決戦準備
「遺伝子戦争は多くのものを我らにもたらした。今更返せと言われて、返せるものでもない」
【神々の世界 宇宙空間 巡航艦内】
作業は順調だった。
高級指揮官たちとの食事を兼ねた会議中。神王ソ・トトはその事実に満足していた。
シンプルだが装飾の施された窮屈な空間である。従兵が世話をしている食事の内容は人類の言うところのサンドウィッチにも似る軽食。指揮官と言えどもここでは兵と同じものを食べ、限られた空間で暮らさなければならない。そう。宇宙空間では。
ソ・トト自身質実剛健を好んだからこのような傾向は望ましいものでもあったが。
「四次減速も終了。軌道の誤差はごく小さく、予想範囲内です。このまま妨害がなければ、目的地点に落ちるでしょう」
「地上の陽動は成功しつつあるようです。こちらに対する目立った反応はありません。人類の注意は釘付けと言っていいでしょう」
「うむ」
現在惑星上では、眷属を主力とする大規模な兵力による門への攻勢が行われている。陽動である。そちらに手を取られ、ソ・トトの手元にある神格戦力は少ない。それを補うように多数の気圏戦闘機と宇宙駆逐艦が3隻。強力なレーザー巡航艦といった大戦力からなる宇宙艦隊が現在活動中だった。
衛星軌道上に放棄されていた岩石小惑星。本来は宇宙都市を建造するための資源小惑星だったそれを、地表の門にぶつけるために。
これまでの門に対する攻撃はことごとくが失敗してきた。大規模反射鏡。戦略気象攻撃。遠隔地からのレールガンによる飽和攻撃。その他あらゆる試みが、だ。小天体投下攻撃がどうなるかは分からないが、防ぐのは容易ではないだろう。
現在、ソ・トトが座乗する艦から物理的にはほんの百キロメートル以内で工作艦が不眠不休の作業に徹している。直径十キロメートル近い巨大天体の軌道速度を減速させ、地表に落下させるために。それも、人類に気付かれることなく。攻撃目標地点から目視が困難な軌道を周回するよう選ばれて。天体はもともと重力と遠心力の釣り合いでその軌道にとどまっている。それはあらゆる天体がそうだ。だから速度を落とすだけで目的地に落下させることはできた。だが、そのためには惑星を何周もする必要があった。一気に狙った場所へと堕ちるわけではないのだ。
もっとも楽観的な試算では人類はまだ、神々がそのような企てを企んでいることを知らない。
大神の一柱であるソ・トトが自ら指揮を執っているのも、この攻撃が極めて重大で致命的な威力を持つからだ。惑星環境は一変するだろう。眷属を用いて被害は大幅に抑制可能である。と事前に試算結果が出てはいるが。
―――このまま何事も起きなければよいが。
ソ・トトはそんなことを思う。この艦隊は小惑星と工作艦を守るために存在する。人類が攻撃に気付かなければ出番を迎えることなくすべてを終えることができるだろう。もちろんそんなに都合よくいくなどとは、この大神は考えてはいなかった。
節くれだった手で軽食を掴む。微小重力環境に合わせたそれを構成する物質の多くは地球原産だ。先ほどまでは辛い味付け。これはデザートも兼ねる爽やかで瑞々しい果実を挟んだもの。苺。パイナップル。キゥイ。琵琶。リンゴ。そういった具材がクリームを絡ませ、バターを塗ったパンに挟みこまれている。これも遺伝子戦争の成果のひとつだ。もはや民の食卓にも当たり前に並ぶようになった、異世界の植物。
かつての戦争は様々なものを神々にもたらした。遺伝子資源やヒトの肉体だけではない。文学。絵画。料理。音楽。生活様式。ありとあらゆる文化が地球から流入し、神々に影響を与えた。姿こそ異なるが、ヒトと神々はよく似ている。四肢を持ち、直立二足歩行で、言葉を交わし、指は五本。目は二つ。口はひとつ。羽毛に覆われているとか鳥を思わせる容姿などは些細な問題だ。その中でも、食事文化は特に顕著だった。人類のものと神々のそれとが無理なく融合している。
やがて食事と打ち合わせが終わると、ソ・トトは解散を宣言。高級指揮官たちは各々の担当部署へと戻っていく。各艦の艦長たちも搭載艇で自らの艦へと帰るのだ。もはや次に直接顔を合わせる機会は作戦終了後となるだろう。
ソ・トトは作戦成功を祈ると、自らも持ち場へと戻った。
―――西暦二〇五二年五月三日。小惑星投下攻撃まで二日、以前門が閉じた時から三十四年目の出来事。
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