顔の違い命の違い

「ここはいつ来ても心が和む。人が多すぎるのが欠点だがね」


【イタリア共和国カンパニア州ナポリ ナポリ海軍基地敷地内】


地中海の、春だった。

肌寒い海風の中、クムミは身震い。革製のジャンパーだけでは心もとない。分子運動制御であたたかな空気を集めてようやく人心地ついた。

不思議な土地だった。

フランの付き添いでイタリアを訪れるようになってもう何度目だろうか。仲間たちみんなで訪れることもあるし誰かひとりふたり、休みを取れた者が一緒に来ることもある。どちらにせよクムミだけはやたらと目立った。この顔のせいだろう。

神々へと似せられた、姿の。元々は神々の代用の肉体となるための措置であるが、運命の悪戯かそうはならなかった。神格となったことで助かる余地が生まれ、そして今。クムミはここにいる。道行く人から嫌悪交じりの視線を向けられ、IDを見せれば同情される。そのくらいにはクムミは今の地球では有名人だ。姿を隠す必要がないのはありがたいが少々面倒臭い。それでも以前よりはずっとマシだったが。

ベンチに座るクムミの視線の先では、フランと知性強化動物の子供たちが遊んでいる姿が見える。不思議な生き物たちだ。何でも妖精フォレッティ級と呼ぶらしい。作ったのは、燈火の父とも親交のあった科学者だと聞いた。人間よりずっと賢いそうだが、ああしているとただの子供にしか見えない。異形を別としても。服を着て、人間の言葉を話し、優しく礼儀正しい心を持っている。ちょっと角と尻尾と毛が生えて、骨格の作りが人間と違うだけだ。

―――自分と同様に。

天を仰ぐ。基地へと戻ってきたらしい巨神がゆっくりと市街地の上空を周回しているのが見えた。ここはおとぎの国のようだ。

そこで空が陰った。

「―――お邪魔だったかな」

上からこちらを覗き込んでいたのは、二十代半ばほどの美女だった。透き通るような髪を持ち、外套で寒さから身を守っている。

この人物の名を、クムミは知っていた。

「いや。手持無沙汰だった。エレーナ……と呼んでいいかな」

「喜んで」

隣に腰かける美女。遺伝子戦争の英雄だというこの人類側神格は、フランがここに立ち寄った理由だった。彼女の神格はフランやフォレッティたちと同じく環境管理型なのだ。ここの知性強化動物の子供たちに対して毎年のように自らの体験を話しているという。自らの神格によって家族と街を失ったフランも、この女性の話を聞きたがったのだった。滅多にシベリアから出てこないこの人物のために時期を調整した結果、春休み、ナポリでフォレッティと共に話を聞くという運びになったのである。

「私は世間の流行には疎いが、それでも君たちがどういう戦いを経て来たかは知っている。よくぞあちらで三十年以上も生き延びられたものだ」

「この顔がそれなりには役立った。奴らも仲間と思えば警戒が緩む。それでも大変だったが。神々がわたしたちの存在に気付いてからは特に」

「街一つの住人が丸ごと生きたまま死人ゾンビーになって襲ってきたんだって?私ですらそこまではやらなかったのに、奴らはやったか」

「連中にとっては人口三千人の街なんて失ったところで痛くもかゆくもないからな」

「それは前の戦争でさんざん思い知った。マハチカラが都市破壊型神格に破壊されたとき、確かに人口の大半は死ななかった。だがそれでも相当数の人間が逃げる事すらできずに建物の下敷きになったり瓦礫を頭に喰らったりして亡くなった。人間を連れ去る際に生じるコストくらいの感覚なんだろう」

「顔が違うだけでそこまで冷酷になれるんだろうな……われわれと奴らはほとんど同じ生命体なのに」

「ほとんど同じ生命体だからだろうな」

黙り込むふたり。汽笛。子供たちの声。軽装の兵士たちが走る掛け声。エンジン音。様々な音が織りなす静寂の中で、女たちは過去に想いを馳せた。

「ここはいつ来ても心が和む。人が多すぎるのが欠点だがね」

「同感だ。人ごみは苦手だ」

「昔はこうじゃなかった。都市部で夫と、娘と一緒に暮らしてた。ふたりとももう長いこと会ってない。門が開いたからな。無事かどうかも分からない」

「私もその娘さんと似たようなもんだ。門を潜ったのは二、三歳くらいの時だったらしいが。奇遇な事にこちらもマハチカラだよ。混乱の中、親とはぐれたらしい。奇特な一家が拾って自分たちの子供として育ててくれなければ、野垂れ死んでいただろうな。まあこの顔にされてからは疎遠になったが。体の変化が終わるまでは何年もかかるんだ。その間は家に戻されてそこで過ごすんだよ」

「酷い話だな。養女が異形の姿に変わっていくのを家族はじっくりと観察させられるわけか」

「ああ。実の両親がこの顔を見なくてよかったよ。こんな化け物、見たくもないだろう」

「……私が君のご両親ならそんなことは絶対に思わない」

エレーナの言葉に、クムミは目をぱちくり。

「それは、一児の母親としての意見か?」

「そう受け取ってもらって構わない。まあ、今となってはあまり意味のない言葉だが。何しろ親をやらなくなってから三十五年以上だ」

「そんなことはないだろう。親は子にとっては一生親のままだよ」

「……ありがとう。これではどっちが慰められているのか分かったものではないな」

言い終えると、美女は立ち上がった。

「行くのか」

「ああ。今日は楽しかった。また会えるかな」

「機会があれば」

その言葉に、エレーナは頷いた。

「では、さらばだ」

告げると、英雄は去っていった。

もう一人の英雄は、それをしばし見送ると、子供たちに視線を戻した。





―――西暦二〇五三年。遺伝子戦争開戦から三十七年、ウルリクムミが神格となってから二十年目の出来事。

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