死人使い

「力は節度を持って扱わなければならない。あの戦争で学んだ、最も重要な教訓はそれだ」


【ロシア連邦サハ共和国トンポ郡南部地域】


「ジャーナリストが来たのは初めてだ」

そう言って、眼前の女性は笑った。

奇妙な空間だった。作業スペースなのだろうか。天井はビニールシートであり、片方の壁は幾つもの棚と薪ストーブ。トタンの壁。

奥には幾つものポリタンクや木箱が山積みになっている。

そして反対側に鎮座しているのは、巨大な戦闘用車両の勇姿。表面がさび付き、塗装は剥げ、何か所も装甲版がはぎ取られたそれは故障しているのだろうか。このような場所に放置されているのだから戦闘能力は恐らくあるまい。人類が作り出したものではない。神々の兵器の残骸なのだろう。

廃品を巧みに用いて作り出された作業小屋。と言ったところか。

入り口の脇にはティピー型のテントと太陽電池。木々がまばらな林の中にある、数少ない文明の痕跡がここだった。

「よくこんな僻地までこれたものだ。大変だっただろう?」

「いえ。貴女を取材するのですから、これくらいは必要なコストです。幸運な二十三人。人類側神格のひとり。先の戦争の英雄である、あなたを。エレーナさん」

「"死人使い"と言っても構わんよ。事実だ」

ジャーナリストは。高崎希美は、相手を見据えた。先の戦争中悪名を轟かせた人類側神格のひとり。戦時中、何百何千と言う死者を黄泉還らせては使い捨てにしたという恐るべき能力の持ち主。それ以上の数の重傷者を死の淵から救った偉大なる異能者。そして、八十もの眷属を打ち倒した勇猛果敢なる戦士。

「それで、何を聞きたいのかな」

「真実を」

希美は正直に答えた。彼女の周辺の人物の証言は無数に存在する。だが当人からの言葉と言えるものは何一つとして知られていない。近年までエレーナは重度の疾患を患っており、精神が著しく不安定な状態だったからである。政府が取材を禁じていたのだ。不測の事態を恐れていたのである。エレーナがその気になれば、たちまちのうちにシベリアは生命の死に絶えた不毛の大地になるであろうから。

「あの戦争であなたが見た真実。それが、私の知りたいものです」

「真実か……」

エレーナは、テーブル上の木製の椀を手に取った。中に入っているのは白い飲料。近隣の遊牧民から入手した乳酒の類であろうか。

「私にとっての真実はシンプルだ。門の向こうへ連れていかれた。二歳の娘と引き離された。頭の中にクソッタレな機械生命体を突っ込まれた。たくさんの少女を化け物に作り替え、死なせた。それだけだ」

「お子さんがいらっしゃったと?」

「ああ。あの日、私はマハチカラの自宅でね。夫が夜勤から帰ってくるのを待っていた。カスピ海のど真ん中に門が開く瞬間を目の当たりにしたんだ。

門を見た事は?」

「あります。あの日、神戸にいました」

「よく生き残ったものだ。―――いや、そういえば君を紹介してきたのは志織だったな。なるほど」

納得したか、人類側神格は頷いた。

「何体もの眷属が出てくるのを見た。当時はあれが何なのかもちろん知らなかったが。眷属の一体が波打ち始めた時、これはヤバいとなぜか思ったんだ。家の中に飛び込んだ。娘を抱きかかえた。外に飛び出したところで、地震が始まった。あんなに酷いのは人生で初めてだった。幾つも建物が倒壊したよ。多くの人が外に飛び出したようだった。それからしばらくして、二度目の地震。今度はもっとひどかった。人生最悪の地震は早くも記録を更新したわけだ。

地獄だったよ。ビルディングが崩れるときは驚くほどゆっくりでね。9・11を思い出した。噴煙が飛び散った。砂塵が天高く舞い上がって空を覆い尽くしていくんだ。目の前で人が倒壊した建物に押しつぶされるのを見たし、逃げ惑う人の頭に一抱えほどもある瓦礫が激突するのも見た。無我夢中だった。どうやって娘を守ったのか覚えてない。

全てが終わったのはずっと経ってからだった。そして、廃墟となったマハチカラの上空に神々が来た。何体もの眷属が。

奴らは驚くほどに通る、けれど静かな声で命じた。門を指さして。集えと。

どうしたかって?従ったさ。他にどうすればいい?

港まで歩いた。大勢の人がいた。奴らの船に乗り込むさまは、まるで死の河を越えていく亡者たちを連想させた。あながち間違ってはいないだろう。門の向こうに運ばれればもう、生きて戻ってくることはできないのだから。それこそ神話の英雄でもない限りは」

「……」

「志織はよくぞ君を連れ帰ってきたものだ。私にはできなかった。向こうの収容所で、娘と引き離された。娘は最後の瞬間まで泣いていたよ。あの鳥頭どもに引きずられて、私は門の施設に運ばれた。手術室に拘束されて、耳の穴から蝶のようなものを寄生させられた。すべて覚えている。何もできなかった。奴らの手下に成り下がった私は、略奪の手伝いをさせられた。ささやかなアスペクトを使ってね。

だが、私はあきらめが悪かった。知っているかな。神格は最初のころは何度も調整を繰り返すんだ。ベッドに寝かされて、頭の中の寄生虫が快適に過ごせるようにね。それでも私は抵抗した。考えていたのは娘を助けに行くことばっかりだった。

自由になる機会が訪れたのはそれからしばらくしてからだ。人類の反撃が始まった。私は内陸に三百キロも進出した位置にいた。遺伝子資源の採集中でね。ひどい目にあったよ。それがきっかけで、頭の中の神格がイカれたんだろうな。だから、恐ろしさと苦痛のあまりに狂ったあいつと交代してやったのさ。死ぬかと思ったが。

軍と行動を共にするようになったのはそれからだ。私は優秀だったとは言えないがね。唯一誇れることがあるとすれば、神格を使って怪我人を大勢治したことくらいか。そのうち、ある参謀が私の能力をもっと違うことに使えないかと思いついた。環境管理型神格でも蘇生できないほどのダメージを被った死体を使って兵器を作る。と言うものだ。

たいして難しくはない。タンパク質の塊で動く人形を作るだけなら。そいつの能力を高めることも。だがそれは所詮ロボットに過ぎない。決まったルーチンで動くだけのね。戦闘の役には立たない。そこで死体が役に立つ。生前脳に刻まれた思考回路は柔軟な行動を可能にするんだ。そいつを再現しながら死体を作り直してやればいい。

私は同意した。今から思えばどれほど愚かな選択をしたものか。だが娘を取り返すという目的に目がくらんだ私は、超えてはならない一線を越えた」

そこで言葉をいったん止めたエレーナは、作業場の外へと視線を向けた。近隣の遊牧民の所まで出かけている、同居人がいるであろう方角へと。

「目論見は成功した。幾つもの死体を実験的に黄泉還らせた。彼ら彼女らには死人ゾンビーと言うコードネームが与えられた。この名前の出典については説明の必要はないと思う。それは従順で、自発的な意思ももっていない。だがそれなりには役に立った。早速戦闘に投入し、戦果を挙げ―――そして、私は過ちを犯したことを知った。

戦闘終了後のことだった。腰から下が無くなった死人の娘が、絶叫していた。まるで意思があるかのように。彼女は私に縋りついた。何が起きているのか理解できていないようだった。たすけて、と叫んでいた。私は何を自分がやらかしたのかようやく理解した。私は彼女を仮死状態にして連れ帰った。修理した。再び目覚めさせた時、やはり彼女は意思があった。だが、手遅れだった。もう私の能力でも、彼女を元通りの体に戻してやることは不可能だった。

過ちを犯したのを知った私に、しかし軍は同じことを繰り返すよう要求した。戦況は逼迫しており、従わねばならないのは分かっていた。死人が戦場に立てば、その分まだ生きている兵士の犠牲が減らせるのは事実なのだから。私は大勢の年端もいかない少女の亡骸を死人にした。兵士の戦死者はほとんど使わなかった。死んだ後も動く死体にされて戦う、なんてことになったら士気に関わるからな。どこに行っても死体には困らなかった。そのうちの幸運な———いや、運の悪い数十人が生前の自我を取り戻した。そうでない死人は遥かに多かったが、しかしそれらも道具としてはもう、見なせなかった。みんな死んだ。私が使い捨てた。南極で最後の神々の残党を掃討し終えた後、残った死人のうちで意思のある者たちは皆、安楽死を望んだ。私はその願いに応えた。死を望まなかったのは一人だけ。最初に私が黄泉還らせた娘―――リューバだけだ。

私は耐えられなかった。自分の犯した過ちに。神格はストレスによる脳のダメージを癒す機能を備えるが、その限界を超えて私は自分を責めた。ここに隔離されたのは、私が暴れ出すのを恐れた軍の連中のやったことだ。私は甘んじて受け入れた。何十年もこの、孤立した場所で腐ってたんだ。

こうして普通に会話ができるようになったのはつい最近のことだよ。今の医療技術は凄いな。私の脳でさえ治せるんだから」

そうして、英雄は語りを終えた。

「私にとっての真実はこんなところだ。参考になったかな。ジャーナリストさん」

「ええ。大変に。

ひとつよろしいですか?」

「構わんよ」

「今でも娘さんを取り戻したいとお思いですか」

「もちろんだ。だが無理だろう。娘が私の手から離れてもう三十年あまりになる。それに私は学んだんだ。どれほど大切なものだろうとも、それを取り戻すために払ってはいけない犠牲があると。

君も知っているはずだ。生命工学が異常に発達した現代だからこそ、力は節度を持って扱わねばならない」

「はい」

「できる事なら、私の過ちに人類が学んでくれることを望む」

希美は、深くうなずいた。

「さ。そろそろリューバが帰ってくるだろう。晩餐に客を招待するのは久しぶりだ。こんな僻地だから大したものは用意できないがね。

君は行ける口かね」

「ええ、まあ」

酒豪で知られる人類側神格についての噂を思い出し、希美は曖昧に答えた。





―――西暦二〇四九年。終戦記念日を間近に控えた日、冥府の女王が蘇る二年前の出来事。

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