孫子も言ってる

「孫子も言っているだろ。敵の物資を使えってな」


【イギリス イングランドロンドン市 ダウニング街10番地】


「面白い。悪い案とは思いませんがね」

フランシスはリラックスしながら答えた。年代物のソファが体重をしっかりと受け止めてくれる。室内の装飾は格式と財力を感じさせた。

「君は面白がっていればいいかもしれんが、我々にとっては大問題だよ、マリオンくん」

「だが八十七基の高度知能機械が全面的な支持を表明し、残りも条件付き賛成した案だ。検討に値すると、オレは思いますよ。首相」

スタンレー・フォーセット首相は頭を掻きむしった。眼前の少女は政財界に強い影響力を持ち、歴代の首相の相談役も兼任してきた人物である。その発言には一定の重きはおく必要があった。

「どちらにせよカルカラ市は制圧する必要があります。あの地域に残る神々の都市としては有数の大きさだ。仮に無血占領できればその後の神々の行動に大きく制限を加えることができ、かつ周辺地域での救助活動もはかどるでしょう。百万の神々を人質にとることの価値は大きい」

「それは私も分かっている。だが、制圧したら奴らと和睦しろと言うのかね」

「和睦ではありません。人道的見地から、食料その他の必需物資を運び込む許可を奴らにくれてやるだけです。我々は百万人の人質を養う必要なしにカルカラ市を押さえることができ、奴らはカルカラ市以南で行われる我々の救助活動を妨害するのが著しく困難になる。更には神々の間にできつつある亀裂をより大きくすることができる。人類に降伏しても皆殺しにされる危険は少ないと認識させることで。

今まで我々は奴らにムチを幾つもくれてやりました。蛮行には報いが与えられると奴らに教育してやるために。知性強化動物に対する解剖。人類村落の虐殺。救助された人間の中に死人ゾンビーや眷属を紛れ込ませてきたこともあった。幾つもの惨事に我々はその都度、報復をくれてやりました。結果として奴らはかなりになった。そろそろ飴もくれてやる頃合いでしょう」

「いつも思うが、君は恐ろしいほどのリアリストだな。奴らを憎いと思ったことはないのかね」

「今でも憎いですよ。そりゃあ。神々を皆殺しにした方がスムーズに進むならぜひそうしたいところですね。だがそうじゃない。何千万人という救助を待ってる人間があっちにはいるし、大勢の若者が命を懸けて戦っている。オレたち老人の役割は、彼らの犠牲を最小限にすることじゃあないんですかね。首相」

「……やれやれ。そういえば君は私と大して歳が違わないんだったな。つい忘れそうになる。

いいだろう。安保理の審議では、我が国は賛成に回るとしよう」

首相は、疲れた様子で微笑んだ。ろくに眠れていないのだろう。戦争中の国の首相なのだから当然ではあった。

「ときにマリオンくん。この案を作ったのはだれか知っているかね」

「いや。オレもここで聞くまで知らなかった。誰の案です?」

「君の友人だよ。焔光院志織だ」

「なるほど。あいつらしい」

フランシスは苦笑。対する首相は立ち上がる。

「さて。仕事が山積みだ。君はどうかな」

「同じですよ。お仲間だ」

「そうか。まあ私には残念ながら君ほどの体力はない。過労死しない程度に頑張るとしよう。ではさらばだ。次を待たせているのでね」

会話を終えると首相は退室。それをしばし見ていたフランシスも、立ち上がると部屋を出て行った。




―――西暦二〇五三年。カルカラ市が人類の手に落ちる四週間前の出来事。

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