文明が買い物をさせる

「人間が作る社会は、とても強い力を持っています。今、私たち神格に行動させているように」


【東京都千代田区八重洲】


「相変わらず、目が回りそうですわ」

どこを向いても人、人、人。人だらけの地下街を見て、フランは呟いた。この東京という都市は人が多い。いや、この一年弱で回った世界中のどこも人で溢れているが、それにも輪をかけて東京の人口はすさまじかった。学校の歴史学習で学んだところによると、元々多かったのが遺伝子戦争期に難民が流入した名残だとかなんとか。

「タラニスおばさまもそう思いませんこと?」

「そうですね。たしかにちょっと多いかな。とは思います」

答えたのは茶色がかった髪を持つ女子高生―――にも一見して見える、非常に美しい成人女性である。人類側神格タラニス。五人いるフランの保護者のひとり。今年で五十四歳になるとか。絶妙に「ものすごく若作りの通常人」と言い張れなくなるかならないかくらいの年齢である。

ふたりは離れ離れとならないよう、手を繋いで人込みを進む。

「これでも、人口は遺伝子戦争前の水準まで回復してないそうですよ」

「ほええ。昔はもっとたくさんいたんですのねえ」

「五十億人もいなくなりましたから」

何が起きたのか、フランは想像しようとした。世界中で神格が暴れまわったのだと聞いている。自身も故郷を眷属との戦闘で失ったフランは、それがこの東京で起きた際に生じるであろう惨状を思い浮かべて身震い。今視界に収まっている人々の大半は生き残ることすら不可能だろう。元来が文明再建用の拡張身体である巨神には、それが可能なだけの破壊力が備わっている。

「それでも、この人たちみんなが、知性強化動物や神格を作ったんですのね」

「そうですね。科学者や政治家たちだけじゃあない。その人たちが研究をする建物を建てた人。機材を運んでくる人。お弁当を作っている人。コンピュータネットワークを維持している人。農家の人や、鉱山で働いている人や、郵便を運んでいる人や、そのほかにもたくさん。この世全ての人の協力があってやっと、神格を作れる」

「どうやったらそんなにたくさんの人が、力を合わせられるんでしょうね……」

言葉を交わしながらも人流に乗るふたり。

やがてたどり着いた先は、菓子店。ショーケースの中には様々な茶色の菓子が並んでいる。チョコレートだった。

ふたりは、バレンタインデーのための買い物に来たのだった。

「フランが選んでください」

「どれでもいいんですの?」

「ええ。燈火さんが好きそうなのを、直観で」

「はあい」

フランもそうだが、タラニスも地球の慣習を勉強中の身だ。彼女は地球生まれで、十七歳まで地球で育ったという。しかしそのころの記憶がかなり曖昧だった。神格に脳を乗っ取られていた期間が長かったためだった。出身地は愚か自分や姉の本名すら覚えていないのだ。治療の算段はついているが、今のところはそのための検査が行われている段階だった。

やがて選んだ一つをラッピングしてもらい、タラニスが支払い。紙袋に入れたそれをフランが持った。

「どうやって力を合わせているか。というお話ですが。一つはお金。もう一つは文字ですね。もちろんみんなが社会のルールを守るからでもあります」

「おかね、ですの?」

「ええ。向こうでは貨幣なんて物々交換に毛が生えたくらいでした。こっちでは違います。電子決済。信用取引。証券。色んな形態のやり取りがあります。そして文字を使った記録。この二つが、人間のちっぽけな脳の限界を超えるデータ処理を行う切り札です。私たちには巨神という拡張身体がありますけど、人類にはお金と文字というもっと強力な拡張身体があるんですよ。

こんな拡張身体はそこら中にいろんな形であります。今歩いている地下街。地上の鉄道。図書館。テレビ。電話。会社組織。国家。お墓だってそう。人間の存在を拡張するためにすべてはあるんです。これらの中ではお金と文字は、血液のような役割ですね」

地球よりもずっと単純な社会で生きて来たフランにとって、タラニスの言葉は直観的に理解しづらいものだった。それでも自分の中で咀嚼していく。

「例えば私たちがチョコレートを買ったのはなんのためですか?」

「燈火おじさまにプレゼントするためですわ!」

「じゃあなんでチョコレートなんでしょう?別にケーキでもクッキーでもいいのに」

「それは……バレンタインデーだからでしょうか?」

「ええ。そうですね。みんながこの日は大切な人にチョコをあげる、と信じているからです。そしてそれは、日本のチョコレート会社がそのように宣伝したからです。たくさんチョコレートが売れるように」

「そうなんですの?」

「ええ。お金を稼ぐために、文字を使ってね。このようにお金には、社会を動かす力がある。みんなが自分から動く理由になるんです。そして人間は文字を使ってコミュニケーションを取り、社会の一部として機能することができる。もちろんそれだけじゃあうまくいかないので、他にもたくさんの働きがありますが。

これが、力を合わせるためのからくりです」

ひとの多さに目が回ってきたふたりは、周囲を物色。適当な喫茶店を発見するとそちらに向かう。

「人間が作る社会は、とても強い力を持っています。今、私たち神格に行動させているように」

「あっ」

「ね?燈火さんにプレゼントをする、という部分にチョコレートを渡す。という行動を割り込ませるなんて簡単なんです。その積み重ねが、この世界を作ってる。

フラン。あなたはこの世界をどう思いますか?」

「……よくわかりません。でも、すごく大きくて、すごく面白い世界だと思いますわ」

喫茶店の前でメニューを確認しつつ答えるフラン。

やがてふたりは、店内へと入っていった。




―――西暦二〇五三年二月。シュメール人が書字と貨幣を手にしてから五千年ほど経った日の出来事。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る