聖堂の夜
「イレアナも、戦争に行ったこと。ある?」
【ルーマニア トランシルヴァニア地方シビウ県 要塞聖堂 寝室】
問われた
そこは寝室。古い要塞聖堂内部に位置する施設である。この場所で、自らの教え子にアスタロトは問われたのだった。
蝙蝠の獣相を備えた人型の子供は、こちらをじっと見上げていた。
「ええ。つい最近まで、ね。今起きている戦争で最初の戦闘に、参加していたの」
同じベッドに座るミカエルはパジャマ姿だ。本来ならば保護者の自宅で聖夜を過ごすはずだったが、家族にインフルエンザの発症者が出たということで急遽取りやめになったのである。代わりに要塞聖堂で暮らすアスタロトが預かることとなったのだった。
知性強化動物も人間の感染症にかかる。むしろ神格移植前ならば常人より抵抗力が弱い面もあった。二年で大人になる歪みがこんなところにも表れる。
「神々と戦ったの?」
「逆。私が神々の軍勢を率いて、人類と戦ったの。神々に心を縛られて。操り人形にされてね」
「ひどい」
「そう。酷いことをした。何十年もずっと彼らの奴隷だった。前の戦争では命じられるままにいっぱい人を殺したわ」
「ちがうの。神々がひどい。イレアナは悪くないよ」
「そう。優しい子」
古いつくりの寝室は暖かい。スマート化された室内は見かけによらずハイテクが導入されている。この要塞聖堂は全体的にそうだ。遺伝子戦争期に軍が建物と地形を利用するため修復されたからでもあるし、知性強化動物の育成の場として用いる際に大規模な改修を受けているからでもある。そうはいっても村民は礼拝堂や墓地に普通に出入りするが。アスタロトが利用している部屋もその一角にある。
「わたし、大人になったら神々をやっつける」
「どうして?」
「だって、神々、イレアナに酷いことをしたもん」
「そうね。酷いことをされたわ。たくさん。でも、そうするとまず神々の眷属と戦わないといけないの。私みたいに神々に操られたひとたちと。
ミカエルは、戦いたい?」
「戦わないで済む方法って、ない?」
アスタロトは、悲しそうに首を振った。
「それはとても難しいこと。ずっと昔。私にも手を差し伸べようとしてくれた人がいたの。けれど私はその手を取ることができなかった。できないようにされていたから。
ミカエル。眷属と戦うことになったらためらったら駄目。全力で戦うの。さもないとあなたがやられてしまう」
ミカエルたち"ドラクル"の神格は都市破壊型の特性を備える。教官としてアスタロトが招聘されたのも、元々ルーマニア人な事もあるが都市破壊型神格との戦闘経験が―――それも近接戦闘の経験がある数少ない神格だからだった。都市破壊型神格の接近戦での攻撃力はすさまじい。刃を交えた時点で通常は破壊されてしまう。
だから、アスタロトに期待されているのはその先だった。都市破壊型神格との近接戦闘が可能な稀有な能力を生かし、同様の技術を持った敵との戦い方を教え込む。
人類がドラクルに期待しているのもそれだった。都市破壊型神格は、遺伝子戦争という特異なニーズのために神々が生み出した兵器だ。できるだけ多くの人間を生かしたまま、都市機能だけを完全に破壊するという。物体の固有振動数に合わせた音波を放射して共振させ、それを増幅することで巨大な構造物を。都市を丸ごと破壊し尽くすというのがその基本原理である。都市に対して十分に小さい人間に対してはその破壊力は届かないため、結果として住民の多くが無傷で残ることとなる。この際に利用する莫大なエネルギーを直接流し込むことで近接攻撃に転用するのが都市破壊型神格の得意とするところだった。
ドラクルも、意図的に射程を短く抑えた大火力を発揮することを目的として設計されている。都市破壊機能はおまけと言っても過言ではない。単に破壊するだけなら既存の兵器で事足りるからである。
「いい?ミカエル。私は、あなたたちが生き延びられるようにここへ来たの」
「生き延びる?」
「そう。あなたたちの誰がいなくなっても、悲しむひとがいる。だから私が、あなたたちに戦い方を教える。悲しむ人が減るように」
「うん……」
「さ。もう寝ましょう。夜更かしは体に毒だから。ね?」
ふたりがベッドにもぐりこんだ時点で、室内を管理するAIは消灯を実行した。
やがて、二人の寝息が漏れ出はじめた。
―――西暦二〇五二年、聖夜。アスタロトが知性強化動物の教官として赴任してから四カ月近く経った日の出来事。
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