幻獣の胎動

「新型は幻獣キメラと名付けた。神格と知性強化動物の区別がないからな」


【イタリア共和国 カンパニア州ナポリ郊外 ナポリ大学理科学部 神格研究棟休憩スペース】


「大丈夫かい?」

アルベルト・デファント博士は顔を上げた。

心配そうな顔で立っていたのはゴールドマン。この三十年以上ずっと組んでいた相棒である。

眼鏡に銀髪の神経科学者は、アルベルトにコーヒーを差し出すと自らも横に腰掛けた。

「ああ。分かっていたはずなんだが、これはこたえる」

「僕も同じ気持ちだ。この手で産み出した子供がいなくなるのは辛い」

「そうだな。ローザで何人目だ」

「三人だ」

「遺伝子戦争の頃なら、信じられないくらい少ない犠牲だと喜んでたろうな……」

ローザが戦闘中行方不明MIAになったとの報を受けてもう一週間になる。衛星軌道上での作戦に従事していたとか。最終的には軌道を外れて大気圏に降下し、行方不明になったのだ。生還する可能性は高くないだろう。第三世代型神格であるフォレッティは極めて強力だが、無敵ではない。

そしてローザだけでもない。人類製神格はこれまでにも撃破されたり行方不明になった者が複数出ている。それでも遺伝子戦争中の犠牲者数を思えばその被害は信じがたいほどに少ない。人類製神格全体でも数十名。人間の死傷者はせいぜい数千人だ。遺伝子戦争では五十億の人命が失われたというのに。

対する神々の戦死者は人類の十倍を優に超えるだろう。都市破壊のぶんを含めれば百万以上。眷属の損害もすでに五千を数える。遺伝子戦争で人類が撃破した数を既に超えているのだ。

これも、矢面に立って戦う人類製神格らの驚異的な能力あってのことだった。特に戦略級神格の性能には絶対的と言っていい開きが既に出ている。緒戦でたった一名のユグドラシル級に、アルキメデス・ミラーを装備した戦略級を含む三十もの眷属が殲滅された時からこうなることは決まっていたのだ。

今後、この差は更に開いていくだろう。人類製神格の性能は向上していくだろうし、神々が喪失ぶんを補うために急造する眷属たちの練度は低下していくはずだ。知性強化動物技術には三十年あまりの差が開いているし、ゼロからスタートする神々は運用に必要な社会的合意の形成に取り組む余裕はなかろう。

「うちの娘たちも泣いた。みんなもう、いい歳をした大人なのに。妹みたいに思ってたからな。ローザを」

「いなくなる子供をゼロにすることは出来ない。だが、減らすことはできる。そうだろう」

「ああ。そもそもそのために俺たちは研究を続けてるんだったな……」

「次級の閣僚級への説明会、どうする。誰かに代わってもらうか?」

「いや。これは俺の仕事だ」

「僕達の。だろう」

「違いない」

アルベルトは、笑った。

「“ユグドラシル”で試みられたアプローチを更に推し進めるには君の助けが必要だ」

「わかってる。お前の言っていた究極の生命にまた一歩、近づけてやろう。知性強化動物に神格を組み込んで改めて改造するなんて非効率的なプロセスともこれでおさらばだ」

「その分高度なテクノロジーが必要になるけどな」

「技術の進歩なんてそんなもんだ。できることの制限から非効率的なプロセスを強いられていたのが進歩によって解決する。昔からあることだ。3Dプリンタの発明で形状の自由度が上がったり。制御技術の発達で電気駆動のドローンが普及したり。最初ハードウェアの物理的な切り替えが必要だったコンピュータが、発展によってプログラミングが可能になったりしたのと同じだよ」

アルベルトは立ち上がると、飲み終えたカップをゴミ箱へ放り込んだ。改めて、ゴールドマンに向き直る。

「次級。名前はどうする」

幻獣キメラ。何種類もの生き物が混ざりあった怪物の名前だ。知性強化動物の肉体その物が神格の機能を兼ね備える新型にはピッタリだろう?」

「いい名前だ」

ゴールドマンは、微笑んだ。




―――西暦二〇五二年。キメラ級知性強化動物誕生の四年前の出来事。

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