその言葉に従った。痛む体を引きずり退避しようとしたのである。
ただ一人を除いて。
「ローザ?」
「……助けなきゃ」
歩み出た少女は、この二年間何十回も試み、そして成功しなかったことをやろうとしていた。自分も神格ならばできるはずなのだ。眼前で争う二柱のように、自らの拡張身体を召喚することが。
何故できなかったのか、今ようやく理解できた気がする。拡張身体の制御は理屈で行うものではないのだ。意識よりもより深いレイヤー。無意識の領域で実行されている無数の生理機能の制御と同様の部分で、それは行われる物だったから。
片足を引く。両手で構える。自らの得物をイメージする。ローザの頭上で小麦色の霧が渦巻いた。それはたちまちのうちに密度を増し、厚みを持ち、そして一つの構造物を象る。
それは、剣だった。小麦色に輝く、途轍もなく巨大な剣がその切っ先を仏像に向け、浮遊していたのである。
既に攻撃に必要なだけのエネルギーを蓄えた状態で召喚された武装は、その持ち主。ローザの意思のままに分子の熱運動を束ね、そして運動エネルギーへと変換する。
音速の八倍で繰り出された刺突は、見事。敵神を貫通した。
急速に力を失っていく仏像を押しのけたスティールコングは、手を振り上げ、火球を掴み出し、そして振り下ろす。
それが、とどめとなった。
半ば溶融し、そして残った部分が砕け散っていく"韋駄天"。
「―――今度は、気絶しなかったよ」
ローザは振り返ると、三人組に向けて微笑んだ。身を起こし、跪いた
―――西暦二〇五四年十二月六日。神々の反攻作戦の最中の出来事。
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