越境

「――――――」


【二〇五二年三月一日 グリニッジ標準時十五時四十二分/

樹海の惑星グ=ラス側現地時間三月二日八時ころ 門攻防戦の最中

低軌道 門上空】


「畜生。本当に門だ。開き始めてるぞ」

アレハンドロ・ニューベリー中尉は、気圏戦闘機のコックピットで毒づいた。

ヘルメット経由で脳に直接映し出されているのは遥か下方の光景。何もない海原。その海面から百メートルほどの高さに、小さな碧色の輝きが灯っているのだ。

強烈な発光のはずだが、まだ門としては利用できないようだ。ここ数十年で蓄積された超光速航行技術に関する知見と多数の高度知能機械のによって、その物理学的挙動は解析されつつある。もっとも、それが本当に正しいのかどうかはアレハンドロには分からない。地球上の誰にも分からないだろう。

「神よ。我らを守り給え」

後席の相棒の祈り。彼と共にこの機体で、取れる限りの情報を取るのがアレハンドロの役目だ。そのために気圏戦闘機は既に、持てるすべての機能を発揮して門を観測している。もっとも、それもごく限られた時間。機体が水平線の彼方へと飛び去ってしまうまでの間のことに過ぎない。弾道飛行で開きつつある門上空を飛翔しているためだった。気圏戦闘機は急には止まれないのだ。後続が何機も来るから問題はないはずだが。

人間たちの焦燥感とは対照的に、気圏戦闘機は冷静にデータを取得していく。この戦闘機械は人間がいなくてもほぼ自動で機能を発揮できるのだ。だから、そこに神経反応ヘルメットと専用のパイロットスーツで繋がれた人間たちの役目は、機械に知性を供給すること。

「間もなく観測限界を越える」

「了解」

門が外に消える一瞬、アレハンドロは

碧の光は、水平線の彼方へと消えて行った。


  ◇


【国連軍演習艦隊 強襲揚陸艦"ボクサー"甲板上】


「ここまで来て帰れだなんて」

デビット・ダンカンは、甲板上を見渡した。

周囲には彼同様の記者やカメラマンたちの姿。元々は演習艦隊の取材のために同乗してきた人々は今、退去を求められているのだ。戦闘が想定される場所からの。

艦隊じゅうからこの強襲揚陸艦に移乗してきた彼ら彼女らが乗り込みつつあるのは軍用の輸送機。最後のひとりが乗り込んだ時、機体は発進するだろう。

人生に一度あるかないかの機会から締め出されつつあるのが悔しくて、ダンカンはカメラのシャッターを切った。幾つも幾つも。輸送機の後部から乗り込む記者たちの列。誘導灯を掲げている甲板作業員の姿。臨戦態勢に入りつつある艦隊の様子。上空を飛翔する幾つもの巨神たちの威容。そういったものを。

「さあ。行ってください」

案内の兵員に促され、ダンカンも搭乗の列に加わった。たちまち奥に押し込まれる。ぎゅうぎゅう詰めだ。急な事だから仕方ないのだろうが。

後部のハッチが閉じられるところを、ダンカンは最後尾から見ていた。

慌ただしく内外の準備が終わると、機体が振動。ゆっくりと動き出すのが慣性で感じられる。

多くの民間人を乗せた輸送機は、戦場を前にして飛び立った。


  ◇


【二〇五二年三月一日 グリニッジ標準時二十時五十六分/

樹海の惑星グ=ラス側現地時間三月二日十三時ころ 門】


輝きは、最高潮に達しようとしていた。

空中で荒れ狂っているのは、碧の光。巨大なエネルギーが膨れ上がり、自分自身に飲み込まれる。その繰り返しを続けているのだ。直径百メートルを超えた現在であってもまだ通ることはできぬ。無理に押し通ろうとすれば弾き飛ばされる。それを潜り抜けたとしても、原子の塵にまで分解されてしまうだろう。今だ不安定なそれはまだ、門としての機能を発揮できていなかった。

だが、それももう間もなく終わるだろう。地球人類が不十分な手掛かりから算出した時間が正しければ、門はやがて安定し、一気に拡大。キロメートル単位の巨大な円盤となり、通過を許すようになるはずだ。

門の周囲、主に左右へと、距離を置いて展開しているのは国連軍の艦隊が百以上。多数の航空機。そして、四百もの巨神。海中にも相当数の神格や潜水艦等の兵器がいる。

門はその円盤状の前後が通行可能となる。片方から入れば対応する向こう側の反対側から出るのだ。門の左右に主に展開している理由もそこにある。

全ての者が、門の完全開通を注視していた。

何時間、待っただろうか。

不意に、光が収束。一点にまで縮んだかと思えば次の瞬間、急速に拡大していくではないか。それも、今までのような荒れ狂い方ではない。安定した、静かな展開。

それはたちまちのうちに、直径一キロメートルを超えてなお拡大していく。

最終的にそれは、海面に対して垂直に。直径千二百メートルにまで広がって、止まった。

向こう側の光景が見える。闇に包まれたこちらとは対照的な、陽光にきらめく海面。隅に見えるのは島だろうか。海面に負けず劣らぬ反射光を返してくる、異世界の樹木。いや、樹海の姿を晒している。

神々の世界の樹海が今、人類の眼前にさらけ出されたのだ。

その様子の一部始終を、はるなは茫然と見つめていた。この場にいたすべての者がそうだっただろう。

身構える人類に対して、しかし予期されたものは姿を現さなかった。

ただ、門の向こうからの穏やかな陽光がこちらへと流れ込むのみ。

静かだった。

ややあって。門を包囲する国連軍の一隊が、命に従い前に出た。

総計三十三名の彼ら彼女らは前進。隊を二つに分け、一方が海面から。もう一方が空中から、門を抜けた。

最初に門を抜けた一隊は、"G"級強襲揚陸型十六名。それに続いたのは"鋼の王スティールコング"十六名であり、最後に抜けた一柱は"九尾"。

はるなだった。

人類の軍勢は初めて、地球から神々の世界へと越境したのだ。

その様子を、地球に生きるすべての言葉持つ種族が見守っていた。




―――西暦二〇五二年、現地時間三月二日十三時。第一次門攻防戦が開始されて五時間、都築燈火が神々の軍勢に敗れた直後。はるなが蛇の女王と交戦する三十四分前の出来事。

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