晴れ渡る空の下で

「貴女は、生きる目的を見つけたのですね」


【黒海上空 国連軍共同演習空域】


どこまでも続く、白だった。

輝く太陽の下。たなびく雲海は空の彼方まで続いている。清浄で、澄み切った世界。

そんな中で。

雲が、盛り上がった。かと思えばそれは切り裂かれ、そして浮上してきた者の正体を明らかとする。

蛇だった。それを精巧に象った漆黒の巨像である。素材は大理石のようにも、金属のようにも見えた。まるで液体のように、反射する光が揺らめいている。

八万トンもの質量を備えた巨体はしかし、広大無辺なる世界と比較すればあまりにもちっぽけだ。

蛇は、ひと時もその場にとどまってはいなかった。急速に高度を上げながら前進していたのである。何をそれほど急いでいるのかはすぐに知れた。後を追って雲を切り裂く、四十八もの猟犬が姿を現したから。

音速の六十倍で飛翔する円筒形のそれらは、それぞれがまるで意思を持つかのように蛇を追尾していく。

流体で構成された誘導弾ミサイルだった。分子運動制御で推進し、電磁流体制御で大気をかき分けながら進む機動性はすさまじい。蛇に追いつくまで間もないと思われた。

もっとも先行していた一群。三発が蛇に追いすがろうというとき。

閃光が、ミサイルを切り払った。

雷のごとき早さで振るわれたのは、槍だった。微細な装飾が柄に施された、黒き短槍である。

それを握るのは、蛇に跨る者。

漆黒の女神。側頭部から二本のねじくれた角を前方へと伸ばし、一枚の布を巻きつけるようにした衣装を身にまとう。少女を象る巨像であった。

その表情は分からない。仮面に覆われていたから。けれども、唯一外側から覗けるのは、この空と同じように澄み切った瞳。

彼女は、残る四十五本のミサイルに視線を向けた。これらは少女神を包囲する構え。先の恐るべき技の冴えであっても、すべてを捌くのは困難に思われた。

だから彼女は自らの権能を行使した。その身に与えられた不死の呪い。その力の根源たる、燃え盛る焔を召喚したのである。

振るわれた槍の軌道に沿って出現した無数の火球はそれぞれが一直線に飛翔。十数もの誘導弾を溶かしていく。

包囲網の欠けた一角へ、蛇ごと少女神は飛び込んでいった。更にはそこで反転すると、ミサイル群を迎撃する構え。

縦横無尽に槍が振るわれ、そのたびに幾束ものミサイルが破壊されていく。火球が飛び交い、蛇の尾が叩きつけられ、たちまちのうちに追撃者たちは全滅したのである。

対する少女神とその乗騎の損害は軽微だった。蛇が二発の被弾。その破壊力は大きなものだったが、まるでフィルムを早回しにするかのように傷跡はしていく。

攻撃を凌いだ少女神は、その視線を雲海へと向けた。

雲が、再び爆発。その下から暗灰色の巨体が幾つも飛び出してくる。

それは、獣神像だった。軽装の甲冑を纏い、手には盾。古代の重装歩兵を思わせる兵装である。その背から伸ばすのは被膜を張った巨大な翼であり、大きな耳を持つ頭部は蝙蝠にも似ている。少女神にも並ぶ五十メートルの体躯。

驚くべき精緻な造りのは、まるで生きているかのように隊列を組んだ。盾を構え、手にした二百メートルもの長槍で槍衾を作ったのである。その向けられた先はもちろん、漆黒の少女神である。

対する少女神の回答はシンプルだった。槍を虚空に霧散させて両手を自由にすると、掌を重ねた間に巨大なエネルギーを生成したのである。

核融合プラズマ。高密度に圧縮され、封じ込められたそれが小癪な密集隊形へと解き放たれるまではほんの一瞬であった。

山脈をも蒸発させるプラズマビームが、獣神像たちに襲い掛かる。中央にいた二柱が消滅し、余波を受けた残り十柱は弾き飛ばされていく。

そこへ、少女神は切り込んでいった。

再び虚空よりた漆黒の槍。それは、獣神像の長槍と真正面からぶつかり合う。

長槍が。いや、その主人たる獣神像の全身が、まるで波紋のように脈打ったのだ。それは大都市すらも灰塵と化すほどのエネルギーを秘めた音の奔流となって黒の槍へと伝わる。どころか少女神の手にまで流れ込んで破壊するだろう。威力が正しく伝達されたならば。だがそうはならず、音の大半がまるで消滅。それ以上に流入するより早く、長槍は跳ね上げられる。この態勢になった瞬間に勝利を確信していた獣神像は、驚愕に目を見開いた。

対処の暇はなかった。少女神が返す刀で投じた槍は、獣神像の体をいともたやすく貫通したのである。

砕け散っていく敵神から視線を外し、少女神は周囲へ注意を向け直した。そこでは残りの獣神像たちが、態勢を立て直していた。

仲間が身をもって稼いだ貴重な時間。それを、は無駄にしなかった。残った九柱の獣神像たちが、一斉に少女神へと襲い掛かったのである。

対する少女神は、その背より翼を伸ばした。獣神像のものとは異なり、羽毛に覆われたフクロウのごとき翼である。

それらは即座に伸長し、絞られ、ついには虚空より槍を。まるで両の手であるかのように、翼が機能したのである。

更には左手にも一本。合計四本の槍を構えた少女神は、敵勢を迎え撃った。

槍が激突し、蛇の尾が獣神像を打ち据える。火球が暗灰色の巨体を溶かし、音が蛇の体を砕く。

ほんの一瞬で、獣神像の八柱が破壊されていた。

対する少女神の被害も軽微なものではない。翼は失われ、左手は欠損。蛇も砕け散り消滅していたのである。

だが、まだ戦える。

対するのは一柱の獣神像。もはや最後の生き残りとなった彼女は、満身創痍な敵神へと突っ込んだ。反撃の槍を紙一重でかわし、相手に抱き着いたのである。

暗灰色の巨体が、たちまちのうちに脈打ち始めた。

強烈なエネルギーに漆黒の少女神が耐えたのはほんの一瞬。その身は粉々に砕け散り、一拍遅れて霧散していった。

「―――勝った?」

茫然と呟く獣神像は、致命的な事を見落としていた。回避した槍がまだ、宙に残っているという事実を。

だから。

「いいえ」

返答に振り返った彼女の胸を貫いたのは、強烈な抜き手。いつの間にか背後に再構築され、左手で先の槍を掴んだ姿勢で、少女神はそこにいた。

「覚えておきなさい。神格は巨神の中にいるとは限らない。今、私がやったように」

最後の力で、獣神像は視線を巡らせた。少女神が左手で把持したままの、漆黒の槍を見たのである。音を流し込まれる刹那、その中へと少女神の神格はし、破壊された巨神を背後に再構築したのだ。という事実を、獣神像は悟った。

抜き手によって生じたひび割れは大きくなり、全身に及び、そして———

「―――ここまで。演習を終了する。速やかに集合。整列するように」

演習モードが解除され、撃破認定を受けて退避していた獣神像たちが再び認識できるようになる。

「帰還する!」

少女神の号令に従い、一同は編隊を組んで降下していった。


  ◇


「お見事でした」

通路に出て来たアスタロトイレアナを待ち構えていたのは知った顔であった。

サラ・チェン。この伝説的武人は、本当にどこにでも顔を出す。人類製神格の半数は彼女から何らかの教えを受けている、とさえ言われていた。

「そう言っていただけると安心します。まだまだ足りないところがあるのではといつも心配になりますから」

相手から飲料パックを受け取ったアスタロトは、ありがたく口をつけた。演習の後は喉がからからだ。先の戦いではかなり神経を使った。紙一重の勝負だったと自分では思っている。

蛇にまたがる漆黒の少女神―――アスタロトが打ち負かした相手こそ、このほどロールアウトしたばかりの"ドラクル"十二名であった。彼女らだけではない。ドラクルはバルカン半島各国による共同開発であり、ほぼ同時期に多数がロールアウトしている。これも第一陣に過ぎず、半年後には倍。一年後にはさらに大量に建造される予定だった。後継機の生産が開始されるまで、この状況は続くだろう。

「それにしても。三面六臂の術、ものにされましたね」

「まだまだです。二本しか腕を増やせません」

「使いこなせている事こそが重要です。それに貴女は他にも幾つもの絶技を使っていました」

「気付いておられましたか」

アスタロトは相手の観察眼に素直に驚嘆していた。神格"アスタロト"の本来的なアスペクトは、プラズマ制御型神格のエネルギー吸収機構を強化したことによる防御能力の向上だけである。だが、アスタロトイレアナはそれで満足せず、神格の機能を大幅に拡張する方法を編み出した。巨神の構造限界を超えるパワーを絞り出す方法。その反動を相を用いて打ち消す方法。巨神ではなくその槍に偏在する技。削減されたプラズマ制御型本来の機能を発揮する術。

そして、眼前の女性の奥義である、三面六臂の術。

もちろん、それらの技術も使いこなせなければ意味がない。だが、アスタロトにはそれを可能とするだけの技量もあった。アスペクトを突破する威力を秘めたドラクルの"音"すらいなせるほどに。

「私は強くあらねばならないのです。私が強くなったぶんだけ、あの子たちが生き延びられる確率が上がるでしょう。戦場で強敵と出会った時、打ち勝てる可能性が増すでしょう。それは私の幸せです」

「貴女は、生きる目的を見つけたのですね」

もはや親友と言える間柄となった女性に対し、アスタロトは頷いた。

サラ・チェンは、微笑んだ。




―――西暦二〇五四年八月末。サラ・チェンとアスタロトが出会って二年目、ドラクルが実戦投入される二年前の出来事。

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