歴史はここにある
「見なさい。ここには歴史があるわ」
【西暦一八八六年 エジプト カイロ北東140km タニス遺跡】
「ようこそ!歓迎しますよ。砂と風と遺跡しかないところですがね」
責任者らしい屈強なヒトの白人男性に流暢な英語で挨拶を返し、来客の女性は笑みを浮かべた。
周囲で忙しく働いているのは現地の男たち。着衣で太陽と砂塵から身を守り、彼らが掘り返しているのは石でできた構造物である。それが何千年も昔の遺跡であることを、来客の女性。光学カモフラージャで人間の老婦人に扮したミン=アは知っていた。
案内を始めた責任者にミン=アは続いた。更には付き人。いや、同様に姿を偽ったドワ=ソグが続く。
「ちょっとドキドキするわね」
「私はドキドキどころではありません。万が一があればどうなさるおつもりか」
「例えばカモフラージャが故障したり?私たちの姿を見た彼らがどんな顔をするか、今から楽しみ。ホルス神と思うかしら。それとも他の、エジプトの神々?ぜひ感想を聞いてみたいわ」
「あなたがおっしゃると冗談に聞こえないから困る。お気を付けください。彼らは我々を殺傷しうる能力を持っている」
「知っているわ。けれど、危険に身を晒しているのは私たちだけじゃあない。多くの同胞が、世界各地でこのように直接的な調査を行っているのだから」
「立場をお考え下さい。と言っているのです。……まあ長い付き合いだ。あきらめもついてきましたが」
ミン=アは、部下の格好を上から下まで観察した。髭を生やしたヒトの顔。シャツと分厚いズボン。吊りベルト。帽子。ホルスターに拳銃を吊るし、左手で上着を、反対側の手には大きなカバンを下げている。それら全てが、機器によって光学的に欺瞞された偽物の姿である。物見遊山に来たさる資産家の夫人とその付き人。と言う設定だった。
二人が言葉を交わし終えたと見たか、責任者は遺跡の説明を始めた。
「ここが最初に発見されたのは前世紀末。1798年にナポレオンが遠征してきた時です。後には赤色花崗岩のスフィンクスも発見されています。その後も発掘は断続的に行われ、現在は我々がやっているというわけです」
「百年近く経ってもまだ、新しい発見があるのね。驚きだわ」
「全くです。こいつはとんでもない遺跡ですよ」
様々な出土品。柱や壁。それらの横を一行は通り過ぎた。そんな中、地球上には存在せぬ言語で神々は語る。
「まだまだ未熟で粗削り。だけれどとてもエネルギッシュな現場だわ」
「彼らは神殿や王の墳墓と言った派手なものしか興味がないようだ。ここには巨大な都市遺跡があるというのに」
「気付いていないのは仕方ないわ。高解像度の衛星を使ったスキャンを一通り終えた私たちと違って、彼らにはそんな便利な道具なんてないんですもの。何百年もの堆積物を段階的に掘り進んで生活の変化を確認する手法もまだ確立していない。それよりも大切なのは継続する事よ。それによって技術は進歩し、興味の対象もより移っていくことでしょう。私たちがそうだったように」
「確かに」
やがて遺跡を一通り見学した時点で、責任者は腕を広げた。
「どうです。素晴らしいでしょう。ここには古代のロマンが埋まっています。我々に掘り出されるのを待っているんですよ」
「ええ。そのようね」
「貴女のように遺跡に興味を持つ方が増えれば、我々も大歓迎です。いつでもまた声をかけてください」
「ありがとう。最後に握手、いいかしら」
資産家の夫人らしからぬ物言いに責任者は少しだけ眉の角度を変えたが、それ以上何も言うことなくミン=アの手を握った。
「……?」
手袋ごしの感覚に、今度こそ怪訝な顔をする責任者。
「どうかされて?」
「いえ」
慌てて手を離すと、彼はしきりに自分の掌を確認する。
それを前に、来客たちは帰っていった。
◇
【西暦二〇四九年 フランス ルーブル美術館】
赤色花崗岩のスフィンクスだった。
そこは美術館の一角。古代エジプト美術部門である。
「こいつは模造品だ。ほんものはここにはない」
「じゃあどこにあるの?」
「失われた。あるとすれば神々の世界だろう。略奪されたんだ」
傍らの少年へと、銀髪の海賊は答えた。
周囲からは幾つもの奇異な目。仕方がなかろう。フランシスが連れて来た少年は、この美術館をかつて略奪し、破壊した敵種族の生まれだったから。
「歩こう」
ふたりは歩き出す。様々な展示品。パピルスの巻物。ミイラ。楽器。様々な品が展示されていた。だが、昔からここに展示されているものは少ない。皆無と言ってよかった。ほとんどが遺伝子戦争後に新たに発見されたものか、辛うじて残っていた品々。戦災を免れ、ここに寄贈された品。そう言ったもので構成されている。あるいは模造品か。
「神々は地球の美術品や歴史遺産の価値を知っていた。そもそも人類から神話を簒奪するために膨大な研究を行っていた。その知識は部分的には、人類を越えていたところもあるだろう」
「神話か」
「連中が神を演じるためにはそれが不可欠だったからな」
開戦直後の"神々"の降臨の威力はすさまじいものがあった。人類は混乱し、分断され、眷属をまさしく神の現身と崇める者さえ出る始末だった。その正体が暴かれてからもしばらくの間は悪影響を引きずったほどに。
「オレ自身も神を演じた。大根役者だったと思うがな。天照が神々の秘密のヴェールを引きずり下ろすのがもっとおそければ、より被害は深刻になってたはずだ」
「……」
「よく見ておけ。ここから失われたものは、神々の蛮行の証だ。お前は昔なにがあったのかを、より深く知っておく必要がある」
「なんで、こんなところからまで略奪したのかな」
「さあなあ。ただ一つだけ言えるのは、神々は高度に進化した知的生命体なんかじゃない。人類と同じ段階にいる、野蛮で凶悪な種族ってことだ」
「人間と同じか……」
「お前ならわかるだろ」
「うん」
通路を進む。古代オリエント美術の部門に入る。
「ここに収蔵された品自体、人類が同じ人類から略奪したものも少なくない。
だからって略奪していいって理屈にはならんがな。神々はそれをやった。
蛮行に蛮行で報いるのは文明人のやることじゃあねえ。そして人類は文明人のつもりだ。少なくとも今は」
「もしかして、次があった時のこと言ってる?」
「正解だ。神々がもし、再び門を開いても。オレみたいに考えている人間は決して少なくはない。お前が今ここで普通に美術品を眺めていられること自体がその証左だ。忘れるな。お前はここでは異邦人だが、それでも味方してくれる奴はいる」
「うん」
「さ。しっかり目を養っとけ。せっかく天下のルーブルに来たんだからな」
「そうするよ」
鳥相を備えた少年は収蔵品の一つ一つを鑑賞した。銀髪の大海賊は、それを見守っていた。
―――西暦二〇四九年。門が開く三年前、神々が人類の調査を開始してから二百七年目の出来事。
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