少女と羆と廃村と

「私、何ができるのかな。それがわかっていたら、もう旅が終わってたかもしれないよ」


樹海の惑星グ=ラス北半球地域 東方山岳地帯】


ちらちらと、粉雪が舞っていた。

冬の山中には既に相当な積雪がある。白一色に染まった森林地帯は静まり返っていた。

だから。ローザもまた、静寂に同調するかのように息を殺していた。

厚手の布をマント兼フードとして被り、足にはつるを曲げて作った。以前遊牧民から譲られた、民族衣装風の衣。脚絆ゲートル。草を編んでできた雪靴。左手には枝を折って削っただけの杖。それが、獣相に角を備えた小柄な少女の装備の全てだ。

対峙するのは、三メートルにも及ぼうかという黒い巨体。毛深く、肉厚で、鼻から湯気を漂わせ、前脚には鋭い爪が見え、明らかに飢えたそいつは、ひぐま。数百キログラムもの質量を備えた怪物が、知性強化動物の少女を前にして警戒していたのである。


―――GURURURURUR……


冬ごもりに失敗したのであろうか。このような時期に、迷い出てくるとは。

そやつの向こうに生えた木々を見れば地球のものも、この世界固有のものもある。ふたつの世界がまじりあいつつある土地で、この羆は生きて来たのだろう。

そして、これからも生きるために少女の前に現れたのだ。腹を満たすために。

自分の数倍の体格を備える怪物を前に、ローザは不思議と恐怖を感じなかった。

自分の方が強い。そう、確信できたから。

長く続いていた睨み合い。その均衡は、羆が崩した。

その質量を生かした突進。まともに食らえば即死間違いなしであろう攻撃を、少女はあろうことか。真正面から受け止めた。

一拍置いて震える木々。積もっていた雪が落ちる。激突のショックは大地に吸収され、周囲にまで伝わったのだ。

ローザは、拳を振り上げた。振り下ろす先は羆の頭蓋。

致命の一撃が、巨大な怪物の生命を絶った。

「―――ごめんね」

羆を―――を倒したローザは呟くと、作業に取り掛かった。


  ◇


「ただいま」

「あ。ローザ!おかえり!」

ローザが野営地に戻った時には、既に仲間たちも帰っていた。

ちびすけは薪を抱えているし、まんまるは釣果であろう魚を何匹も入れた籠を手にしている。

そこは、川沿いの台地にある廃村。石造りの廃屋であった。天井はまるごと抜け落ちていたため代わりに枝葉を並べ、蔓で結んで固定して修理してある。恐らく放棄されてから何百年と経っているであろうことが伺えた。

「帰ったよー」

「……おかえり」

奥の方から聞こえて来たのはのっぽの声。いつもと違って元気がない。病に倒れ、療養中である。

緑の枝葉を重ねただけの寝床で横になったのっぽの子供は、青ざめた顔に咳までしながら身を起そうとした。

「だめ。寝てて」

「……はあい」

ローザの一言ですごすごと横になるのっぽ。それを横目に、各々は今日の成果を並べていた。いや、ローザのは大きすぎて外に置きっぱなしだが。

部屋の中央に据え付けられた炉へと薪が投入され、串をさされた魚と、そして切り分けられたばかりの新鮮な肉を入れた壺が火にかけられる。

「今日は大漁だぞ。ローザが熊をやっつけたんだ。当分、食べ物には困らないよ」

「……そいつは凄いなあ」

まんまるの言葉にのっぽは微笑んだ。この廃屋にとどまってからもうかなり経つ。山越えしようとして雪が降り始め、前進も後退も不可能。と悟った時にこの廃村を発見したのだった。幸いなことに村の下を流れる大きな川には魚がいたし、鳥や小動物も見受けられた。植生は地球原産のものとこの世界固有の植物とが半々と言ったところ。どこぞで環境回復のために移植されたものが勝手にここまで広がった結果かもしれない。いずれ地球の生態系が勝利するのであろうが。

一行は気兼ねなく食料となる生物を採集していった。トウヒの葉でお茶を作り、魚取りの仕掛けを工夫した。山中を歩いて何十もの小動物用の罠を設置した。ローザがこれらの仕事には大変重要な役割を果たした。いまだに記憶も、そしてあの驚異的な力も戻らない彼女だったが、生存術サバイバルを実践することはできたのである。更に言えば怪力も役立った。彼女の腕力には大の男が十人がかりで挑んでも勝てないであろう。結果として、少なくとも生命が脅かされるほどには飢えることなく、この冬を一行は越しつつあったのだった。

もっとも。それも、のっぽが病魔に侵されるまでのことだったが。

「僕、治るのかなあ……」

「だいじょうぶ。肉を食べて、栄養をつけたら治るよ」

「……うん」

ローザは特別に薄く切って茹でた肉を箸でつまむと、のっぽに食べさせた。

ぱくり。

ゆっくりと咀嚼する子供は、やがてそれを呑み込んだ段階で

「落ち着いて食べて」

「……そうする」

今度はきちんと咀嚼する様子を確認してから、ローザは自分の食事に手を付け始めた。

「私の記憶が戻ったら、みんなを連れて飛んでいけるのかな」

ふとそんなことを呟くローザ。

皆の視線が一斉に集まった。

「そうしたら、国連軍の所まで飛んで行って、助けてもらえるのに」

「今でも十分助かってるって」

ちびすけが言った。ローザがいることで、これまでの旅は大変だったこともあれば助かったこともある。全体としては収支は取れていると言ったところか。

それに対し、ローザは頭を振った。

「私は本当は、もっといろんなことができると思うよ。思い出せないだけで」

「例えばどんな?」

「わからないよ。でもひょっとしたら、病気を治す力があるかもしれないよ」

「さすがにそんな都合のいい力、持ってるかなあ」

皆が苦笑し、ローザもクスリ、と笑った。

「でもまあなんだ。せっかくだし試してみる?」

「やってみる」

告げると、ローザはのっぽの前にひざまずいた。更には、その体を優しく撫でる。

「……ローザの手、あったかい」

「よかった」

「……きっと、これならすぐ治るさ。……あれ?」

異変はその時起こった。ふたりの周囲にかすかな輝きが浮かんだのである。小麦色のそれは発光する霧。と言った様子で彼女らにまとわりついた。

具体的な命令も与えられずに実体化したそれは、主人の無意識の願いに従いその機能を活性化。実行に移す。

「……え。何。なんなの」

数秒後。戸惑う皆の前で小麦色の霧は消え、そして代わりにのっぽは体内で漲る力を感じていた。苦しくない。息は楽だし、寒気もしない。咳も止まった。痛かったところが消えている。

環境管理型神格の一機能。生体に極微のスケールで干渉する、超テクノロジーの産物による結果だった。

「……治った?」

その様子に、皆が絶句。血の気が失せ、力尽きていたのっぽが突然血色はよくなり元気よく起き上がったのだから。

「せいこう?」

「成功だよ。大成功!」

小首をかしげるローザに、のっぽは抱き着いた。




―――西暦二〇五三年。人類が環境管理型神格を初めて治療目的で使用してから三十七年、環境管理型神格を実用化してから七年目の出来事。

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