親友からの電話

「疲れたぁ」


【東京都新宿区 焔光院宅】


志織はソファに突っ伏した。

飾り気のない家である。最小限の家具しか置いていない。ソファとテーブルは来客用だったりする。

そんな中、久しぶりの自宅でひっくり返っている見た目18歳の少女には、門開通以降の難局を冷徹な判断力と優れたカリスマで乗り切った軍事司令官の面影はなかった。

後任の司令官に引き継ぎを終え、国連安保理で報告を終え、帰国したらしたで事務仕事に追われ、ようやく半年ぶりの我が家にたどり着いたのが今。不老不死の無敵の肉体でもさすがに疲れる。精神的に。

後任の司令官は有能だ。うまくやるだろう。現地に派遣された部隊も志織同様、順次交代し後方で再編と訓練、休養に務める予定である。幸い今回の戦争にはそれが許されるだけの余裕があった。人類の目的が神々の撃滅ではなく、神々も自分たちの世界が戦場となっているだけあって大規模破壊兵器の運用には遺伝子戦争期以上に慎重になっているのが大きな要因である。矢面に立っているのが彼らにしてみれば消耗品でしかない眷属だ。というのも理由の一つに挙げられるが。今回の戦争は互いに予期せぬものだったが、ずっと準備してきた人類に対して神々はまともな世界間戦争の準備ができていなかった。それ以上に心構えが。それによる混乱はいまだに尾を引き神々の足並みはそろっていない。人類の攻め手が紳士的なのも奴らの間に亀裂を生じさせている一因であると分析されている。人類はどうやら自分たちを皆殺しにする気はないらしい、と神々も気付いているのだ。それで意見が割れている。対する人類は神々に関してはほぼ一枚岩だ。遺伝子戦争期の生々しい記憶を持つ世代が世界を運営していることとそれは無関係ではない。

志織が門開通当初なふるまいを心掛けた理由は向こうの人類の救助を優先するというのが最も大きかったが(そしてになるのはいつでもできるし実際にやった)、参謀本部及び複数の高度知能機械、そして何より国連安保理は志織の判断を支持した。

なんにせよ、人類は今のところ勝っている。それも人類製神格の死者・行方不明者は後任に引き継いだ時点で八十名弱なのに対して眷属撃破数は五千あまり。眷属1体あたりの建造コストは人類製神格のおおよそ十パーセント程度なのを鑑みても圧倒的な戦果といってよかろう。

そこまで考えて。

「う~」

自己嫌悪する。その八十名の中には志織が手塩にかけて育てた教え子もいるのだから。彼ら彼女らは人類のために戦って死んだ。

同時に、それを自己嫌悪できるだけの感情が自分の中にまだ残っていたという事実に志織は驚いた。遺伝子戦争では多くを失った。その過程で戦死者を悼む気持ちはすり減っていったというのに。

「……」

よっこいしょ。と立ち上がった段階で、スマートフォンが鳴った。手に取ってみると発信者は"希美のぞみ"とある。

志織は、遺伝子戦争以前から付き合いのある親友からの電話に出た。

『志織ちゃん。今おうち?』

「うん。よくわかったね、希美」

『国連軍の司令官の予定だもん。公報に出てるぶんだけでだいたいわかるよ』

「あー。そりゃそっか。疲れて頭がそこまで回んなかった」

『本当にお疲れ様。あっちは大変だったでしょ』

「まあね。でも前よりはずっとマシ。今回は神格もいっぱいいるしね。前みたいにひとりでなんとかするとか、人類全体でも二十三人しかいない。なんてことはないもの」

『前は大変だったもんね……』

「ほんとにね」

しみじみとするふたり。

しばし経ってから、先に口を開いたのは希美だった。

『そうそう。志織ちゃん』

「なあに?」

『私ね。あっちに行くことにしたから』

「え?あっち?」

『あっちの世界に、ジャーナリストとして』

「ちょっと。希美?」

『危ないのは分かってる。今従軍記者として申請を出してるの。志織ちゃんが帰ってくるまで待ってたんだ。迷惑をかけたくなかったから』

「……本気なのね?」

『うん。ごめんね、志織ちゃん。心配かけて』

「はぁ。分かった。希美、一度決めたらてこでも動かないもんね。分かってると思うけど、あっちではちゃんと国連軍の指示は聞くのよ」

志織はソファに改めて座ると、親友に釘を刺した。

「いい?絶対かえって来て。絶対だからね」

『わかってる。昔と逆だね。私が、戦場に向かう志織ちゃんに絶対帰って来て、って言ってた』

「そうね……懐かしい」

『ほんと、懐かしい。あ。孫が帰ってきちゃった。切るね、志織ちゃん』

「わかった。じゃあね、希美」

それを最後に、通話は途切れた。

しばしスマートフォンを眺めていた志織はやがて立ち上がると、持ち帰った荷物の片付けを始めた。




―――西暦二〇五二年。志織の戦いが始まってから三十六年目、門開通の七カ月後の出来事。

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