もぬけの空
「正直、私達は実戦を経験することはないと思ってた。その機会が来て、今は複雑な気持ち」
【二〇五二年三月二日 グリニッジ標準時零時二十二分/
現地時間三月二日十六時過ぎ 門 樹海の惑星側】
「おお……」
チャック・コールソン軍曹は、
門を抜け、母艦より前方の島へ向かう最中のことである。上空を複数の輸送ヘリが先行し、左右にも同様の車両上陸艇。海面や空中で警戒しているのは多数の獣神像たち。既に何隻もの人類の艦艇がこちら側へと侵入し、島の防衛と警戒に当たっている。自分たち上陸部隊の任務は門の施設の確保だ。
驚くべき光景だった。
前方の島は小さいとはいえ徒歩で回るなら数日はかかるだろう。門と反対側の海中にはどうやら潮汐力発電機が設置されているらしく、近づくなとのお達しだ。陸上は無数の樹木に覆われているが、それは地球上のいかなる種とも似ても似つかない。
それは、降り積もった雪と相まって幻想的な光景である。
樹木といえば。
真上を見上げる。
門上空に生じつつある雲のむこう。
巨大な水晶の樹だった。
全高二百四十メートル。
人類製第三世代型神格"ユグドラシル"。
北欧の三国が共同開発した、史上初の知性強化植物である。通常、知性強化生物は二年で成人したあと更に二年間の訓練期間が必要とされているが、
コールソンは気を引き締めた。二歳の子供まで体を張っているのだ。大人が仕事をしないでどうする、と。
やがて海岸が近づいてきた。
「上陸するぞ!」
男たちは、岩だらけの海岸へと飛び出して行った。
◇
「まるでマリー・セレスト号だぞ、こりゃあ……」
島の施設に侵入を果たした国連軍の混成部隊は困惑していた。
施設そのものへの突入はなんの障害もなかった。人類は遺伝子戦争を通じて神々の建築物のレイアウトに付き物のデザインについて知見を深めていたし、樹海の中央。古代の神殿のような荘厳な建築は侵入者をすんなり通したのである。入り口には地球の案内板のように五つの言語。それも、神々の主要言語以外では日本語、英語、ロシア語、イタリア語で、こうペイントされていた。
『神々、お断り』と。
エントランスの休憩スペースには冷めきった代用コーヒーが残されていたし、トイレのウォシュレットは生きており、暖房便座の電源が入ったままですらいた。厨房の冷蔵庫には新鮮な魚介類が収まっており、床には埃も積もっていなかった。
明らかに、人がいなくなってからまだ数日と経ってはいない。
「一体何が……?」
「―――資料室らしきものを発見!」
無線にその報が流れた瞬間、緊張が走った。
「―――そのまま確保だ!すぐに増援を送る!」
「了解!」
◇
無数の書架で奥も見えない有様だった。
元は倉庫だったのであろう空間にしまい込まれているのは、紐で綴じられた紙の束だった。
「―――これは」
図書館のように丁寧に番号と名前が振られているのがわかる。英語と日本語。アラビア数字。
兵のひとりは、書類の束を一つ掴んだ。パラパラとめくる。
中身は複雑な数式。概略図。何らかの科学資料に見えるがちんぷんかんぷんだ。ただ、粗末な紙に手書きされていることが解るのみだ。
だが、上陸部隊にはこんな時のために強い味方がいた。
「“アインシュタイン”。理解できるか?」
『超光速技術に関する概略と見受けられます。厳密にはもっと踏み込んだ内容ですが、この資料だけでは不十分です。恐らくこれはひと続きの資料の一部なのではないかと』
“アインシュタイン”。門の向こう、地球側に設置されたこの高度知能機械は衛星回線で艦隊を経由し、多重の手段でこちら側の兵士一人ひとりの端末にまで接続されている。
「ちょっとまて。超光速の、より踏み込んだ内容…?」
『門の可能性があります』
「じゃあ、この書架が全部……?」
『それは内容を精査しなければなんとも。しかし、いずれも価値の高い資料の可能性が非常に濃厚です。運び出すなら専門家を動員した方がよいでしょう』
「―――! おお。神よ!」
あるかもと期待されて自分たちが送り込まれたが、まさか本当にあるとは!
あまりにも畏れ多くなり、彼は資料を元の場所へと戻した。
兵士は、天を仰いだ。
◇
【門 地球側 神格支援艦“かが”】
「英雄のご帰還だ」
「もう。誰が英雄よ」
ストレッチャーの上で、はるなは相手に抗議した。
負傷したはるなを出迎えてくれたのは医療班とちょうかい。他の姉妹は門の向こうへともう向かったらしい。
「いやあ。無事に帰ってきてほんとに良かったよ」
「死ぬかと思ったけど。あの黒いの、めちゃくちゃ強かった。あんなのチートよ。反則よ。なによ。コング十人がタコ殴りにしたのにピンピンしてるって」
「うわあ……そら化け物だわ。怪我もそいつに?」
「うん。腕が取れたのは初めて。めっちゃ痛い」
はるなは明らかに重傷だった。片腕と尻尾、片目を失っていたのである。旧式の九尾の治癒力でもそのうち治りはするだろうが。
「そっかー…対策考えとかないとなあ」
「お願い。私はしばらくこの有様だし」
「任せな。はるなはしっかり休んでて」
「うん」
「正直さ」
「なに?」
「私達はもう実戦を経験することはないんだって思ってた。だからはるなが先陣をきってくれて、色々複雑な気持ち」
「そっか」
「はるなは私達姉妹の誇りだよ。ありがとう、生きて帰ってきてくれて」
「どういたしまして」
やがてはるなは医療班に運ばれていった。ちょうかいは、それが見えなくなるまで見送っていた。
―――西暦二〇五二年三月二日。人類が門の技術資料を手に入れた日、“冥府の女王”とはるなが邂逅する六日前の出来事。
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