集団的知性

「分業は文明の基本だ。自分ひとりでは生きるのに精いっぱいであっても、自分の労働を代価に他者の労働の成果を受け取るのであれば効率は何万倍にも膨れ上がる」


【イギリス コッツウォルズ地方 捕虜収容所】


「ねえ。昔のSF映画とかだと人間が作った知能機械や新人類って叛逆するじゃない。あれが知性強化動物や現実の知能機械では起きない理由ってなんで?」

息子に問われたドワ=ソグは手を止めた。大工仕事の最中である。家の屋根の修理だった。

「そうだな。幾つか理由があるが、まず知能機械は所有者。この場合は人類だが、その価値観を最大化することを目的にするよう設計すれば敵対的行動をとらないことが知られている。こっちは母さんに聞いた方がいいだろうな。

ねじをとってくれ」

「うん」

梯子の下でグ=ラスはごそごそ。やがて目当てのものを取り出すと、父親に手渡した。

「知性強化動物についてだが、まず第一に彼らは人間と同じ価値観を持つよう教育されている。人権思想だな。こいつが強力なストッパーになっていることは間違いないが、他にも理由はある」

「どんな?」

「彼らが賢明だということだ。人間を遥かに上回る知性を与えられ、最高水準の教育を与えられた知性強化動物は、もちろん損得勘定の能力も高いだろう。彼らは人類がいる方が得なのさ。明らかに」

「そう?」

「そうだとも。例えば知性強化動物が人類を滅ぼしたとしよう。彼らの総数は今いくらかは分からんが、まさか何千万もいるわけじゃあないだろう。文明を維持するには明らかに数が足りない」

「それは分かる」

「知性強化動物が人間と同じ暮らしを享受しているとすれば、そうだな。朝起きたら核融合発電所から送られてきた電力で沸かした湯でシャワーを浴び、フランス産の小麦で出来たパンを食べ、インドで採れた紅茶にアフリカ産の砂糖を落とし、オーストラリア産のウールのズボンを履いて、マレーシアからきた木材でできた椅子に座りながら、日本製のタブレットで今朝のニュースを確認するだろう。知性強化動物がそのために支払うコストは自らの労働時間の一部だ。2000年代の平均的な人間なら、何十分か働けば1日の食費が稼げる。更に何十分かかければ新しい服を買えるし、2時間もかからず光熱費が確保できるだろう。朝から働いて昼になるころにはその日の衣食住の心配は消えてなくなる。夕方まで働けば本や、テレビゲームや、休暇のための貯金や、子供の教育費も手に入るだろう。現代だともう少し比率は変化しているだろうけどね。知性強化動物もさほど人間と変わらないだろう。

けれど、人間がいなければこのコストは跳ね上がる」

「どれくらい?」

「自給自足では、生きるだけで精いっぱいだ。水を汲み、薪を集め、芋を洗い、火を起こし、料理をし、家を直し、草を刈って来て寝床にし、魚の骨から針を削り出し、服のほころびを縫い、粘土で鍋を作り、鳥を捕まえて晩飯にする。遊んでいる暇はないな。知性強化動物しかいない場合、分業しても大して効率は上がらない。数が少なすぎるからだ。

こういう話もある。100マイル160km以内で作られた材料を用いてスーツを作るという実験だ。20人の職人が500時間かけてようやくそれは完成したが、値段は100倍にもなった。

今私たちが直している屋根だって、たくさんの人間の労働の結果安価になった。部品は規格化され、大量生産される。このねじひとつとってもそうだ。鉄鉱石を採掘する人間。石炭を運んでくる人間。精錬する人間。彼らの食事を作る料理人。溶鉱炉を管理するスタッフ。彼らが安心して働けるよう治安を維持する警察官。より効率的な機械のプログラムを組むプログラマ。これらの仕組みを発明した過去の科学者たち。無数の人間のたくさんの協力がなければコストは上がる。そして彼ら一人一人は決して自分のしている仕事の全貌を知らない。自分が取り組むべきごくわずかな領域に注力しているんだ。人間一人一人の知性はごく限られたものだが、それを最大限発揮できる集団になった時には不可能を可能にする」

「なるほどなあ」

屋根の張替えが終わる。これで雨漏りは直るだろう。恐らく。昔ドワ=ソグ自身が建てた家だから間違いはない。もちろんひとりではない。収容所にいる30名の仲間の力。建材や道具を用意した人類。それらの協力がなければ建てるのは不可能だったはずだ。

「そんなわけで知性強化動物も、既存の人類文明をなるべく利用した方が快適な生活を送れるだろう。もし文明に脅威が迫れば、守るために死力を尽くすはずだよ。人類征服なんてオプションもとらない。統治するのも面倒だろうからな」

梯子を下りる。道具を工具箱に仕舞って、修理はおしまいだった。

「ごくろうさん。これで屋根は大丈夫だろう」

「父さんもお疲れ様」

「ああ。さあ、早く家に入ろう。寒くなってきた。今年は冷えるのが早いな」

いや。むしろ今までが暑すぎたのかもしれない。

ふとそんな感想を抱き、ドワ=ソグは天を見上げた。南天にオービタルリングのかかった地球。遺伝子戦争の傷跡を自ら癒しつつある人類。その文明の力が、とうとう近年の異常気象にも及んだのだとしたら。

「どうしたの?」

「何でもない」

ドワ=ソグは、息子に続いて家へと戻った。




―――西暦二〇四八年。遺伝子戦争より三十年、神々が人類を発見してから二百六年目の出来事。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る