混ざり合うもの

「人類に勝利を、もたらすことは出来るかね?」


【イタリア共和国ラツィオ州ローマ キージ宮殿ブリーフィングルーム】


「かつて人類は自らの設計図の解明に取り掛かりました。ヒトゲノム計画です。人類の固有の遺伝子に関する画期的な回答が見つかるだろう、という期待に反し、見つかったのは生命の基礎を組み立てるための膨大な手順書だけだった。まるでトースターとドライヤーの工場に行って、使われているネジのピッチと長さを調べたようなものです。部品だけ見てもトースターとドライヤー、どちらになるかは分からない。それは確かに有意義でしたが、それだけでは人間にとって重要な事柄については何も判明しなかった」

ゴールドマンは周囲を見回した。数限りないほど訪れた空間。居並ぶ閣僚たち。首相。大統領。顔ぶれは幾度も変わったが、彼らの胸にある想い。国民と人類を守るという意思がある限り、ゴールドマンは誰に対してでも仕えるだろう。

「特定の何かに一つだけの遺伝子が対応している。ということはめったにありません。例えばハチントン病はたったひとつの遺伝子によって発症するかが決まりますが、これは極めてまれな例外です。疾患は数十あるいは数百もの異なる遺伝子が微妙に寄与している。ほとんどの病気は無数の小さな変化が恐ろしく複雑に寄与した結果生じます。そしてそれは、病気に限った話ではない。あらゆる生命活動についてそうなのです。生命工学が極めて難解で慎重さを要する技術である理由もそこに起因します」

生命工学はもはや安全保障を語る上で避けては通れない分野だ。政治家ならば最低限の知識は身に着けているべきだし、義務教育においてもその比重は大きく増している。関連産業に従事する人々の比率も増えた。

「遺伝子だけではない。その上のレイヤー。生化学的な体内のプロセス。脳の損傷や薬物による影響は著しい変化をもたらし、社会的に置かれる環境についても多くの結果を生むでしょう。その全貌はあまりに複雑で、我々は手探りで一つ一つ解き明かしていくしかない。知性強化動物はその前提のもと、生み出されてきました。そしてそれだけではない。神格という異物を脳に組み込まれることで、知性強化動物はようやく完成します。これは問題をさらに複雑にしていました。

我々が提案する新型は、この問題を解決する可能性を秘めています」

タブレットを操作。モニターに模式図が浮かび上がる。新型の体躯。巨神の形態。それらが。

「神格はある種の機械生命体です。これは宿主の脳に共生することで相互に恩恵をもたらします。宿主には強化された肉体と強力な拡張身体を。神格には宿主の思考力と肉体という保護機構を。神格は肉体の強化機器であるとともに巨神のインターフェイスとしての機能も兼ねます。理想的な共生関係です。しかし、神格と肉体を別々に、それも相互に関連し合うよう設計せねばならないという問題がありました。これは非常に時間がかかりかつ、難しい作業です。全体の見通しも悪い。

ですから、我々は神格を組み込むというプロセスを廃することとしました。最初から強力な肉体と頭脳、不老不死の生命力。そして拡張身体を扱う機能。その他あらゆる神格がもたらす特性を知性強化動物自体に付与するのです。これは知性強化動物に対する神格埋め込み手術の負担を軽減するという意味合いもあります。

そして、これによってもたらされるのがもう一つの利点です。ご覧ください」

タブレットをタップ。閣僚たちがモニターを確認したのを確かめてから、ゴールドマンは説明を続けた。

「過去、インターフェースというものは限りなく進歩してきました。例えばレーダー。ごく初期の頃にはスコープ内の電波のごくわずかな揺らぎを確認するしかなかった。しかし時が経るにつれて輝点で位置が表示される形式となり、今では脳に直接表示することも可能です。あるいはコンピュータ。かつてこの機械は極めて不便なものでした。しかし現代に至るまでの進歩はすさまじかった。数字のコードがグラフィカルユーザインターフェースGUIとなり、アイコンをタップするだけでよくなった。音声や視線入力も実用化されました。利便性の向上に伴い、作業効率も著しく上昇した。

我々が今回行う神格への改良も同様の意義を持ちます。すなわち巨神と肉体との間を仲立ちするインターフェースの高性能化による、戦闘力の向上です。第三世代型知性強化動物は肉体全体が優れた情報処理能力を持っていましたが、結局のところ脳の中に埋め込まれた神格を経由することでしか巨神を操れなかった。新型は違います。第三世代では持て余していた能力の全てを発揮することが可能になるのです」

「それで幻獣キメラ、か」

呟いたのは首相だった。ゴールドマンはそれに頷く。

「はい。知性強化動物と神格。二種の異なる生命の融合体として付けた名前です」

ゴールドマンは不意に過去を思い出した。ドラゴーネのプレゼンをしていた時のことを。あの時受けた質問は「眷属に勝てるか?」だった。だが今回は―――

「この戦争。人類に、勝利をもたらせるかね」

「その一助となることはお約束できます」

「うむ」

期待していた返答を得られたか、首相は頷いた。ゴールドマンたちの役目は知性強化動物を生み出すことであり、それをどう活かすかは彼ら政治家と軍の役目だ。

「ありがとう。説明を遮ってすまない。続けてくれたまえ」

「はい」

ゴールドマンはこのあとも説明を続け、そして待機していたアルベルトがあとを引き継いだ。首脳陣は聴取を終えると、結論を下した。

この日、新型の知性強化動物の開発がスタートした。




―――西暦二〇五二年。初の第四世代型知性強化動物誕生の四年前、第五世代型誕生の十一年前の出来事。

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