悪夢のハチ


「何を見ているのですか?」


樹海の惑星グ=ラス 南半球 前線基地】


「お仲間を」

デメテルは、振り返らずに答えた。しゃがみこんだ彼女の視線の先。土の上で睨み合っているのは二匹の昆虫である。片方はゴキブリの一種。もう一匹は、ハチのようにも見える生き物だった。

「隣を失礼。あなたが"デメテル"ですか?」

「そうだよ」

「よかった。ブリュンヒルデが探していましたよ」

「そうか。まあ後で謝っておくよ。ところで君は見ない顔だな。新入りか」

この段階でようやく相手の方を向いたデメテルは、わずかに眉をひそめた。隣にしゃがみ込んだのは自分同様眷属用の戦闘服を着込んだ小柄な少女である。眷属の粗製乱造著しい最近では珍しい器量よしだ。眷属は人類を支配するための道具であるから以前は健康で見栄えのするヒトが素体として用いられていたが、負けが込んでいる最近は素体を選んでもいられなくなったか、美醜は様々。緩いウェーブのかかった髪が印象的である。

「"ティアマトー"。そう呼んでください」

「そうか。覚えておくとしよう。まあ短い付き合いになるかもしれないが」

「どうでしょうね。

ところで最初の質問に戻りましょう。お仲間とは何ですか」

二人が見ている先では二匹の昆虫が対峙している。この地球から移植された生物たちは動きを止めたまま、にらみ合いを続けているのだ。

「そっちのハチが何か知ってるかい」

「エメラルドゴキブリバチですか」

「正解だ。こいつはメスだな。彼女らはワモンゴキブリに卵を産み付ける。孵化してくる子供の食料にするためだ。いわゆる捕食寄生者だな」

「それで"お仲間"ですか。わたしたちを寄生虫だと?」

「そうだとも。どこが違うんだい?神格は人間の脳に寄生してその行動をコントロールする事しかできない脆弱な生命だ。脳の思考力あって初めて、巨神のコントロールや複雑な思考ができるようになる。彼女らとそっくりだよ」

「随分と自虐的ですね」

「そうかな」

「そうですとも。あなただって神格でしょう」

「広義の意味ではそうだ。けれど私の思考を制御しているのは脳に組み込まれた神格じゃあなく、私自身の脳に焼き込まれた幾つもの禁則だよ。

だから自虐的だという指摘は当てはまらない。―――残念ながらこれ以上突っ込んだ発言はそれこそ禁則に引っかかるんで口にできないがね。

不安に思うかい?私がヒトの心を残したままだというのは」

「いえ。特には。あなたに施されたコントロールは完璧なのでしょう?でなければ、こうして部隊編成に組み込まれているはずがない」

「なんだ。おもしろみのない奴だな。せっかく脅してやろうと思ったのに」

「いつもそんなことを?」

「いいや?君が初めてだよ。なんとなくいじめてやりたくなったんだ。どうしてだろうな」

「私が人類側神格だったからかもしれません」

「―――!!」

「しばらく前に撃破されたそうです。眷属を二十も道連れにしたと。肉体の死亡した私は回収され、修復の上でこの新たな肉体に移植されました。残念ながら、過去の記憶はおぼろげにしか思い出せませんが。神々も、有用なデータを取るのを諦めました。

私の危険度は恐らくあなたよりずっと上です。何しろ一度反乱を起こしている」

「よくもまあ、そんなものを復活させたものだな。神々は」

「それだけ戦況が逼迫しているということでしょう」

こうして喋っている間にも、二匹の昆虫の攻防は続いている。ワモンゴキブリは長い触覚をフェンシングのように使って敵の位置を注意深く追い、ハチの方は

周りをぐるぐる回りながら攻めあぐねている。高く立ち上がったゴキブリの脚はトゲだらけだ。うかつに攻め込めない。

それでも。

膠着した戦いも、やがて終わりが訪れる。何度目かの攻防戦。エメラルドゴキブリバチが果敢に攻めかかり、とうとうゴキブリにその針を突き立てたのである。

「もうゴキブリはおしまいだな。一発目で第一胸神経節をやられる。ほぼ麻痺するわけだ。こんな状況で二発目を食らって避けられる道理もない。脳にドーパミンを流し込まれてゾンビー化する。三発目で産卵の邪魔をする脚をどける。君や私はこの哀れなゴキブリと同じというわけだ」

全てを見届けたデメテルは立ち上がった。

「さ。戻ろう。ブリュンヒルデが心配する」

「ええ」

得物を巣へと運び込もうとするエメラルドゴキブリバチをその場に残し、二柱はそこから去っていった。




―――西暦二〇五四年。神々がカルカラ市奪還作戦を開始する八カ月前の出来事。

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