少年神と斉天大聖
「ここが嵐の中心か……」
【二〇五二年三月二日 グリニッジ標準時八時七分/
現地時間三月三日零時過ぎ 樹海の惑星 門東方二百十キロ地点 海上】
不気味な月明かりに照らされた、夜だった。
空に昇るのは幾つにも砕けた月。並ぶ星々も姿も地球のそれとは明らかに異なる。
海上を警戒しているのは三隻の艦艇からなる小艦隊。護衛の神格部隊と回転翼機、ロボットを引き連れた彼らがいるのは、今起きている一連の事件の中心と目される場所だった。
「哨戒中の各機及び神格に通達。あまり門から離れすぎるなよ。"ユグドラシル"の防御圏から出たら守ってくれるものはなにもないんだからな」
「了解」
臨時の艦隊司令官を兼任する、
「それにしても静かだな。本当にここか、と疑ってしまう」
「幾つもの証拠はそう指し示しています」
「うむ」
黄は副長に頷いた。
門開通の直前、大規模な戦闘があったらしいことは最初に送り込まれた神格部隊も確認していた。ここは何もない海上だったが、同心円状に広がっていったと考えられる津波や異常気象といった痕跡を辿ることでたどり着いたのである。
状況から推測するに、恐らく数十体規模の神格による激しい戦闘があったはずだった。だが、一方は神々としてもう一方の勢力は何者だ?門との関係は?この世界で何が起きている?
分からなかった。だが、その情報は絶対に必要だった。門を守り、神々と対峙していくためには。
そんな矢先のことだった。
「―――人だ!人間が浮いてるぞ!」
周囲を哨戒中の"斉天大聖"級から入った通信に緊張が走る。
「―――うつ伏せになってる。あれじゃあ呼吸できないぞ。生きているかどうかわからん」
「眷属か?」
「不明だ。接近して回収する。許可を」
振り返り、指示を仰いだオペレータへ、黄は頷いた。
「現状では唯一の手掛かりだ。気をつけるよう伝えろ」
「了解」
指示を終えた黄は、艦長席に深くもたれ込んだ。
「これで何かわかってくれればいいが」
「眷属だとすれば、最悪脳内の神格から情報を抜き取ることも可能です。期待しましょう」
「そうするとしよう」
ふたりは、結果を待った。
◇
【二〇五二年三月二日 グリニッジ標準時十二時四十七分/
現地時間三月三日五時 門東方二百十キロ地点 駆逐艦"金華"医務室】
「……ふぁ」
知らない天井だった。
パイプが通り鈍色の、金属でできたもののように見えた。
体にかけられいるのは布団。後頭部のふわりとした触感は気持ちいい。
視線をぐるりと左にやるとそちらはベッドが並んでいる。
ついで足元を見ると、金属パイプのベッドに己が横たえられている事がわかった。
そして、右に視線をやると―――
「……ふぁっ!?」
奇声が出た。
こちらを凝視していた者の姿が、あまりにも異常だったからである。
立ち上がれば二メートル近いだろう屈強な肉体を包むのは海上迷彩服。精悍さを備えた顔立ちだが、毛深さが並大抵ではない。もみあげから顎を経由し、反対側まで毛が覆っている。というか首もだ。まるで猿を連想させる姿だった。そして最後に、長い尻尾。やはり猿そっくりのそれが、尻から伸びているようだった。
猿人。そう呼ぶのが相応しいだろう。
そんな姿の生き物が、ベッドの隣で椅子に座っていたのである。驚くなと言う方が無理がある。
こちらが茫然としている間にも、猿人は口を開いた。
「余計なことは考えるなよ。巨神を呼ぼうとしたら殺す。下手な動きをしたら殺す。指示を無視してもぶっ殺す。お前に許されるのは、こちらの質問に答えることだけだ。分かったか?」
「あ———」
「返事は?」
「は、はい」
わけのわからぬまま、頷いていた。
◇
まだ人生経験の浅い知性強化動物、それも第三世代の斉天大聖級である若者にとっては、尋問と言うのは少々荷が重い。
眼前でベッドから上体を起こしているのはまだ幼さの残る少年。いや、少女と言った方がいいかもしれない。肉体的には両性具有だ。珍しくはあるが、神々の眷属ならば不思議、と言うほどでもない。実際人類側神格にも両性具有者はいるし、遺伝子戦争で確保された眷属の遺体にも何例か存在している。
そう。眷属。それが眼前の少年の正体だ。いや。今もそうかは分からない。先ほど海上に浮かんでいるのを確保した後。連れ帰った艦の設備で簡易検査を行ったところ、思考制御が焼き切れている形跡があったからである。とは言え精密検査が必要だ。もし暴れ出したら艦が撃沈されてしまう。万が一に備えるために部屋の外には呂布の同僚である知性強化動物が後二人、控えていたが。他のスタッフもここでの会話に耳を傾けているはずだ。
「まず名前だ。お前を何と呼べばいい?」
「あ———
「道教の少年神の名だな。それを名乗るお前はつまり、神々の眷属なのか?」
「ち、違います!ただ、それしか名前が思い浮かばなかったもので……」
「ふむ」
呂布は考える。思考制御が長期にわたることで記憶障害が発生することは珍しくない。実際人類側神格で前例があるし、そのメカニズムについてもほぼ解明されている。こいつが真実を語っているかどうかはまた別だが。
そこまで思考が進んだところで失敗に気付いて舌打ち。尋問である以上、眷属であるかどうかをこちらから話題に出すのはまずかった。誘導するのは好ましくない。自分は素人だからやむを得ないが。
「眷属じゃあないならお前はなんだ」
「わ、私は―――何なんでしょう?」
「……おいおい」
呂布は頭を抱えたくなった。眼前の少年神の反応は演技に見えなかったからである。心底困惑しているように見えた。
「じゃあ質問を変える。覚えている限りでいい。何があったか順を追って話せ」
「ああ———それなら、答えられます。私は戦えと命じられました」
「誰に命じられた?そして誰と戦うんだ?」
「神々に。門を開こうとする人類側神格と戦え、と」
「―――!!」
「眷属四十五柱と気圏戦闘機二十四機からなる討伐隊が編成されました。対峙したのは銀の女神像。ですが私は戦いがどうなったかを知りません」
「撃破されたんじゃないのか?」
「ある意味ではそうでしょう。戦いが始まる前、私は機能不全を起こして海中に没したのです。銀の女神像が発したメッセージによって。ですから、その後に何が起きたかを把握していないのです」
「メッセージ?」
「大意はこうです。
『僕らはあなたがそこにいる事を知っている。あなたは一人ではない。人間は神に打ち勝てるのだから。そう。今ここに立ちふさがっている女神のように!!』
正確な文面は思い出せません。思い出そうとすると脳が焼けるような思いをするんです。恐ろしいほどに熱く、そして力強い言葉だったように思います」
「ちょっと待て。文章を受け取っただけで?」
「ええ。あれはなんというか、人間の脳の構造では受け止められない。そんな構文だったんじゃあないかと思うんです。……おかしいですかね?」
「おかしくはないが……」
呂布はそのような構文が存在する、と言う事実を知っていた。自分たち第三世代型知性強化動物は人間の限界を構造的な意味で超えた脳の機能を備えているし、そもそも人間の言語自体が脳に最適化されて洗練されてきたものだ。単純だが人間には思いつかないような内容の文章を作成することは呂布にだってできる。哪吒の言うような攻撃的な用法をやれと言われても無理だが。ひょっとすれば、高度知能機械ならばそのような構文による人間の脳への攻撃を実行することもできるかもしれない。
だが、そんな真似をやった者がいた?それもこの世界に?
思索にふける呂布。そんな彼へ、哪吒は質問を発した。
「あ、あの」
「なんだ」
「ここはどこで、あなたは、いったい何者なんでしょうか……」
「……はぁ。そういやまだ名乗ってなかったな。
俺は
「!?」
「そしてこの艦は国連軍所属、中華人民解放軍海軍の駆逐艦だ。
答えろ。今のお前は、人類の敵か?味方か?」
「―――敵じゃあありません。それは。それだけは、確かです。私は神々の下にはもう戻りたくない。心も体も支配されるのはまっぴらです。お願いします。助けてください」
「……分かった。ひとまず上に話してみる」
「ありがとうございます」
額をぽりぽり。と搔く呂布に対し、少年神は頭を下げた。
―――西暦二〇五二年三月三日。都築燈火がその特異な能力によって双子の人類側神格を救った日から三十一年、門が開通した翌日の出来事。
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