振り返る者たち

「ねえ。どうして肉断食ポストをやるの?」


【ルーマニア トランシルヴァニア地方シビウ県 要塞聖堂 厨房】


聖堂で、リズミカルな包丁の音がしていた。

古いが最新設備を据え付けられた厨房で調理をしているのは長い黒髪をまとめ、エプロンを身に着けた、肉体的には十三歳相当の少女。アスタロトイレアナである。

まぶたを閉じたままの彼女は、とてもそうは思えないほどの見事な手際で幾つもの食材の下ごしらえをしていく。実際問題として彼女は目が見えない。巨神のセンサーを使って視ているので全く不自由はしていなかったが。

「できたー」

横にを向けると、この半年あまりでずいぶんと大きくなったミカエルの姿が。彼女もアスタロト同様にエプロンを身に着けていた。

そして差し出されたのは皮むき器で皮をむいたジャガイモである。

「ありがとう。じゃあこれも切るわね。お鍋に水を入れてくれるかしら」

「うん!」

切り終わったカリフラワーを包丁でまな板の隅に寄せる。受け取ったジャガイモを適当な大きさに切り分ける。

やがてミカエルが持ってきた鍋。水がひたひたになったそこへブイヨンを半欠けと、まな板の上のものを入れ、IHクッキングヒーターへ。

おたまで混ぜながら、ゆっくりと煮込む。

「ねえ、イレアナ」

「なあに?」

「ポストって何するの?」

肉断食ポストの時は肉断ちをするの。肉だけじゃなくて、卵。チーズ。バター。牛乳。オイルなんかも」

「ふーん。なんでやるの?」

「自分を振り返るため。かな。ずっと昔から続いているの」

肉断食ポストは東方正教会における行事のひとつである。おおむね年に四回行われるが、熱心な家庭でなければ行わないことも多い。今回は復活祭前の七週間に行われる四旬節レントに相当する。

もっとも、育ち盛りの知性強化動物にはバランスの取れた栄養が必要である。この期間中は時々肉断食ポスト料理を食べる、と言った程度のものだった。

厨房を見回せば、幾つもの作業テーブルで大人たちが様々な肉断食ポスト料理を作っている。調理を手伝っているドラクルの子供たちも多様だ。落ち着きがない者もいればじーっと見つめている者もいた。

「イレアナは、神様を信じてる?」

不意に投げられた問い。それに、アスタロトはドキッとした。

「どうかな。昔は信じてなかった。……違うかな。信じることを忘れていた、かな」

「忘れてた?」

「神様に、見放されたと思っていたから。けれどそうじゃなかった。神様のお導きで私は、この世界に帰ってこれて、あなた達と出会えた」

神を模して造り出された兵器である女性は、人類を守護する定めを背負った獣神の子へと向き直った。

「ミカエルは、どう?」

「わかんない。前は神様。っていうひとがいるんだと思ってた。ちっちゃなときは。大きくなったらその偽物と戦うんだって。けれどいろんなことを勉強して、神様。っていうのは一種の記号なんだって気が付いた。ほとんどの人はそれを明確に言語化できていないって。

神様を信じるって、なに?」

ドラクルは最新型の知性強化動物だ。その知的能力は既存のいかなる知性強化動物よりも高い。子供のように振る舞っていても、その知能は既にアスタロトを越えているはずだった。

「みんなと共有する事。神様っていう概念を、たくさんの人と。そうして仲間になること、かな。こうしてみんなで肉断食をするのも、お祈りをするのも。みんな、神様を共有するためにやること」

鍋に刻んだにんにくを入れる。水が蒸発してきた。弱火でコトコト。おたまで内容物を潰していく。塩とこしょうで味を調え、容器に移して完成だった。パスタ・デ・コノピーダ。カリフラワーのペーストである。

「神様ってきっと、そんなに確固としたものじゃあない。信じる人の数だけ神様はいる。だからミカエルも神様と向き合って、自分で決めたらいいわ」

視れば厨房のそこかしこで料理が終わったようだった。これから食堂まで運んで皆で味わうのだ。

「こんなのでいいかな?」

「うん」

答えたミカエルは、食器を並べ始めた。アスタロトはそこへできたばかりの食事をよそおっていく。

この日の昼食は、皆が自らを振り返るものとなった。




―――西暦二〇五三年三月。四旬節のある日。人類が調理を開始してから二百万年ほど経ったある日の出来事。

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