崩落

「我々は、あの女が敵の指揮官であるという意味を深く考えるべきだった。そうすれば、今回のような事態は防げたであろうに」


樹海の惑星グ=ラス 空中都市のひとつにて】


静かだった。

空中都市の頂点。そこに設けられた執務室で、鳥相の男はひとり、待っていた。

市内は酷い有様だ。脱出しようとする市民の争いは制御不能となり、都市機能の大半は既に麻痺している。先ほどまではそれらの状況をモニターしていたが、あまりの惨状に映すのを止めさせた。

人類が宣告した攻撃までの猶予は四十八時間。それも間もなく終わろうとしている。

「申し訳ありませんな。このように慌ただしい中で。このおいぼれのために陛下の貴重なお時間を割かせてしまった」

「何をおっしゃいます、市長殿。あなたは貴重な人材です。このような事で失われていいはずがない。脱出をなさいませ」

市長、と呼ばれた男は、相手の鳥相を備えた顔を見た。自らと同じく空中都市の主。その盟主の地位に先ごろついた青年、ソ・ウルナを映し出した通信映像の画面を。

「残念ながらそうするわけにはまいりません。まだ市民が残っておりますでな。

環境AI。市民はどの程度脱出できたかね」

『はっ。現在四十八万。これは人口の五十三パーセントに相当します、市長閣下』

「―――とまあ、こういうわけです。これが百%であるならば、私も脱出しようという気になったのですが」

「市長殿……」

「打てる手は全て打ちました。警備隊や軍、各種民間組織の協力を最大限に得られた結果です。これ以上は望めないかと思います。

それでも残り半分は助かりません。

慈悲は与えた。と、彼らなら言うのでしょうが」

「人類が、でしょうか?」

男は鳥相を歪めて微笑んだ。

「その通り。先の戦争では我々は人類の七割を殺しました。五十億ものヒトを、です。にもかかわらず、門が開いてからの彼らは実に紳士的だった。模範的な戦いぶりだったと言っていい。同胞の救出に注力し、我々に対する戦闘や破壊は最小限にとどめていました。だから忘れていた。

敵の指揮官は―――"天照"の真名は何といったか」

焔光院志織えんこういんしおりほむらの光を司る尊き一族、こころざしる者。という意味になります」

「先の戦争で我々の同胞を何百万と焼いた女に相応しい名だ」

「同感です」

「我々は、敵の指揮官が彼女であるという事実の意味についてもっとよく考えるべきだった。彼女は最強の戦士だ。その行動には一片の情けも慈悲もない。合理性があるだけで。遺伝子戦争でもそうだった。彼女の演説を知っておられますかな?」

「はい。神戸の第一番門が破壊された夜に、全人類に対して向けられたものは」

「あんな演説をすればどうなるか予想はついただろうに、あの女はそれを行った。人類に戦う術を与えて。もしそうならなければ、五十億ものヒトが死ぬことはなかったでしょう。せいぜい数百から数千万人で済んだはず。我々は混乱しながらも目的を果たし、撤退できていたでしょう。互いに受けた傷はずっと小さかったでしょう。ですが、あの女は知っていた。我らと戦うためには、全人類の力が必要だと。だから容赦なく全人類を煽ったのです」

「―――!」

「人類の目的が同胞の救助というのは事実でしょう。そのためにあの女は、あらゆる手段を執るでしょう。遺伝子戦争でそうしたように。我々の恐怖を煽るでしょう。今回の件。人類製神格に関する動画流出問題もそうだ。一罰百戒を狙ってこのような暴挙に出ようとしている。彼女らからすれば正当な報復とでもいうでしょうが。人類にとってあの人工生命は非常に重要らしい。戦闘での損失は許容出来ても、生きたまま実験室で解体されるのが腹に据えかねる程度には。

うちとしては、とんだとばっちりですが」

ソ・ウルナは同意。人類にとっては実のところ、この都市は第二目標でしかない。最初に目標となった都市はまた別の場所だった。そこでの猶予は七十二時間だったが、神々は人類に対して交渉を持ちかけようとしたのだ。都市攻撃を控えねば、報復として人類の集落を攻撃すると。人類の返答はこの都市への攻撃の予告だった。それも猶予は四十八時間。神々は即座に集落への攻撃予告を取り下げたが、人類からの返答はない。淡々とカウントダウンだけが進んでいる。

このままならば、第一目標とされた都市より先にここが破壊されるだろう。防空網が稼働しているが、人類の攻撃を防ぎきれるとはとても思えなかった。一発でも着弾すれば終わりなのだから。

「さて。もう攻撃が届くころだ。そちらではモニターされていますか?」

「ええ。十二分前、人類の防衛圏内から。そしてそこから進出した複数の地点から攻撃を感知しました。槍。矢。誘導弾ミサイル。固体レールガン。選り取り見取りだ。一番早いもので後、一分四十秒で着弾します」

「正直にお答えいただいて感謝します、陛下。気休めなどではなく、真実を答えていただいてくれて」

「……」

「これを最後に、現場の愚かな暴走は終わりにしてもらいたいものです」

「ええ。全くです。軍の引き締めは急務と言えます」

「正直に言えば、人類軍の練度と統制。この点は見習いたいと思っているのですよ。もはやその時間はありませんが」

件の映像は現場の一兵士が流出させたものだった。その動機を追及するのはもはや何の意味もない。ただ、都市二つの喪失。という結果が残されるだけの話だった。

「さて。陛下。短い期間でしたが、お世話になりました。市民の避難へのご協力、深く感謝いたします。どうかご武運を」

「市長殿。我々はあなた方のことを決して忘れることはないでしょう。何が起きたのかを語り継いでいくことでしょう。この犠牲に報いる日が、きっと来るでしょう。

―――さらばです」

ソ・ウルナのその言葉を最後に、執務室を揺らしたのは強烈な衝撃。画像にノイズが走り、天井の化粧板は落下。市長と呼ばれた男は、したたかに額を強打する羽目になった。もっとも防護された執務室がこの有様だ。他の区画がどうなったかは容易に想像がついた。

やがて、ゆっくりと音が、都市全体から響き始めた。

崩落が始まったのだ。

「……の………か……ぉ……」

通信に入る雑音はもはや許容限界を超えていた。こちらの声が伝わっているのかどうかは分からなかったが、少なくとも相手が何を言っているかは全く伝わってこない。

「……環境AI。現在の被害は」

『……第八層外壁に着弾しました。下層の四割が崩落。現在ダメージコントロールが作動していますが、復旧は絶望的かと。脱出をお勧めいたします』

「はは…は……今更どうやって……」

市長は、その言葉を言い終えることができなかった。二度目の衝撃が執務室を襲い、そして彼を天井に叩きつけたから。

致命傷だった。

落下した彼の死体は、室内を飛び交った調度に押しつぶされて姿を消していく。

かと思えば、執務室の床に亀裂が走った。いや、もはや都市そのものが落下し始めているのだ。崩壊しながら。

無数の残骸と共に、かつて市長だった屍は。空中へと飛び散っていった。




―――西暦二〇五二年。神々によって人類の都市が最初に破壊された日から三十六年。人類が初めて神々の都市を破壊した日の出来事。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る