愛情の横取り

「愛情とは有限の資源だ。神々はそれを僕たちから横取りしようとしてきた」


樹海の惑星グ=ラス南半球国連軍勢力圏内 海岸線砂丘地帯】


穴だらけの砂丘だった。

「見えるかい?ユニークな地形だ。こうなった一因はたぶんあいつらだろうな。地面を掘り返しているのはアナウサギだ。よくもまあ、たった三十年あまりでここまで変化させたもんだ」

科学者の言に、高崎希美は目を凝らした。

言われた通りの生物がずっと向こう、望遠鏡で拡大した先で草を懸命に食んでいる。周囲は草の生えた複雑な砂地。植生も動物も地球そのものに見えたが、その実この光景は地球に広がっているわけではない。人為的に移植されたものでこそあったが、異星だったのだ。

神々の世界であった。

人類の勢力圏。その最前線よりずっと内側における科学調査に、希美は同行してきたのだった。ここからほんの数キロメートル先には要救助者の救助が終了した村落があり、一同はそこをベースキャンプとしている。

「地球だとマリエンデルが近い地形だな。何千年もかけて海から巻き上げられた砂が堆積してできた砂丘に、流入する河川の水がしみ出してきた幾つもの池。その周囲に出来た森林地帯と、その外側に出来上がった草地。アナウサギは巣穴をほる際に地中からミネラルをまき散らす。そいつが生態系の成長をより促進するってわけだ」

語る科学者は同じものを裸眼で見ている。中性的な容姿をフィールドワークに適した服装で包んだ彼女は今回の戦争が開戦してすぐ、こちらの世界の調査に参加した命知らずのひとりだ。

人類側神格マステマ。それが彼女の名前だった。

英雄でもある科学者は語りを続ける。

「マリエンデルはハーグに住まう人々が百年ほど前、飲料水の水源として改造した土地だ。河川からパイプを通じて取水し、池に貯めたんだな。砂でろ過された水はそのままでも飲めるほどきれいなんだよ。そこに森林が出来、生態系ができた。そういう意味でもこことは似ている。人工的に作り変えられた土地という意味でね。

あのアナウサギは何世代目だろうな。彼らは年に七回も出産するんだよ」

「凄い子だくさん。あっという間に大地を埋め尽くしそうですね」

「そうでもない。見てごらん」

希美が視線を向け直すと、アナウサギは巣穴に戻るところだった。侵入者から身を守るため、幾つも開いた出入り口のひとつに入ろうとしたのである。

そこで動きが止まった。先客がいたからである。

巣穴から顔を出したのは、キツネ。それもまだ小さい。

子供であろう。

「巣の乗っ取りだ。アカギツネだな。ああやってウサギのリソースを横取りしているんだよ。それだけじゃあない。少し上だ。親がいる。―――お。やられたな」

起伏の上から顔を出した親キツネ。そやつは巣を乗っ取られたアナウサギに素早く襲い掛かり、そして見事。狩りに成功した。

「とまあああいうわけで、天敵にたくさん食われる。アナウサギが大地を埋め尽くす心配は必要ないというわけだ」

「なるほど」

ふたりの見ている間にも、アカギツネは獲物を巣穴へと持ち帰る。もはや自分のものとした、アナウサギの巣穴へと。

子供に餌を分け与えるのであろうか。

「自然界の生存戦略は様々だ。子供一匹にどれだけの資源リソースをかけるかは種によって異なる。多産多死の魚やカエルなんかに対して哺乳類は一般には少ない子供を大切に育てるな。それだってその動物のサイズや食物、環境によって変わってくるけどね。言い換えれば子供への愛情のかけ方が、その種の生存戦略そのものを決定づける」

「愛情―――ですか」

「愛情は有限の資源なんだよ。生態系においてはね。その中でも子供に対して注ぐ愛情の総量が最も大きいのが人類だ。複雑な脳の発達には莫大な資源が必要になる。それがなければ生き延びたとしてもろくなことにはならない」

「例えばチャウシェスクの子供たち、ですか」

「顕著な例のひとつだな」

科学者は頷いた。

それは1966年から1989年にかけ、ニコラエ・チャウシェスクによる独裁政権下で起きた悲劇だった。経済成長を目論むチャウシェスクは人口増加を企図して子供を四人以上もうける事を強制する政策を行ったのである。結果、子供を養えない貧困家庭が続出しその子供の多くは国の施設へと預けられることとなった。

劣悪な施設の環境下では子供たちは適切な保育を受けることができなかった。男女問わず髪を丸刈りにされたため個人の区別がつかず、慢性的に虐待され、多くの時間を放置されて過ごした。結果、多くの子供が脳の発達に著しい障害を負ったのである。

この恐るべき社会実験が脳の発達に関してもたらした知見は、大きい。

「発達した脳はこの世で最も高価なもののひとつだよ。僕たちの世界にはそれは当たり前にあるから、普段意識していないにしてもね。神々がやっていることは結局、それの横取りだ。記憶移植するにしろ、神格に脳を乗っ取らせるにせよ。既に愛情を注がれ、十分に発達させて人格の育った脳に対してしかそれらは行えない。0から培養して構築することは不可能じゃあないが莫大なコストがかかる。だから連中は一億からの人類をさらった。あのアカギツネがアナウサギに対して行ったように」

「……」

「志織は横取りされたものを取り返すつもりだ。うまくいくかどうかは分からないが、僕としては応援はしているよ。彼女の友人のひとりとしてね。君はどうだい」

「私も同じです」

希美の回答に満足したか。マステマは口をつぐむと、観察に専念した。

希美は、自らの取材を続けた。




―――西暦二〇五三年末。遺伝子戦争開戦から三十七年、神々による大規模な反攻作戦が行われる前年の出来事。

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