初陣

「もし次があったら、神々に思い知らせてやる。僕らのようなひ弱な生き物よりずっと恐ろしい猛獣が、地球にはたくさんいるんだ、ということを」


【二〇五二年三月一日 グリニッジ標準時二十一時八分/

現地時間三月二日十三時過ぎ 門 樹海の惑星グ=ラス側】


「島はもぬけの空だ!」

「オーロラが発生しています。真っ昼間だってのに!大規模な大気擾乱」

「暗号化された通信が飛び交っている。こりゃ相当数の部隊が激突してるぞ!!」

「この雲、自然のものじゃあない。消えかかってるが気象制御の産物だ!」

部下たちの報告に、はるなは眉をひそめた。

周囲は異郷。背後に広がるのは門。そして、右側にある樹海に覆われた島とそこに設営された神殿のごとき巨大な建造物。

門の展開施設はそれで間違いあるまい。何が起きているかは分からない。だが、この門を巡って大規模な戦闘が繰り広げられたのはほぼ間違いない。それもつい先ほどまで。

ひとつだけ確かなのは、この門の主が不在なこと。

それははるなの手中に、門があるということだ。

胃がぎゅっと締まるような感覚。遺伝子戦争ではついに確保することが叶わなかった門。ふたつの世界の架け橋。神々から得ることのできなかった最後の超技術。

それを手にすることの意義を、はるなはもちろん知っていた。

自らと、部隊を丸ごと犠牲にしてでも守るべき価値のある存在だということも。

はるなは、自らの拡張身体の視線を遥か水平線の向こう側へと向けた。幾つもの証拠から、そこにいることが確実な軍勢の存在を意識したのである。友好的な相手ではあるまい。この世界にそんなものはありはしない。

―――排除、しなければ。

「―――東の未確認集団を暫定的に神々の軍勢とみなす。待ち伏せするぞ。集合!隊列を組み直せ!」

門の向こうへ圧縮したデータを送信する合間にも、調査に散っていた部下たちは隊列を組み直した。前衛は“G”。

ゴツゴツとした暗灰色の、しかし透き通った物質でできた鼻先。口。凶暴そうな、ギザギザの歯が印象的だ。全てを睨み殺せそうな目。

首は長く、手は短い。次いで出て来た胴はまた長めで、二本の鳥に似た構造の脚を持ち、その後ろからは太くて長い尻尾。体高は五十メートル近いが、尻尾を含めればさらに質量は膨れ上がる。

肩部に日の丸と国連を示すレリーフが刻まれた彼らが島の東側に並ぶ。

その後方、空中に並んだのは巨人ともゴリラともとれるメカニカルな神格"スティールコング"。背後に誘導弾発射筒が装備されている遠近両面でバランスの取れた性能は、戦闘面に限れば第三世代にほぼ、匹敵する。彼らの胸部に刻まれているのはアメリカの国旗と、そしてG同様の国連の図案のレリーフ。

総勢三十三柱もの獣神像が隊列を組む様子は、まさしく神話の光景であった。

戦闘態勢を取った部下たちの姿に満足したはるなは、命を下した。

「神々の軍勢を叩き潰すぞ!前進!」

そして、伝説となる戦いが始まった。


  ◇


【二〇五二年三月一日 グリニッジ標準時二十一時三十分/

現地時間三月二日十三時半 樹海の惑星グ=ラス 門より東側 海中】


海中は、奇妙な静けさに支配されていた。

そこに矢じり型の隊列を組んだ十六名の“G”。その先頭を任されたひとり、個体名“むつ”の心は穏やかだった。

海はいい。水の中は全てを覆い隠してくれる。外界の喧騒も。世間のしがらみも。自分自身の巨大な破壊力すらも。

水の中に潜み、敵へ襲いかかることこそ自分たち兄弟の本分だ。

恐怖を忘れる。人類を守るという使命を忘れる。今はただ、敵を滅ぼすことだけを考える。大丈夫。勝てる。

センサーに反応。近い。海面近くを飛行中の神格。敵以外ありえない。こちらに気付いたか?解らない。だが好都合だ。もっと近づけ。いいぞ。こっちだ。

そして、待っていた瞬間がやってきた。

ソナーでこちらを探ろうとしたか、水中に差し込まれた。それに、むつは

引きずり込む。爪の一撃を加える。尾で絡め取る。最後のとどめとばかりに食い千切る。

あまりにも呆気なく、神々の眷属は砕け散った。


  ◇


―――SYAGOOOAAAAAAAAAAAAAAAAA!


魂消るような咆哮と共に、異様な姿の怪獣が、何頭も水の中から飛び出した。

まるでスローモーションを見ているかのような、しかし実際は九〇ノットを超える快速で、彼らは神々の軍勢へと襲い掛かった。

完全な奇襲であった。

運の悪い何体かの眷属が水の中へと引きずり込まれ、難を逃れた者は愕然とした。

「―――!?」

生き残った眷属が上空に逃れようとしたが、それはあまりにも遅すぎた。

海面から顔を出した怪獣は―――“G”は体をまっすぐに伸ばし、敵へとその口を向けていた。

喉の奥には光。

否。

怪獣を構成する透き通った流体。その原子一つ一つが励起され、原子光を発していた。

やがて臨界に達すると、そのエネルギーは一直線に吐き出された。

大出力のレーザービームであった。

その一撃は、上空を飛翔する眷属の一体。通常の八倍―――四百メートルもの巨体を備えた漆黒の蛇へと直撃。バターのように溶融させ、大穴を開ける。

恐るべき威力であった。

レーザーは一条だけではなかった。

何頭もの怪獣がレーザー砲撃を行い、直撃を受けた個体が破壊され、バタバタと墜落していく。

―――行けるか?

レーザー砲撃に加わるむつの脳裏に、そんな考えが浮かんだ。

無惨に撃破されていくのはギリシャ神話の女神像。東南アジアの妖怪。中東の古い神。敵勢を詳しく観察する暇などないが、一つだけ確かなことがある。奴らは神ではない。いずれも偽物に過ぎない。だから、勝てる。このまま押し切れる。そう思った矢先。

眷属の一体、仮面で顔を覆い隠した呪術師シャーマン像が、槍を

たちまちのうちに視界が消失。激しい暴風雨が全てを覆い隠す。これでレーザーが封じられたことをむつは悟った。それだけではない。すべてのエネルギー投射兵器が使用不能となったのだ。

気象制御型神格の、それは威力だった。

だが。

後方より振動。水中は音の伝搬が早い。暴風雨で耳目を自ら封じた敵は気付いていない。奴らはより致命的な攻撃から生き延びる機会を投げ捨てたのだ。

それが、味方の攻撃の開始を知らせるものであることをむつは知っていた。

水中から何本、いや何十本もの円筒形の物体が飛び出した。

原子の熱運動―――本来不規則なその分子運動が束ねられ、熱エネルギー自体が運動エネルギーへと変換されて飛翔する。

それは逃れようとする神格たちへと降りかかった。

円筒―――四一式神対神誘導ミサイルは命中すると、その全原子を励起。プラズマと化し、そして哀れな犠牲者を電磁波と熱と衝撃波で破壊した。

プラズマ生成の原理は火球と同じだが、運用の発想が根本的に違う。

せいぜい人類側神格の巨神をターゲットとした破壊試験しか行う機会のなかった超兵器は、今ようやく実戦にも通用することが証明されたのだ。

神々の軍勢と言ったところで、知性強化動物の前ではに過ぎない。相手に勝てる道理はなかった。この戦いの勝敗は始まる前から決まっていたのだ。

だから。

その少女神は、もはやヒトではない何かに成り果てていたのだろう。

爆風が暴風雨すらも吹き散らして行く中、一瞬だけ姿を現した敵に、Gたちは心奪われた。

この段階でもまだ生き残っていたそいつは、蛇に跨っている。最初にむつが砲撃を加えた巨体はそいつの乗騎。漆黒に彩られたこの女神像は両の側頭部より前へ捻くれた角を生やし、体を覆うのは一枚の布。手には槍を携え、顔を仮面で覆い隠した、少女を象る巨像であった。

むつのセンサーは、そいつがミサイルをいとも容易く切り払う瞬間を捉えていた。それだけではない。何発ものレーザー砲撃を受けていながらも損傷ひとつないのだ。まるで吸い込まれているかのように。

他の眷属とは明らかに格が違う。

そいつは周囲のGに見向きもしなかった。漆黒の少女神が見詰めるのはただ一点。後方より浮上してきたスティールコング部隊の更に背後に座する、九尾。

たおやかな繊手が、投擲の構えを取る。膨大な熱量が槍に流れ込み、そして

音速の二十四倍の速度で飛翔する三百トンの質量の狙いは正確だった。それは暴風雨を薙ぎ払いながら、真っ直ぐに九尾の胸板を貫く軌道を取ったのである。

強烈な攻撃と獣神たちの長。二つは今、交差しようとしていた。


  ◇


国連軍神格部隊は多種混合編成が基本である。神格間の戦闘は相性に左右される事がままあり、単一機種だと敵部隊に対して手も足も出なくなることがあるからだ。遺伝子戦争期に果てた五名の人類側神格。彼らが残した教訓である。

実際、はるな率いる部隊も米軍から一機種、自衛隊から二機種の合計三機種編成だった。より小規模編成ならば更に多機種多国籍になる場合もある。

そのうちの一機種。最も旧式だが経験豊富である"九尾"、その神格であるはるなが指揮官を拝命したのは論理的帰結だ。

蛇に騎乗した少女型の敵巨神―――明らかに他と格が異なるそれと目が合い、はるなは総毛だった。

その初撃を回避できたのは、積み重ねて来た訓練のたまものだったろう。

反射的に半身となり、飛来する槍を紙一重で回避。

マッハ二十を優に超える投擲。まともに受ければ二万トン近い巨体と言えども死は免れない。

安心している暇はなかった。敵が、乗騎の上から掻き消えたからだ。

第二撃は、真後ろから来た。


  ◇


はるなの背後を取った少女神は、飛来した自らの槍を掴み取る。更には、流れるような動作でそれをもう一度、振るった。結果は明らかに見える。だからだろうか。仮面の下より覗く瞳に、失望が浮かんだのは。

それは、すぐさま驚愕へと変じることとなった。

"九尾"は上体を逸らし、少女神の振るう槍を完璧に回避しきった。

「―――!?」

それで終わりではない。

女神像の伸びきった右腕に、獣神の腕が絡みつく。

分子運動制御で跳ね上がった九尾は、少女神の上腕部を自分の両脚で挟んで固定。同時に手首を掴み、自分の体に密着させる。

人間で言えば骨盤に当たる部位を支点に腕を反らせ―――

それは、地球で腕挫ぎ十字固めと呼ばれる技であった。

少女神の腕は、完全に極められていた。

更にはその武装。九尾背面から伸びていた二基の三連装主砲は溶け崩れ、砲塔の形から変形し、柔らかな毛に覆われた一本の器官と化したではないか。巨神本体に匹敵するほどの大きさの尾が、少女神の左腕にまで絡みつく。

こうなれば完全な力比べだった。

体勢は九尾が圧倒的に有利だった。漆黒の女神像が腕の力しか使えないのに対し、獣神は全身のバネをフルに発揮していたのである。それは、少女神が空中に磔とされているに等しい光景。

さらに、上官を救おうと白い巨獣たちが接近してくる。背後から接近してきたスティールコングの腕は、何倍にも伸びた。

凄まじい拳の衝撃が少女神の背中を襲う。更に前からも。その威力は最大級の軍艦でもたやすく木っ端みじんとするだろう。彼らの数は十を超える!

にもかかわらず、漆黒の少女神は強靭だった。第三世代型神格ですら破壊されるであろう威力に耐えきっていたのである。恐るべき防御力だった。

更に。

九尾の全身が軋んでいく。少女神のパワーが、徐々に九尾を圧倒し始めたのである。その剛力は、標準型神格の十倍以上にも及んだ。

それで終わらない。

少女神の乗騎。遥か遠方に置き去りにされた蛇の巨体がのと同時に、少女神の背後に実体化していくではないか。

自らを再構築した怪物は、主人を守るべく周囲を威嚇する。

黒の女神は、九尾をそこへ

ただの一撃で女神像を束縛する力は緩み、すぐさま振り払われる。

大きく傷ついた九尾は空中で体勢を立て直すと、その尾をいくつにも枝分かれさせた。

そこへ、黒の少女神の槍が襲い掛かった。

ガードする尾は脆い。数がいかに多くとも、ただの一撃で砕ける有り様では時間の問題だ。必死で後退する獣神は、尾を再生しながら攻撃を捌いていく。

女神像は追いすがり、立て続けに攻め立て、そして―――

そこまでだった。

手を止めた少女神は周囲を一瞥。まるで戦況の不利にようやく気が付いたかのように振る舞うと、手にした槍を後方。水平線の彼方へと、投じた。

それに伴うかのように少女神と蛇の巨神を構築する流体はほどけ、消えていく。

まだ生き残っていた眷属たちも、速やかにその場を退去していった。


  ◇


【二〇五二年三月一日 グリニッジ標準時二十二時二十六分/

樹海の惑星グ=ラス側現地時間三月二日十四時半ころ 門】


門。その地球側。

見渡す限りの海にて艦隊が遊弋し、多数の戦闘機械が、そして四百を超える数の巨神が滞空している。

国連軍であった。

その中枢であるCIC。

戦闘の推移を固唾を呑んで見守っていた艦隊首脳部は、味方神格群より送られて来た情報を統合し、ひとつの結論を出した。

「敵神格群、撤退中です。

味方の損害は負傷者三、死者〇。

指揮官のはるな一佐は重傷なれど生命に別条はない、とのことです」

「よくやったと伝えろ。救援を送れ。負傷者は回収。指揮は次席の者に引き継がせろ。

速やかに門を確保する」

司令官である英雄神は、労いの言葉をかけるとマイクを手にした。

彼女の言葉は艦隊全体へと響きわたった。

「諸君。

―――我々は、遺伝子戦争以降初めて―――

門を制圧下に置くことに成功した部隊である、という栄誉を得た」

艦隊全域にその放送が響き渡る。

一拍置いて―――歓声が広がった。

それはすぐさま、人類の領域全てへと拡大していった。


―――戦いは、人類の勝利に終わったのだ。




―――西暦二〇五二年、現地時間三月二日十四時半。第一次門攻防戦に人類が勝利を収めた瞬間。人類史上初めて知性強化動物が実戦投入された日、はるなと蛇の女王が交戦した直後の出来事。

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